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なんで農家になったのか? 其の3

畑からこんにちは^_^
前回の続きです。
ご興味あったら覗いていって下さい。

食肉卸会社に勤めて8年経ち、朝から深夜早朝まで輸入肉の倉庫番に嫌気がさし、やっと重い腰が上がり、農業への道に行くと思いきや、お金の呪縛から抜け出せずに今度は生花市場の仲卸に転職。
当時の私なりによく考えた結果だったと思います。
自分の最終学歴を使えるところを探したら、これだ!って思ったんですよね。

市場は毎日違う花が集荷され、お花屋さん達よりも一早く花を見る事が出来て、活気に溢れていて楽しかった。それに付け加えて休みが週3日。
趣味の波乗りも3日も行ける!
新しい物が誰よりも早く見る事が出来る!
お花屋さん達に最新の情報をお伝えして、私のおすすめを購入していただける楽しさ、信用してもらえた喜びがありました。

近年デジタル化が進み、物流のインフラも整ったお陰でお花も需要が増えました。

ある日、極一部の方に言われた言葉が心に刺さりました。
『注文すれば注文通りの色の同じ花を仕入れ、持って来るのがあなたの役目なのだと。』
その言葉を言われた事で、お花も工業製品の様に思われる様時代になってしまった。
私は市場流通のつまらなさを感じ、私の居場所はここでは無いのだと思い始め、近いうちに辞めようと決心しました。

市場勤めをしながら悶々とする日々が続き、
ある時連休をとり、仕事終わりで波乗りで宮崎に行く事がありました。
その宮崎行きの飛行機の扉がしまった瞬間から動悸が始まり、突然やってくる不安感と吐き気が。。
元妻と楽しみにしていた宮崎へのトリップ。
結婚して2年目の冬の出来事でした。

それからは、電車に乗る事も、他人の運転でどこか行く事も、吐き気に対する不安感と吐き気、喉の詰まり等、意としない症状が出てくる事が増え、改善して症状が出ての繰り返し。
何が引き金になったのかはわかりませんし、心療内科に行く事もしませんでしたし、健康診断でも問題はありませんでした。強いて言うなら逆流性食道炎と言われた位でした。

そんなある日、波乗りによく行っていた先輩の結婚式に出席した時の事、結婚される先輩の弟さんを紹介してもらいサーファーで『農業』されていると。
仕事を辞める前に農業に触れさせてもらいたいとその時思い、後日連絡させてもらいました。
その彼の畑には規格等無く、その時想像する農業とは違っていて楽しそうと思ったのを今でもよく覚えています!

                  続く




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