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乳がん、自家組織再建までの回り道☆*

初めまして。あさみんです♪
2022年の7月に乳がんを告知され、
再建法、病院選びに迷走しながらも、
同11月に右乳房全摘、
深下腹壁動脈穿通枝皮弁法にて、
同時再建に至った経緯を書いていきたいと思います。
術前、術後の再建を考えている方の参考になれば幸いです♡

★自覚症状

「痛っ!」
去年(2022年)の5月頃だったでしょうか。
ストレッチの時に、右の胸に痛みが走りました。触ってみると、なんだか硬いものが右乳房右下あたりに。
私は胸に数個しこりを持っていましたが、ブレストクリニックにて細胞診済みで、「繊維線種」と診断されていて、半年に1度の経過観察に通っていました。

直感的に「今までの繊維線種とは違う」と思いましたが、「癌は痛くない」という概念があったので、1か月後の定期健診まで、待つことにしました。

ただ、硬くて動かない。そして痛い。初めての感触。そのうち「あ、これは癌だ!」と確信したのが…

バンザイをして鏡をみたら、痛い部分がエクボのように凹んでいるというか、引き攣れになっていました。
この時に、これは癌だな、と覚悟しました。

★クリニックで危うく…そしてMRI予約へ

2022 6.19
検診の日、先生にしこりの事を訴えてマンモとエコーで診察後、先生は
「ここねぇ、前も細胞診したような気がするし、とりあえず半年様子をみましょう」
え?よ、よかった…?と、エコー後ティッシュで胸を拭きながら、私の脳内で、ちょ、まてよ!が発動。

半分着替えているところでしたが、バンザイポーズで胸を見せて、
「先生、これ、この引き攣れやっぱり気になります!」と
勇気を出して訴えました。先生はもう一度エコーで確認して、
「じゃ、MRIを撮って確認しましょう」
という事になり、市民病院にMRIの予約を撮ってくださいました。
日程は6月29日。10日も待つのね⤵…

「もしかしたら乳がんかも?」と疑っている方。
先生には申し訳ないけれど、私、見逃されるところだったのです。
半年先まで様子見していたら、どうなっていたやら…
SNSなどでも、経過観察と言われて実は乳がんだったという方がとても多いのです。自分でおかしい、納得いかないと思ったら
「経過観察と言われても、絶対検査してもらいましょう!」
それで何も無かったら、安心なのですから。
「あの時もっと調べていたら…」という後悔は辛いですものね。

★乳がん告知(効率悪い時間の果てに…)

2023 6.29
市民病院にてMRI検査 結果はまた10日後。

2022 7.9
クリニックに結果が届き、やはりがんの疑い濃厚。
この日に先生は、針生検をするつもりだったのですが、私の飲んでいる、血液をサラサラにするサプリのせいで10日延期… トホホ⤵…

2022 7.21
クリニックにて組織検査。ボールペンくらいの太さの器具で、
組織断片を採取。麻酔で痛くはないけれど、「バチーン!」という音にビビりました。数か所組織を採取、結果また10日待ち⤵...

2022 8.1
検査の結果、非浸潤入管ガン告知。もうすっかり覚悟していたので
「やっぱり」という感情しか湧かず、取り乱しもせず泣きもせず、でした。
多少ショックではありましたが、結果がわかるまで時間がかかったので、はっきりわかってスッキリしました。
※個人のクリニック経由だと、検査結果に時間がかかります。
癌かも?と思ったら大きな病院に行った方がいいかもしれません

★回り道の始まり

そして…先生はすぐに、病院を紹介するとおっしゃいました。
元々先生は、大きな乳腺専門の病院にお勤めしておられ、数年前に開業されたので、乳腺科の優秀な先生をご存じなのです。

ところが、ここで私のパニック障害が問題となりました。病院は我が家から、病院までdoor to doorで約1時間かかります。そして電車で通わなくてはいけません。最近は電車に乗っても大丈夫なのですが、「抗がん剤治療しながら通う」ことに、大きな不安を感じてしまいました。車では病院まで、超混みの高速を使うので、もっと無理なのです。

先生が病院を紹介したのは、県内で一番乳腺に特化した病院だからです。(後々それを思い知ることになります) 
まず、先生がご存じの信用できる医師を紹介して下さる上に、あらゆる検査、技術に関しても乳がんのプロスタッフさんがいる病院だという事。
他にはがんセンターを紹介出来るけれど、先生の指定は出来ず、あまり勧められないといわれました。(内緒の話ですが、当たり外れがある、と)
自分の命を、博打に賭けるのは嫌なので、困っていたら…

先生が、あ、ここは?と言われたのが、医療センターでした。そこなら全く混まない道で我が家から車で20分。そしてその病院は私が5年前、子宮を摘出した病院だったのです。
乳腺科は女医さんだけど、腕は確かだからと、紹介していただけることになりました。クリニックから医療センターへ。ここから私の回り道が始まります。
※個人のクリニック経由だと、検査結果に時間がかかります。
癌かも?と思ったら大きな病院に行った方がいいかもしれません

★乳房が再建出来ると知った日

2022 8.17
医療センターにて診察。女医先生は「デキる女性」というよりも、親しみやすそうな、年輩のおっとりした口調の先生でした。
今でも忘れないのが、診察後、開口一番の先生の言葉。

「がっかりする必要ありません。落ち込まなくても大丈夫です」
「女性として、ちゃんと綺麗に出来るから。今の状態なら全摘と再建、
一度に出来ます。お乳がなくなるということは無く、綺麗に作れますから。そんな人なんぼでもいるからね」

作れる?そこで私、初めて乳房が再建出来る事を知るのです。私は乳がんの疑いがある時も、告知を受けた時も泣かなかったのですが、この言葉を聞いて、初めて涙腺が緩みました。
私が泣きそうになったのは、乳がんを告知されてから今まで、この時だけです。

ただ、そこの医療センターは形成の先生が不在なので、ここでは出来ないとの事。そこで紹介されたのが、やはりクリニックの先生が最初に勧めた病院でした。また出たー、病院!

女医先生にもパニック障害の事を話したら、比較的近い私立の病院を紹介してくださることになりました。ただ、そこは形成外科はあることにはあるのですが、国立大学病院の形成の先生が週に1回の診察と、再建の手術の時だけ来院するということでした。
(同時再建手術は乳腺科の先生ががんを切除した後、形成の先生がすぐに再建の手術へと引き継がれます)

私のように近くがいいという理由の患者さんは、そこを紹介しておられるようで、女医先生は私の目の前ですぐに電話してくださり、予約を取ってくださいました。
※この時点で、私の乳がんはステージⅠかⅡ、リンパ節転移無し、ホルモン剤が効くタイプで比較的大人しいが、がんの広がりが見えるので全摘が良いということでした
※この後、このおっとりした女医先生を検索したら、乳がん手術の名医で有名な方でした!

★私のコンプレックス

ここで、私の体についてお話しておかねばなりません。後に私が再建を考える時に、大きな要因となったからです。

今から5年前「子宮内膜増殖症異形あり」の診断を受け、放置すると3割が癌化するということで、子宮を摘出しました。その際、腹腔鏡手術をしたのですが、術後おへその上に段が出来、変な凹凸が出来てしまいました。すごくショックでした。

その為、体にフィットする服や、トップスをボトムスにインするスタイルが出来なくなってしまい、それが本当に辛かったんです。
元々無かった凸凹や段差が、手術によって出来てしまった…
これなら大きな傷跡が残っても、開腹手術にするんだったと、本当に後悔しました。
50代過ぎて仕事に復帰するまで、ジム通いして中年太りしかけていた体を引き締めて、その後多少は太ってもそれなりの体系を維持していたので、本当に悲しかった。
好きな洋服を好きなように着られなくなった。
これはいかに私が努力しても、改善されない事象なので…
この腹部の変形は、以後私の大きなコンプレックスになりました。

★C病院にて

2022 8.20
女医先生に紹介していただいた私立のC病院で、まず乳腺科を受診。
乳腺科のM医師は丁寧で、優しい感じの方で安心出来ました。エコーの結果は、医療センターと変わりなし。

次は、週一回だけ国立大学病院からいらっしゃる形成の医師の診察。
ここで少しずつ、私の迷いが始まります。

診察しながら形成の先生は、インプラントはメンテナンスが必要なこと、
そして「自家組織は一生ものです」とおっしゃいました。
お腹の確認の時には、私が腹腔鏡手術後お腹の変形が出来て悲しいと、先生に言ったところ
「うーん、腹部穿通枝皮弁法だと、おへその位置も動かすし、脂肪も取るからこれも治りますよ」とおっしゃいました。
ただ、大変難しい手術なので、設備が整った施設と、優秀な医師とスタッフがいて、認可を受けた限られた病院でしか出来ず、「この病院では広背筋皮弁法しか出来ないけどね。だけど、今はお腹からの再建が主流です」と言われました。
私が考え込んでしまったら、先生が「手術の時にエキスパンダーをいれて、その間に考えるという事も出来ますよ」とも提案してくださいました。
私はすぐに決められず、少し時間をいただきました。

★再建法を調べてみる、そして手術日決定

形成外科の受信後、私は再建方法を本気で調べ始めました。
まず、手術と同時にエキスパンダーを入れるのは、
せっかく同時再建可能なのに、2度手術をする事になるので最初に消去。
インプラントの第一条件は「垂れていない人」
私の年代では、当然下垂しています。
あと、10年後当たりに入れ替えする確率が高いことと、私自身、体に異物を入れるのにはすごく抵抗がある。ということでインプラントは選択肢から外しました。

残った方法、「広背筋皮弁法」について調べてみました。
背中の皮膚・脂肪・広背筋を血管がつながったままの状態で胸部に移動して乳房形態を再建する方法。背中の脂肪は腹部より少ないことが多いため、
比較的小さい乳房の方に向いている再建法です。手術時間は乳がん切除が終了して4時間程度、入院期間は手術後7日から14日程度です。

広背筋皮弁法

デメリットとしては、
あまり大きな乳房の再建には向かない、色合いが少し濃くなる、背中に水がたまりやすい。長期経過で筋肉が萎縮して再建した乳房が小さくなることがある。

気になったのは「大きな乳房の再建には向かない」ということ。巨乳でも貧乳でもありませんが、やや大きめな私(無駄肉込みでDカップ)
そして筋肉ゆえの色合いの変化や委縮という事。
でもインプラント以外では、私にはこの選択肢しかないのです。
C病院にて広背筋皮弁法で、10月19日入院、21日が手術となりました。

★惑い、迷った末に…

手術日が決まって、パジャマなどを用意しながらも…
何かしら私は引っかかっていました。本当にこれで良かったのだろうかと。
クリニックでも、女医先生にも勧められた病院とは?
そして今の病院に週一いらっしゃる、国立大学病院の形成の先生の言葉。
「今は腹部からの再建が主流です。一番自然なニュアンスに出来ます。
筋肉ではなく、脂肪を移植するので一度してしまえば一生ものです」
「このお腹の段差も凹凸も、腹部皮弁法だったら治せます」

どうしても気になって、その一生ものという
深下腹壁動脈穿通枝皮弁法(しんかふくへきどうみゃくせんつうしひべんほう)」を、調べてみることにしました。
あまりにも長い名前なので、以下「穿通枝腹部皮弁法」に省略します。
調べてみたところ…

下腹部の皮膚・脂肪を血管をつけて切り離して採取し、手術用顕微鏡を使って胸部の血管と皮弁の血管をつなぎます。
血管吻合の際に肋軟骨ははずさずに温存します。
これにより、腹部の皮膚・脂肪を血流がある状態で胸部に移植することができ、これを用いて乳房を再建します。
手術時間は6時間から8時間程度です。入院期間は手術後5日から14日程度です。

深下腹壁動脈穿通枝皮弁法

えっ?下腹部の皮膚と脂肪を血管をつけて切り離して採取し、手術用顕微鏡を使って胸部の血管と皮弁の血管を繋ぐ…
ものすごく繊細さと正確さを要求される術法なんですね。

この手術に向かない人は
・妊娠を考えている人
・お腹に大きな傷が出来るのが嫌な人
・手術時間が長いのが嫌な人

私はもう子供を産み終えて、孫ちゃんたちもいる。
お腹に傷が出来るのは、全然かまわない。
手術は寝ている間に終わるので、時間は長くても平気。
…あれ?条件はクリア出来ている。
そのうえ、私にとってもうひとつの大きなリットは
一生コンプレックスと感じる、お腹の凸凹が解消される…

私の心は揺れ動きます。迷い、惑っていた時に親友から、
「こんな大事な事、病院の近さで決めて後悔しない?…」
それはまさに、自分もそう思っていたところでした。友人に背中を押され、私は決心しました。

年数が経っても劣化もせず、お手入れも要らず、
そして自然な胸になる上に、お腹の凸凹も取れる。
私、やっぱり穿通枝腹部皮弁法で再建したい!と。
大切な手術だから、悔いのない方法で…
パニック障害だって、最近は電車も平気になっているし、頑張ればきっと通える、いや、通うんだ!と立ち向かう決心しました。

★転院を決意、S病院へ紹介してもらう

2022 9.19
C病院のM先生には丁寧に診ていただいていたうえ、手術日も決まっていたので、転院を申し出るのは本当に心苦しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
でも、決めたらすぐに告げないと、長引けば余計に迷惑がかかる、早ければ手術枠も空くということで、電話で診察の予約を取り(いつでも来ていいと言われていたので) 手術日の1か月前に、私の気持ちの移り変わりと決心を申し伝えました。

この時点で、病院には当然何も連絡していません。
先生にお話ししてから、医療センターの女医先生に紹介していただくつもりでした(それが順番と思ったので)
先生は私の話を聞いて、転院を快諾して下さいました。そして「僕も存じ上げていますから」と、病院の先生に紹介状を書いてくださり、初診の予約時間まで取ってくださいました。
本当に感謝しかありませんでした。

クリニックの先生も、女医さんも、紹介するのは「病院の先生」と迷わずおっしゃっていた。
回り道をしたけれど、やっとここで私と病院に繋がりが出来ました。

パニック障害さえなければ最初から.…と原因を作った毒親を恨みもしましたが、よく考えればクリニックから女医先生を紹介していただき、
「切除する→再建する」ことを決めるきっかけになり、そして女医先生から紹介されたC病院にて、国立大学病院の形成の先生から、腹部皮弁法のこと、そしてお腹も治せることを知った事を考えると…
この回り道は、結局私にとっては必要な過程だったのかもしれません。

★S病院の乳腺科、形成外科の先生方

予約日まで数日あったので、先生について検索してみました。
目についた文言はとにかく「患者さんが多く待ち時間が長い」でした。
そして病院のHPでも「乳腺科は乳がんの方が集中していて、大変混雑し待ち時間が長くなっております」と書いてあり、診察は紹介状があり症状がある方のみと記載がありました。予約オンリーの診察でした。

先生に関する口コミでは
「諦めかけていたステージだったが、もう10年元気で感謝しかありません」「両胸部分切除だったのですが、放射線の技師さんも驚くほど、綺麗に仕上げていただきました」という感想がおおくありましてが、反して「ゆっくり相談する感じではない」「質問をしたくても、怖くて出来ない」という感想もありました(ちょっと怖い…)

近隣県外からの紹介患者さんも、多く受け入れておられるので、限られた外来時間に対処するため、無駄なお話はされないようです(外来以外に、手術も執刀なさるのだから) 
口コミには「長時間の診察を希望の方は、他院の方がいい」とも書いてありました。

でも
「術式決定時や抗がん剤治療前など、重要なタイミングでは十分に話し合う時間を取ってくださる」
「家族への説明も、別に時間をつくっていただいたり、全員が納得しました」という投稿もありました。
人当たりの良さより、正確な判断による適格な治療実績があるからこその混雑。私はブレストクリニックの先生、そして女医先生が勧めてくださった先生に全てをお任せする決心をしました。

同時再建は、乳腺科の先生が全摘手術をしてすぐに、形成外科の先生が再建手術に入ります。病院はこの形成の先生がまた名医なのです。
検索したら、名前だけでヒットするような先生です。
私が希望する難しい穿通枝腹部皮弁法を、多く手掛けられています。
次のグラフは病院の2022年の再建手術式です。

K先生の年間手術数

1年のうち、手術日が無い土日祝日を除くと年間245日。
一次再建全体は3日に一度。腹部穿通枝皮弁法は4日に一度手術が行われているということになります。
これはなかなか他の病院で類をみない件数だと思います。
特に穿通枝腹部皮弁法は、準備も大変なので、だいたい週に1度しか手術しないという病院が多いと聞きます(再建専門クリニックはわかりませんが)
先生がいかに再建手術の数を手掛けておられるかがよくわかります。
2022年のグラフなので、55例の中の1例が私です。

再建を担当する先生は、初診で小1時間くらいかけて、患者さんの要望、希望、生活の背景などをじっくり話を聞いてから、術式や手術の特徴を説明。そして術後や術中の写真などを見せて、先生が診察したうえで意見を伝えるとのこと。患者さんが求めているものを感じ取りながら、できるだけその人に沿った説明ができるよう心掛けておられるそうです。

先生のお考えは再建に年齢は関係なく、インプラントだと80代、穿通枝腹部皮弁法でも70代後半の患者さんの再建手術をなさったそうです。
再建後の患者さんの喜ぶ様子が、何よりのやりがいと書いてありました。
形成外科では乳房の再建をした後半年くらいで、乳頭乳輪も再建(新しく作る)出来ると知って、今の技術に驚きました。

調べれば調べるほど、今まで診察してくださった先生たちが
病院へ紹介する」と導いて下さった意味がわかってきました。

★いよいよ、S病院へ通院

2022 9.28
病院、乳腺科の初受診。
心配していた通院ですが、実際に電車に乗っている時間は各停でも24分。
その他の行程も特に問題なく、これなら通えると自信がつきました。
(通勤ラッシュと時間が重ならないことも幸いでした)
噂の?待ち時間ですが、初診の人には特別な時間枠が用意されていて、
落ち着いてゆっくりとお話する時間を、取っていただいていました。

T先生は確かににこやかではありませんが、学者肌で診察もしっかりしてくださり、私の乳がんのについて診察後に細かく説明してくださり、
「今の状態なら、ギリギリで乳頭も乳輪も残せます。脇からアプローチして全摘し、形成の先生にバトンタッチ出来そうです」とおっしゃいました。
乳頭、乳輪が残せるのはうれしいと思いました。
そして、同時再建の意思を私に確認した後、形成外科の予約を取ってくださいました。

患者さんが沢山待っておられるので、余計なお話はされませんが「ここまでで、何か質問ある?」と聞いてくださるし、質問には丁寧に答えてえくださいます。ただ、沢山の患者さんがお待ちなので、これからは質問がある時には、あらかじめ箇条書きでメモやスマホにまとめておこうと思いました。

2023 10.6
病院、形成外科初受診
こちらはまったく待ち時間無し。(その後もずっとそうです)
先生はとても話しやすい先生で、私は最初から再建方法を決めている患者なので、穿通枝腹部皮弁法について、メリットやリスクを丁寧に説明してくださいました。
診察をしていただいた後、お腹の凸凹も脂肪と一緒に取れるという事。手術時間も長ければ10時間と言われているのに、先生は5~6時間くらいで終えるとのこと。凄い!!!

そしてネットの体験談やブログなどでは、「腹部皮弁法の術後は2~3日間ベッドで絶対安静で、トイレにも行けないと体験談がありましたが」と私が話すと、先生は笑いながら
「手術した日の夜は、ICUで一晩経過観察ですが、次の日尿管が抜けたら、歩けるのなら歩いてもいいですよ」とのこと。
色々お話していて、先生からは再建手術に対する「自信」を感じました
「過信」ではなく「自信」。 想像もつかない緻密な作業の再建手術ですが
この先生ならお任せしていいという、安心感が生まれました。

★循環器クリニックにて AI搭載造影CT撮影

2022 10.11
形成の先生の指示で、病院とは別の施設、「循環器クリニック」で、
造影CTを撮りました。

ここには最新の「胸とお腹の脂肪の量を計るAI搭載CT」機材があり、
撮影後このワークステーションにK先生が足を運び、患者のお腹の脂肪量から体積、乳腺の先生が取る乳房の体積などをすべて計算されます。
計算したうえで、使う穿通枝の選択や具体的な術中の段取りを、すべて術前に準備されるのです。
つまり、きれいな胸を作って下さる為のオーダーメイド。
1人1人にそのような細かい術前シュミレーションをされるので
手術時間も短くなり、患者の負担がも減るということになります。

そしてこれは先生ではなく、乳腺科の先生もまた凄いのです。
私の場合、脇からメスを入れて全摘するので視野が狭い上に、計算された切り取る体積も考えながら、癌の部分を摘出するのですから。
事前の準備で乳腺科と形成外科がしっかり連携しているからこそ、再建を希望する患者さんが多く紹介されるのでしょう。


★再び手術日決定 そして検査、説明

2022 10.12
病院、乳腺外科にて診察。
同時再建するにはまず「乳腺科のT先生が乳房を全摘して→形成の先生が再建手術をする」ので、2人の先生のスケジュールを抑えなくてはいけません。
本当に予約がいっぱいで、T先生がカレンダーをみながら「場所取りしないとね~♪」と表現したのがおもしろかったです。先生、K先生双方のスケジュール、及びその日のスタッフさんの状況を確認して、
11月26日土曜日に入院。11月28日月曜日、9時半からの手術となりました。うわー、まだ1か月半もある。癌に気づいてからもう手術まで半年も過ぎてしまいました。あちこち渡り歩いて時間がかかってしまいましたが、後悔はありませんでした。

11月に入ってから、レントゲン、心電図、心エコー、MRI、採血。
そして麻酔科の先生との面談(娘付き添い必須)、薬剤師さん、看護師さんとの面談、診察と何回か通院。
そして入院グッズを調べて購入。高額医療制度の申し込みは、乳がんがわかってすぐに、役所で交付してもらいました。

★入院、そして術前説明

まだまだと思っていましたが、あれこれ支度するうちに、あっという間に入院の日が来ました。
平日に入院すると、次の日手術なのですが、私は月曜日の手術なので土曜日の朝に入院、午後から乳腺科、形成の先生からの手術説明です。
荷物は大きなスーツケースにまとめました。がん保険をかけていたので
個室をお願いしていましたが、コロナ渦だったので「院内でコロナが出たら個室に移動なので、当日まで個室が空いているかどうかわからない」とのことでしたが、幸いに空いていてホッとしました。

コロナ渦の入院は不便ですよね。娘夫婦が家までえ迎えに来て、病院まで
送ってくれたのですが、病室には入れないので、病室で重いスーツケースを
ソファにおいて、色々出したりするのも1人でやらなくてはいけません。
手術説明には、娘が同伴しないといけないので、11時ごろ送ってくれた後、
婿殿と幼稚園児のおチビと、近場に遊びに行って時間をつぶしてくれました。ありがとうね。

ちょうど片付いたところで、お昼ごはんの時間。
私は家では家事全般担当なので、上げ膳据え膳は本当に天国♪
入院中、病院食は殆ど完食。しあわせだったなぁ~。

午後からは娘とともに、まず乳腺科のT先生からの手術説明、
乳頭乳輪を残し、脇から切開して全摘する。朝の9時半からだいたい3~4時間くらいとのこと。手術中にセンチネルリンパ節生検をして、転移している場合には郭清することなどなど…
丁寧に説明をしていただきました。

次に形成外科、K先生の手術説明。
モニター3台くらいに、色々なものが映し出されていました。
中でもAIが描いた私の体の中の骨格やら血管のカラー画像がすごかった。
最初何かの見本かなぁ?と思って、先生の説明を聞いていて、途中で「あ、これ私の画像ですか?」と、まぬけな質問をしてしまい、娘に「当たり前やん!」と笑われてしまいました。
私は既に予備知識がありましたが、娘には「そんなことが出来るの?!」と
びっくりした様子で、再建手術の行程を聞き入っていました。

入院1日目、すべてのスケジュールが終わり、娘も帰り、さて後は明後日の手術を待つばかり。
個室は多少改善して欲しいところもありましたが、広くて快適で、ゆったりした気持ちになれました。
アレクサ、iPadが活躍。iPadはTverでドラマやサブスクで映画を観たり。
液晶型のアレクサは時計代わりになるし、音楽もラジオも聞けるし、本当に便利でした。夜もアレクサで、快眠音楽を小さな音で流しながら眠りました。

土曜日も、日曜日も(手術前日) 、私は緊張や不安よりも、やっとここまでたどり着いた、やっと同時再建が出来る、という安心感の方が大きく、ご飯も良く食べ、病院内のコンビニで夜のおやつをゲットし、 サッカーのW杯が始まったので観戦したり、iPadでドラマを観たりして過ごしました。
「さみしい」「怖い」「不安」は殆ど感じず、その手の精神的ストレスで、辛くなることは一切なかったです。
手術の前の日も、普通に眠れました。図太すぎるのか私(笑)

★いよいよ全摘、そして同時再建手術

朝、予定通り手術の時間となりました。
点滴が繋がれ、もうお水は飲めません。
ナースステーションの前に娘が到着し、いよいよ手術室へ。
ドラマではよく、ベッドで運ばれていく患者さんの姿がありますが、私は点滴スタンド?を持って看護師さんに案内されながら、娘と歩いていきました。
看護師さんに案内され、手術室の前で娘と手を振ってお別れ。
娘が待っているのは、乳腺の手術の間だけ。
終わった時点で、乳腺科の先生から手術の説明を聞いて、それからは付き添いの家族は自宅待機となります。
理由は同時再建の場合、全行程が終了するまで8~9時間ほどかかるので、長時間待つのが大変である、という理由です。
手術が終わり次第、形成の先生から連絡が行くことになっています。
(病院によって待機の仕方は、違うかもしれません)

手術室に入り名前の確認があった後、色々と着替えて、手術台に。
心電図、血圧計、パルスオキシメーターなどを装着されます。
麻酔の点滴のルート確保をして、酸素マスクを口に装着した後、「眠くなるお薬いれますね」と言われてまもなく、私は深い眠りに落ちていきました。

★術後のICU

次に目が覚めたらICU。カーテンに囲まれたベッドに寝ていました。
時間は多分夜の8時ごろだったと思います。
体はまっすぐではなく腰を落として膝の部分が上がっています。
ということは、手術は成功したんだなと思いました。お腹を横に30センチ切っているので、傷口が裂けない為にやや体を起こし、膝を曲げた体勢です。
最初に感じたのが「喉が気持ち悪い」ということでした。
それは麻酔で眠った後、低酸素にならないよう「口から喉に管を入れる気管内挿管」の為だと、看護師さんが教えてくれました。
最初の数時間はうがいしか出来ませんでしたが、そのうちお茶をストローで
自分の手で取って飲めるようになりました。

翌朝、病室に戻るまでここで過ごすわけで、ネットで読んだ体験談では、ICUでは眠れなかったという方が多かったようですが、私の場合、眠りに落ちて夢を見ては目覚め、またすぐ眠りに落ちるを繰り返しで、起きている時間は殆ど無かったです。
手術の痛みは、点滴でコントロールされているか殆ど感じませんでした。
長い手術で疲れていたのが、幸いしたのかもしれませんね。
朝が来る頃には、看護師さんと雑談出来るようになり、
「すごい!本当に元気ですね!」と言われました。
ICUで一晩過ごす人の中には、朝までグッタリ、の方も多いそうです。
時間が来て異常なしといいうことで、自分の病室に戻ることが出来ました。

★再建した新しい胸、そしてお腹は…

朝食は喉がおかしくて、ジュースしか飲めませんでしたが、
お昼はお腹が空いて、病院食完食。

大勢は相変わらず、上半身を少しだけ起こし、膝部分は上がったままです。
暇になったので、思い切って手術後の胸を見てみることにしました。
パジャマのボタンを外して上からのぞき込むと… えっ、前とあんまり変わらない!?
首を起こした状態で、真下を観た角度です。

術後1日目の真上から

ところがところが…
自撮りに切り替えて、下から寝ている角度で見てビックリ!
乳頭から下半分は、まるで打ち身のように、赤紫のあざが出来ていていました。ひゃーー!
そして形を固定するために綿球を巻いたテープなどが生々しい…
術後で腫れているので、なおさらエグイですけれど、真実を書きたいので投稿します。苦手な方、急いでスクロールしてくださいね。
(寝ている時のおっぱいなのでダラーンですが、起きるともう少しは
ちゃんと?します。ちょっとだけ(笑))

胸の〇しるしは なんだ?

何やらマジックで〇も書いてありました。
これは何のしるしか、後でわかります。
後で先生に胸の色について聞くと、本当に打ち身と同じでだんだん赤紫から
黄色に変わり、やがて消えていくから心配しないでいいとの事。

幸いなことに、痛みに関しては殆ど感じませんでした。
もちろん脇を切開しているので、右腕を動かす可動範囲は
限られていましたが、それも1日ごとに先生から
「今日はここからこの辺まで」と可動域を指導されました。
ただ脇が腫れているので、常に「何か挟まっている感」が
気になりましたし、テープが腕の内側に擦れて、それが痛かったです。

お腹も腰から反対の腰まで、おへそ下に真横に30センチ、
ズバッと切っているというのに、殆ど痛みは感じませんでした。
ただ、咳やくしゃみをした時はさすがに響きましたが。

そして… そして…
術前先生がおっしゃっていたように、あの私の生涯抱えていくはずだった
おへその上の段差と凸凹が、綺麗に無くなっていました。
私はこの事だけでも、この手術をした意義があると思いました。
この後万が一、再発や何かの感染症で乳房を切除することになっても
(もちろん嘆き悲しみますが) 元のお腹に戻った事は、
本当にうれしかった。今でもそのうれしさは変わりません。

★始まった入院生活

画像にも少し映っていましたが、体には胸から1本、お腹から左右1本ずつ、2本ドレーンがついていました。廃液を排出するもので、少なくなると抜いてもらえます。

そして看護師さんが、ICUの時から始まっている「3時間ごとの血流モニタリング」に来られました。
お腹と胸の血管をつないだ箇所に血栓などが出来ると、血流が流れなくなり、皮膚が壊死してしまいます。
そうなると、せっかく再建した胸を切除することになります。
手術後の3日間は、3時間ごとに超音波で血流を調べる機械を使って、血流が流れている音を確認しないといけません。
小さな箱のようなものに、ペンが繋がっていてその先を、術後の赤紫になった胸の画像にあった、マジックの〇しるしに当てるのです。
そう、あの謎の〇しるしは、まさにお腹と胸の血管を繋いだところ。超音波の器具を当てる目印でした。

血液がちゃんと流れていると、小箱のスピーカーから「シュワン、シュワン」と音が聞こえます。妊娠した経験のある方ならわかると思いますが、妊婦検診で聴く、赤ちゃんの心音にそっくりなんです。懐かしい。
最初は3日間3時間ごと?夜は眠れないなぁと思いましたが、そのうち慣れて、寝たままの体勢でしてもらい、一瞬目がさめてもすぐまた寝てしまいました。

お腹の傷を保護したテープの上から「ママ色ニッパー」という医療用品がきつめに巻いてありました。(事前に院内コンビニで購入)
傷口が緩んだり、裂けたりしないよう、けっこうがっつりと締めます。
退院後も使うので、絞め方を教えてもらいました。

術後はじめて娘に連絡をしてみたところ、手術当日、形成外科の先生から「手術が無事終了しました」と電話がかかってきたのは、夜の7時過ぎだったとか。

全摘に3時間半、そこから先生、スタッフ総入れ替えして、再建手術は5~6時間くらいと思われます。
普通、腹部皮弁法の再建手術は8~10時間と言われているので、やはり速い!と思いました。K先生、凄い!
とあらためて、名医に出逢ったことに感謝しました。

午後には乳腺科の先生が病室に来られて、
術前には確認できなかっったリンパ節への転移が2個あり、
郭清しましたが、他は予定通りでしたとのこと。
リンパ郭清は、癌を自覚してから半年以上回り道したのだから
仕方ないかなと思いましたが、術前にはエコーなどで確認できないリンパ節への転移は、よくあることらしいです。
だから回り道のせいかはどうかは不明?です。

続いて先生も来られて、お腹と胸の傷跡を確認。
「全く何も問題なし、元気だね!」と言っていただきました。
退院するまで、乳腺科の先生も殆ど毎日顔を出してくださり、
形成外科の先生にいたっては、毎朝診察がありました。
何かあったら、いつでも質問できる、かけつけてもらえるという体制は、やはり術後の患者にとっては安心出来る環境でした。

★入院生活あれこれ

入院1日目の夕方から、ソロソロと歩けるようになりました。
とにかくお腹を守る為、体を真っすぐにしてはいけないので、
歩く時も前かがみ、2日間くらいは歩行器をつかって
ドレーンが入ったポシェットを3つぶら下げて歩く姿…
ゾンビみたいですけど、めげずに外来患者さんが居なくなった頃、
運動を兼ねて、毎日1階の院内コンビニに買い物に行きました。

お酒が好きな私ですが、入院期間の夜のお楽しみはおやつ。
といっても、無糖ラテとプリン、ヨーグルト、ゼリー、
そんな感じです。普段あまりお菓子は食べないので。

3日間の3時間ごとの血流検査も、1日2回くらいになり、そのうち無しになりました。もう安心ということですね。
ドレーンも術後3日目から徐々に取ってもらい、身軽になりました。
傷口は防水テープが貼ってあるので、シャワーも浴びれるようになり、
その後の日課は「作ったおへそが塞がらないように、綿球をつめこんでテープを貼る」こと。そうなんです。もう元のおへそは無くなって、先生が作ったおへそなので、自然にくっついてしまわないよう綿球を詰めるのです。
この作業?は1か月くらい経つと、穴が塞がらなくなるので終了します。

術後1週間くらいで、脇の抜糸、お腹の抜糸をしました。
お腹の方は傷と垂直に、長さ5センチくらいの保護テープを縦に貼るのですが、なんせ30センチも傷跡があるので、数えたら30枚くらいありました。これは退院後も1週間に1回は自分で張り替えなければいけないので、けっこう大変でした。
冬場で、お風呂からあがってからテープを用意していたら体が冷えてしまうので、先にテープを切っておいて、端っこだけドレッサーに30枚貼り付けてから入浴しました(笑)

抜糸が終わったら、腕のリハビリが始まりました。日頃ストレッチをしているおかげか、順調に進んで、だんだんと腕の可動域が広がって行きました。

★退院、そしてその後

11月26日土曜日に入院、手術から10日目の12月8日木曜日あたりに
退院していいよ~と、形成の先生から言われましたが、娘夫婦が土曜日でないと送り迎え出来ないのと、私がまだ帰りたくない(笑)ので、土曜日に退院させてもらうことにしました。ちょうど2週間の入院生活でした。

退院後の生活に関して、乳腺科からは何も注意はありませんでしたが、
形成の先生からは
・3ヵ月は運動一切禁止 (これが辛かった)
・しばらくは、お腹を伸ばして寝る体勢をとらない
・再建した方の腕、肩で重いものは持たない
・3ヶ月は、起きている間はウエストまである、きつめのガードルを常時着用 (寝るときは脱いでもいい)

手術前からガードルの事は聞いていて、指定の物を購入済みでしたが、私は締め付ける下着が本当に苦手なので、耐えられるか心配でした。
最初はキツい~!と思いましたが、これも慣れるんですよね!
寝る時心配なら、ママ友ニッパーを装着してと言われていたので、しばらくは寝るときも、お腹を絞めていました。

退院してしばらくは、リンパを郭清しているので胸に廃液が溜まり、週に1回、気になった時は2回、形成外科にて注射で抜いてもらいました。
麻酔も無しなのに、注射の針が刺さっても痛くないって不思議。
そのうち廃液も溜まらくなり、成形外科は3か月に1度の診察となり、
そのうち半年に1度となりました。乳腺科は6週間に1度です。

新しい胸は、まだ少しほんのり赤身や腫れが出たりするので、完全に左右一緒ではありませんが、こんな年齢の下垂した胸を、綺麗に再建してもらい、お腹の凸凹も無くなり、乳腺科、形成外科の先生には、感謝の言葉しかありません。
再建してから、精神的にも随分と前向きになれて、お洒落も楽しくなりました。

★再建して思ったこと、感じたこと

再建は人によって考え方が色々です。
全摘になっても再建を選ばない方も多くおられます。
そしてインプラントを選ぶ方も、沢山いらっしゃいます。
自家組織(背中、腹部、太もも、お尻など)を選ぶ方も
みなさんそれぞれ、色々な理由や希望で選択されるのでしょう。

私の場合は40代後半に人生初めて太ってしまい、そんな自分の体を見るのを耐えかねて、苦手だった運動を始めました。
食事にも気を付けて運動をしたら、1年で痩せられたので、仕事再開でジムに行けなくなっても、必ず毎朝家の中で小一時間、軽い筋トレとストレッチをしています。それは今もかかさず15年間続けています。元々硬い体ですが、180度左右開脚してお腹もペッタリつくようにもなりました。

子宮摘出手術の後、お腹に凸凹が出来てそれが治せないとわかった時、心身ともに落ち込みました。「誰かに見せる為」とか「人にどう見られたいか」ではなく、自分が持つ自分のボディイメージが崩れたのが辛かったのです。
メイクもそしてファッションも、自分の好きな物を選びたい、着たい。
自分の体は、今までは努力すれば変えられたのに、もう戻らない。

乳がんがわかった時には無知だったので「おっぱい、無くなっちゃうのかぁ。ブラに詰め物とかしないといけないんだな。でももうお腹もこんなのだし、いっか」と諦めの境地でした。だけど女医Y先生の、
「女性として、ちゃんと綺麗に出来るから。今の状態なら全摘と再建、
一度に出来ます。お乳がなくなるということは無く、綺麗に作れますから」
この言葉に思わず涙ぐんでしまったのは、私はやはり「お腹があんなことになったのに、この上胸をなくしたくない」と思ったのだと思います。

最初のブレストクリニックの先生は、再建のためにS病院を勧めたわけではないと思います。部分にしろ全摘にしろ、手術の腕が確かなT先生に紹介状を書いてくださるつもりだったのでしょう。

でもパニック障害のせいで通院を怖気づいてしまい、そこから医療センターに行くことになり、女医さんから再建の事を知り、そしてまた次に紹介してもらったC病院にいらしていた国立大学病院の形成の先生から、「穿通枝腹部皮弁法なら、このお腹の凸凹も治りますよ」ということがわかるという流れ…
結局私はお腹にしろ胸にしろ、自分のボディーイメージの変化が辛かった。
形成外科の先生は「そういう人には、再建は非常に意義があり、意味がある手術」とおっしゃっていました。私も本当にそう思います。

私は結果的に、「胸とお腹を同時再建」することが出来ました。
すごく満足しています。逆に言えば、お腹の凸凹があったから、穿通枝腹部皮弁法を選んだとも言えます。

もしお腹の事が無かったら...? でもたぶん色々調べて、
子供は産み終えているなど、色々な条件がマッチしましたから、
やはり悩んだ末に、最後には穿通枝腹部皮弁法を選んだと思います。

インプラント、広背筋皮弁法、穿通枝腹部皮弁法、
それぞれメリット、でメリットがあり、
選ぶ人の環境や年齢、何に重きをおくかなどそれぞれ違うと思います。
結果的に選んだ人が満足なら、それで良いのです。

私は手術から約9か月過ぎました。
運動も解禁になり、何も制限はありません。
まだ少し、胸が腫れたりしていますが、それも少しずつ良くなっていくでしょう。

現在の胸と状態とお腹の傷の画像を添付します。
自撮りしているので反転していますが、向かって右が再建した胸です。
(まだ少し腫れています)
お腹の傷は、術後数か月はたまに痒くなり赤くなったりしましたが、最近はそれもなく、色も薄くなってきました。

再建した胸と お腹の傷跡

次に切開した脇の手術跡を添付します。
ここもだいぶ色が薄くなってきました。
傷跡がカーブしているのが、おわかりだと思います。
ちゃんと胸の形になるように、縫合されているのです。
リンパ郭清の名残りの皺?も上部にあります。

切開した脇の手術跡

乳がんの方は、オンコタイプDXの検査結果が低リスクっだったので、ホルモン剤10年と、TS-1を1年飲んでいます(残り半年)。TS-1の副作用で、倦怠感や足の浮腫みがあったり、色素沈着の予防として紫外線を浴びないようにと言われているので、通院や特別な用事が無い時は、外に出ないようにしています(普段のお買い物も夜行きます)

TS-1を飲み終わったら、好きなお洋服を着てお友達と逢ったり、
映画を観にいったり、飲みにいったりしたいと思っています。

長くなってしまいましたが、これが私の同時再建に至るまでの
回り道のお話でした。1人であちこちと奔走、迷走しました。
でもその甲斐はあったと思えます。

同時再建、二次再建を考えている方の参考になれば幸いです。
再建を考える時には、是非乳腺に特化した病院を選んでください。
少し遠くでも、再建を多く手掛けている病院を、
そして信頼できる先生を選んでください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました♡

※イニシャルなどは正確ではありません
※これは私の個人的な体験なので、全ての方に当てはまるわけではありません

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