ご近所ミステリー15理想の家族

あらすじ:
 矢木沢玲児は昨年この地区の豪勢な新築の家に家族とともに引っ越してきた。近隣の住民はどのような一家なのか興味津々だったが、息子の雄一が東京大学に合格したことが知られ、それとともに理想の家族と見られるようになっていった。ところが実際は、玲児夫妻は仮面夫婦であるばかりでなく、雄一の合格を機にさらに家族も危機的な状態になってゆくことに。
ご近所ミステリー第十五弾です。読んで頂ければ幸いです。
※ご近所ミステリー第一弾から第十一弾は「#ミステリー小説部門」にもあります。 

五十代半ばの矢木沢玲児は昨年隣接の市からこの地区の新居に引っ越して来た。家族は同じく五十代半ばの妻聡美と高校三年生の息子雄一それに高校二年生の娘明奈の四人家族である。更地になっているところに三階建てを新築し、二台駐車できる駐車場も道路すれすれに突き出したベランダの下にある。車は中古だがベントレーと妻が運転するプジョーだった。
 静かなこの地区に場違いのようなこの新築が建築中、どのような家族がやってくるのか近所の住民が興味津々だったことは容易に想像がつく。実際、矢木沢一家が引っ越ししている最中、周辺は異様に静まり返っていたことから住民の関心の高さが伺われた。
 また、玲児自身も両隣の住民がどのような人物なのか内心心配していたが、両隣とも七十代の老夫婦の二人暮らしで、どちらも親切そうでさっぱりした感じでとりあえずホッとした。さらに近隣に玲児が苦手な幼い子供達や番犬が見当たらなかったことにも安堵した。
 近所の住民の中には玲児が県庁職員だという事を知っている者もいた。というのは誰かが建築中、不動産関係者から今度入居する人物について訊いたようだった。このような豪勢な新築を建ててやってくるのだから多少の心配があったのかもしれない。
 矢木沢家に対しての周りの住民の意識に変化があったのは彼らがやってきて一年近く経った三月初旬だった。玲児の息子雄一が東京大学に合格したことが近所の噂になったのだ。雄一ははっきり言って三流の私立高校に通っていた。だが、彼が東大に合格すると校舎の正面に「矢木沢雄一君東京大学理学部合格」という垂れ幕がかけられたのだった。その私立高校に通っていたこの地区の生徒の話から雄一が東京大学に合格したことが知られることになったのだ。
 そのことで玲児や聡美にもそれなりに変化が生じた。玲児は、いつの間にか県庁に勤務するキャリアに違いないと思われるようになった。また、ほぼ毎日午前十時頃からプジョーで出かけ午後二時過ぎに帰ってくる聡美は家族の介護のため病院に通っているのではないかという噂だったが、カルチャーセンターか短大などで非常勤講師でもしているのではと噂されるようになっていた。
 要するに「何となく奇妙な家族」から「理想的な家族」と思われるようになっていたのだ。

 だが、実は聡美は平日はほぼ毎日十数キロ離れた田園地帯にぽつりと建っているアミューズメントセンター内のパチンコ店に通っていた。また一方、聡美との仮面夫婦だった玲児は休日の自宅での昼食が苦痛でたまらなかった。子供二人の前で良き夫婦を演じるため、にこやかに会話を交わすことがこの上ない苦痛だった。いつも帰りが遅い子供達だったが、休日はどういうわけか終日家にいることが多かった。そのこともあり、玲児は休日にはいつも図書館に出かけるようになった。図書館にいる玲児をたまたま見かけた住民の話から、玲児は近所ではキャリアで読書家というようになっていた。
 玲児は休日に冷暖房が完備されている図書館に出かけるルーティーンは我ながら名案だと思った。鬱陶しい妻からは逃げられるし、面倒くさい子供達からも解放されるのだった。そればかりではない。この世知辛い世の中で、図書館の司書ほどやさしい人種はいないことを玲児は知ったのだ。
 何でもいい、適当に「ビザンチン文化の建造物」と言えば、懸命に適切な書物を探してくれる。あれこれと司書と一緒に館内を歩くのも楽しいし、会話も沈んだ心に活気を与えてくれる。今では半径十キロ以内にある三つの図書館を適当に梯子しており、二十代から六十代の七、八名の司書とも親しくなった。
 年齢を重ねた博学の司書には脱帽することもしばしばだが、若い司書の中には未熟な女性もいて、こちらから教えることもあり、そのことでさらに会話が弾むこともあった。中でも玲児は若い志木房枝がお気に入りだった。
先日のことだが、今まで数回、「縄文時代と弥生時代」についての話で盛り上がったので、すかさず
「来週上野の国立博物館に行きましょうか?」
と誘ってみると
 「はあ?」
と、房枝はさっと仕事の顔に戻り
 「失礼します」
と言って離れて行った。その場を図書館を書物とは無縁の生活の場にしている連中達から「校長」と呼ばれている高齢の男性に見られた。その男性はニヤリとしながら玲児に近づいてきて
 「あの若い娘がお気に入りですか?残念でしたな」
と言った。玲児が言葉に窮してると
 「今はもっと手軽に若い娘と知り合いになれますよ。別に私は変な人間じゃないです。現職の時は、公立高校の校長もしてましたよ。辞めた後も教育委員会でお堅い仕事に就いてましてね。でももうこの歳だ、好きなことをしても罰は当たらないでしょう。どうせ先も長くないんだし」
と言いながら玲児に彼がハマっていることをそっと言った。
 「あのですね、こんなサイト知ってますか?」
と言って「校長」はスマホを取り出して、あるサイトを示した。玲児に知っている筈がなかった。
 「一種のユーチューブだけど、このサイトにアクセスして、気に入ったら登録するんです。そうするとこの娘(こ)に直接いろいろとチャットや質問が出来、彼女から個人的に返信が来るんです。でもタダじゃないです。だけどその分、長い返信やドキリとする写メールも来るんですよ。それがたまらないんですよ」
と嬉しそうに「校長」は言うが、玲児には何が何だかよく分からなかった。ただ「校長」から見せられたその女性の顔にはモザイクがかかっておりよく分からなかったが、その女性の背景にかかっている絵はどこかで見た気がした。 
 聡美も負けてはいなかった。ほぼ毎日来る聡美はこのパチンコ店でも有名になっていた。この店にはいつも聡美の打ちぶり見ながら声をかける若い男がいた。
「おばさん、今日はどうだい?がんばってるかい?おー、いい、やるねえ。でもあんまり台を酷使しないでよ。あんたの旦那じゃないんだから」
「何言ってるんだい。知りもしないくせに。それよりも今日はおばさん、当たりまくりで火照っちゃって、私の体、何とかして冷ましてよ」
と何を考えているのか分からない夫から解放され、ここでは聡美の口からきわどいことも平気で飛び出すのだった。しかも言うだけではなかった。今まで数回この若い男とアバンチュールも経験済みだった。
そして子供達が帰ってくるまでには家に着いており、母親に戻るのだった。

そんなある日、郵便ポストに雄一がほんの一時期通っていた予備校から早速東大合格のお祝いレターが届いていた。その文面からして、この予備校にしても東大合格を出したことにとても喜んでいる様子が伺えた。
その時、聡美は雄一の若いイケメン担任の高田一夫にお礼の一言も言っていなかったことに気が付き、早速高校へ電話を入れた。幸い高田は職員室にいたようで、聡美は早速お世話になったお礼を彼に述べた。
高田は聡美に対して「いやあ、雄一君の努力のたまものですよ」なんて嬉しそうに言ってくれるものと思っていたが
「あ、それは良かったですね。欠席が多くて卒業が出来なくなるかと思って冷や冷やしていたもんで、ホント良かったです」
と意外なことを言った。一瞬聞き間違いかと聡美は思った。いつも聡美より早く家を出ていた雄一が欠席が多く卒業が心配だったという言葉は受け入れ難かった。そんな聡美に彼はさらに
 「向こうさんから何かその後ありましたか?」
とまた奇妙なことを言い出すのだった。しかも声を潜め受話器に口を押し当て話している様子が感じられた。
 「それどういう事ですか?」
と反射的に聡美は言った。
 「あ、ご存知ないのですね」
 「私、学校に伺ったほうがいいでしょうか?」
 「事が・・事が大きくなってしまうとまずいのでよかったら駅近のファミレスはどうですか?」
と彼は予想もしないことを言った。仕方ないのでその日、プジョーを飛ばし指定のファミレスに行くと奥の席で見覚えのある高田は待っていた。
 聡美はまだ頭が混乱していたが、コーヒーを注文するとすぐに
 「雄一が欠席が多く卒業が心配でしたと言う先生の言葉がまだ信じられないのです」
と訊きたいことが山ほどあったが、まずこのことの確認をした。
 「本当は担任として欠席があれば家庭連絡をすべきだったんですが、「家に電話連絡したらオレ、マジキレるからな」と雄一君に凄まれてどうしても家庭に連絡する事が出来ませんでした。大事な大学入試も控えていましたので、連絡する事で彼のやる気や集中力も切れてしまうことも私自身、恐れていました。そうは言っても欠席数オーバーで卒業できない事態を想像すると夜も眠れない日々が続いていたのです。こんなことは教師として言い訳すらならないことは重々承知しておりますけど・・・」
と言う彼の言葉に聡美はどう言えばいいか分からなかったが、
「でももう卒業が出来ないという事はないのですね?」
と聡美は肝心なことを確認した。
「それは大丈夫です」
と彼は言ったが、さらに何か言いたそうだった。少し沈黙があった。聡美は気を取り直し、もう一つ肝心なことを訊いた。
「それに先ほど電話で、向こうさんから何か連絡がどうのこうのっておっしゃってましたけどあれはどういう事なんですか?」
「相手方によると、雄一君は同じ町内に住む本校生の岡戸良子につきまとい行為をしていたらしいんです」
「雄一がストーカーのようなことをしていたとおっしゃるのですか?」
 「二学期の半ばでしたが、岡戸良子が私のところに来まして、うちのクラスの矢木沢雄一君から付きまとわれているので何とかしてくれと言われたんです。翌日放課後、相談室で雄一君から事情を聴いたところ「オレは岡戸が本校で張り出される英語の実力考査でいつもトップなので、点の取り方や効果的な英語の勉強の仕方を聞いていただけだ。そのオレをお前はストーカー呼ばわりするのかって暴れましてね。私は日ごろ大人しい雄一君の豹変ぶりに、震え上がりました。そしてひたすら事が沈静して行くのを祈るしかなく、とても自分から家庭に問い合わせることなんか出来ませんでした。そうしてるうちに雄一君の欠席がどんどん増えて行ったのです」
と言いながら高田の目は真っ赤に充血していた。
「要するに雄一君がキレるのが怖くてどちらのことも家庭に連絡する事が出来なかったのです。情けない担任です。教師失格です」
と言いながら高田は必死に涙をこらえているようだった。向かい合って座っていた聡美だったが、いつも間にか高田の隣に座っていた。
「その後、岡戸良子さんから再度何か言われました?」
「いいえ、あれ以来ないです」
と言う高田の言葉に聡美は少しホッとした。そして
 「先生、元気を出してください。私、言ってもらったことに感謝してるんですよ。その時、私たち保護者に告げられても正直何もできなかったと思いますよ」
と聡美は正直に言いながら体を少し高田に預けていた。パチンコ店の店員には丁々発止気の利いたことも言えるが、さすがにこの場では上手く言葉が出てこなかった。だが気持ちは高ぶっていた。
 「静かなところへ行きましょうか」
と言う聡美の言葉に高田は一瞬好色な笑みを浮かべたが、聡美はそれを見逃した。

 数日後、矢木沢宅に夕食前、思いもよらぬ来客があった。それぞれカブに乗った二人の警察官だった。応対に出た聡美は腰を抜かすほど驚いた。とっさに先日、高田から聞かされていた雄一のつきまとい行為を思い浮かべたのだ。雄一は自分の部屋にいるはずだった。だが、警察官は思いもよらぬことを言った。
 「駅前の銀行から連絡が入りましてね」
 「はあ?銀行から?」
と聡美はオウム返しに言った。
「ええ、どうもお宅の娘さんが最近しばしばATMの前に立って通帳の残高照会をされているばかりでなく、スマホを出していろいろと操作をされているのを銀行員が見かけてましてね。念のため警察に相談があったのです。最近あの手の振り込め詐欺が多発しておりますので、一応保護者の方もご存知か確認に伺わせていただいた次第です。娘さんのお母さんでしょうか?」
 「はいそうです。ああ、大丈夫です。娘の明奈はしばしばネットやフリマなどで買い物をしていますので、その関係で残高照会をしているのだと思います。そのことは保護者の私も父親も承知いたしておりますので」
と聡美はとっさに適当な思いつきを言った。警察官はそれ以上聞くこともせず、立ち去って行った。
 警察官は雄一のことではなく、明奈のことで来たのだったが、聡美には心当たりがなかった。明奈は自分の部屋にいるはずだった。今来た警察官の話の確認に明奈の部屋に行こうとしたが、途中で足が止まってしまった。自分の行いが明奈に知られていないという保証はなかった。そのことに気が付いたのだった。
 そう言えば明奈が先月、英検の申し込みをする際、願書に添える写真は自撮りすると言ってカメラスタンドをネットで購入していたことに聡美は違和感を覚えたことを思い出していた。
 それに、今警察官が来たことを部屋にいた雄一や明奈が気づいたかどうかははっきりしないが、近所の誰かが二人の警察官が我が家にやって来たことを見ていたことはっきりしている。それにこのことが近所の噂話になることも確かだった。
 実際、雄一は二階にある自分の部屋から警察官がやって来たのを見ていた。彼も聡美と同様、岡戸良子に対するつきまとい行為でやって来たと思い耳をそばだてて聞いていたが、自分ではなく妹のことで来たことにそれほどの驚きはなかった。

 オレはうだつの上がらぬオヤジをずっと見てきた。かなりの額を相続して腑抜けのようになっている無能なオヤジのようにならないためにどうすればいいか考えてきた。しかしながら、公立高校受験に失敗し、いわゆる三流私立高校に行くことになった自分の無能さを改めて思い知らされた。
一時自分はオヤジ以下ではないかとさえ思ったが、何とか自分を立て直し、「三流大学の出身です」が口癖だったオヤジのようにならないために、オレはまず第一に、国立大学合格を目指した。それがいつの間にか東京大学合格をイメージするようになった。実際、オレは反吐が出るくらい勉強した。幸い、遺伝のおかげだと思うが、オレはもともと数字や計算が好きで、数学的思考や数学的センスには恵まれていた。難解な問題でも見ていると自然に解き方が透けて見えてくるのだった。これは物理や化学にも繋がっており、このことに関してはオヤジやおふくろに対し感謝以外の言葉を知らない。
 だが、難敵は英語だった。これには数学的思考も役には立たなかった。そういえばある時、オヤジが「英語さえ出来ればオレも・・・」と一人呟いていたことを聞いたことがあった。オヤジも英語、特に受験英語には苦労していたのだ。とりあえずオレは英文読解問題を繰り返し、リスニングでは頭がクラクラし千鳥足になるくらい何時間も集中してやってみた。だがイマイチ手応えを感じることが無かった。それで、英語ができる岡戸良子にアドバイスを求め、昼休みや放課後、何度もアプローチを試み、さらに近所の彼女の家まで行ったことさえあった。そのようなオレを彼女はつきまとい行為ととったのだ。
また、オレの勉強のやり方として、数学でも物理でも英語でも解けなければ解けるまで通学駅のプラットフォームから出なかった。少なくとも納得できる筋道を見つけるまではベンチに座ったまま動かず、学校にも行かなかった。
 だが、ともかくそのようなやり方でオレは東京大学の入試を突破した。また、そのことを結果として近所中に広めたのが近くに住む岡戸良子なら皮肉なことだ。
 しかしながら、オレの大金星によって明奈はプレッシャーを感じたのか、何となくいじけて行ったようだ。まるで中学生のようなベビーフェイスだが、ドキリとするようなモディリアーニの絵画を部屋に飾ったりもした。そんな明奈にとって東大合格を勝ち取ったオレは身近な存在ではなくなったのかもしれない。オレを微妙に冷めた目で見るようになり、何となくオレを避けるようにもなった。そのこともあり明奈が密かに何かしている事はオレは薄々知っていた。
 さらにオヤジはオレへの当てつけのようにますます「オレは三流大学出身だ」と言うようになった。「トンビが鷹を生んだ」と電話で自嘲気味に言うのを何度か耳にするようにもなった。
 とにかくこの家族は異様な家族だ。それぞれがとてつもない秘密を抱えながら生きている。
 先日のことだが、おふくろが今夜の献立を考えるためか朝刊のチラシを振り分けていた時、アミューズメントセンターにあるパチンコ店の派手なチラシを目にした時、「キャー!」って悲鳴を上げた。オレも妹もビックリしたが、オヤジは何事も無かったかのように平然とモカを飲んでいた。ホント、この家族はクレージーな家族だ。
 だが、オレはオヤジやおふくろが思うほど変人ではない。それどころか誰よりもこの家族のことを心配しており、たとえ近所の「笑いもの家族」になろうが、この家族とともに生きて行くつもりだ。
それでもどうしても分からないことがある。それはオレたち家族がこの地区にやって来て以来、毎月送りつけられる差出人不明の手紙だ。中にはいつも犬・猫・小鳥などのペット霊園のチラシが入っている。ウチには犬や猫などペットはいなし、何のために送ってくるのか全く分からないが、嫌がらせに決まっている。オレはオヤジ、おふくろに代わり、警察に相談に行こうとも思ったが、取り上げてくれるとは思えない。
先日、もうそろそろ郵便ポストに入ってる頃と思ったら案の定入っていた。いつものように引き破り中を見たのだがいつものチラシではなく写真が入っていた。それに用紙も入っていたので思わず差出人を見ると、ニッポンコンフォートハウスとあった。この家を建てた会社だった。用紙には「工事施工一周年記念に、完成した日の貴家の写真を送付いたします。今後も御贔屓に・・・」とあり、正面からの我が家の写真が同封されていた。何気に見ていると、ウチの三階建ての大きな家の陰に全体がすっぽりと覆われ、日が当たらず薄暗くなっている隣の平屋の玄関付近に、小鳥の鳥かごがぶら下がっているのが映っていた。

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