ご近所ミステリー 21 ひょんな自治会長

あらすじ:
 ひょんなことから自治会長になった鰐淵幸三だが、住民も彼についてあまりよく知らなかった。だが彼は自治会長として彼なりに動くのだった。そんな彼には持病の腰痛があり通院することにしたが、その病院で同じ住宅地に住む看護士の新条由香子と親しくなる。しかし・・・
ご近所ミステリーの第二十一弾です。読んで頂ければ幸いです。 

 いわゆる団塊の世代と言われる住民が目立つこの眠ったような住宅地で自治会長をしている鰐淵幸三はまだ五十代半ばで、定職がある訳ではなく何をしているのかよく分からない不思議な人物である。その妻である澄子も癖のある人物であった。であったと言うのは数年前に彼女は他界していたからだ。
 そんな幸三はひょんなことから自治会長になったのだった。
 半年ほど前行われた年度末の総会において、当年度の会計報告そして次年度の活動方針や新役員の紹介等が無事了承され、総会が終わるかと思われた時、いつものように四十代半ばの吉坐喜一郎が手をあげ
 「私常々思っていることですが、わが国では至る所で大きな地震が頻繁に起こっており、この地が直下型地震に見舞われますと、高齢者が多いこの住宅地は大混乱になるのは目に見えています。従って、毎月第一日曜日には地震が来た時のために避難訓練を住民全員で行うべきだと思うのです。しかも日本の周辺地域の不安定さはますます増してきており、普段からこのような訓練を実施しておれば有事の際にも必ず役に立つと思います。また、そうすることにより隣近所の住民ばかりでなく地域の連帯感も増し、お年寄りもより安心して生活できる場になると思うのです。会長、そう思いませんか?」
といきなり言うのだった。
 吉坐の性格はよく分かっている高齢の自治会長だったが、あまりにも唐突な提案にしどろもどろになり 
 「吉坐さんの提案はもっともな事とは思います。しかし」
とまでは良かったが、そのあと言葉が続かなかった。口の中でもぐもぐと言った後
 「住民全員で、と言ってもそれぞれ都合もあると思うので」
という自治会長の言葉を遮り、吉坐は
 「事が起こってからでは遅いんですよ!今日決まらないなら、来週再度総会を開いてもらい話し合いましょう!」
と声を荒らげ言った。幸三を含めかなり多くの住民が出席していたが、特に意見を言う者はいなく来週再度話し合う事となった。

 再度開かれた総会でも吉坐は自分の主張を繰り返したが、前回と同様、意見を述べる住民はいなかった。というのもこの吉坐はいつもこのような場に限ってあれこれと発言することで有名で、多くの住民は一人もんで周りから浮いている彼と関わりを持つことを避けているのだった。それにたとえ彼の言う事に一理あるとしても、いざ実施するとなると様々な人間関係が絡んでくることにもなり、困惑している表情が多くの住民の顔に滲み出ていた。
 自治会長が以前と同様言葉に窮していると、吉坐は
 「やり方として、まずこの自治会を五つのブロックに」
と具体的に言い出し多くの住民からため息が上がった時、幸三がさっと手をあげ
 「吉坐さんのご意見は正論だと思います。でも今はまず各家庭において食料の備蓄やいざという時の携帯トイレや各家庭なりの電源の準備などをしたり、万一の時の連絡方法のさらなる徹底などをしておくことが最優先だと思います。自治会全員の避難訓練と言うのはその後考えてもいいと思いますが」
と言った。それに対して吉坐は予想通り 
 「そんなお役所仕事のようなことを言ってるからダメなんだ!思い立ったが吉日、備えあれば憂いなしで、至急実施すべきだ!」
と感情的になっていた。今までもそうであったが、反論されるとムキになって自分の意見を押し通そうとするのだった。誰も反論しないので、幸三がさらに反対意見を言わざるを得なかった。そして最後には
 「オレが思いつきで言ってるとでも思っているのか!」
と吉坐は机を叩き捨て台詞を吐いて出て行き、総会は流れ解散になった。
 このような事態になったせいか、数日後自治会長は体調を崩し役を降りることになった。そういった時は、副自治会長が会長になることが規約にあったが、女性の副自治会長はかたくなに固辞したので、数日後臨時総会が開かれ、出席者の互選で幸三が自治会長になったのだった。
 しかしながら幸三も住民たちの間でもよく分からない人物であった。近隣の市でベアリングなどの部品工場を経営していたが、半導体などのハイテク技術の進歩によって倒産したらしいという噂もあったが本当かどうかは定かではない。いずれにしろ、お互いあまり干渉し合わない空気感のあるこの住宅地にあっては、ことさら話題にする住民は多くはいなかった。しかもいつも人を見下すような言い方しか出来なかった彼の妻は近所とは没交渉だった。言い換えれば誰も妻に寄って来なかったのだ。幸三に子供はなかったが、このような妻との間に子供が欲しいと思わなかったのだ。妻は最後は自宅から旅立ちたいと言ったので自宅で葬儀を行ったが、弔問客は近所では自治会長と副自治会長だけだった。

 とにかく、自治会長になった幸三はまずこの地域のことをよく知るためか、毎日夕方には近所一帯を二時間ほどかけて散歩するのがルーティンになった。
 そういった中で、幸三は以前にも増して空き家が増えていることに気づいた。先日、ずいぶんと言い合った吉坐の東隣りの家も空き家になっているようだった。その家や吉坐の家を眺めながら、散歩していると二人の主婦が道端で立ち話をしていた。幸三は彼らの名前など知らなかったが、彼らは幸三を認識したのか二人とも彼に軽く会釈をした。
 「会長さん、いつもの散歩ですか?」
とその一人が幸三に声をかけた。
 「ええ、ひどい腰痛持ちで運動は出来ないので、せめて散歩くらいはした方がいいと思ってね」
と幸三も答え軽く世間話をしながらその場を離れたが、背後から「吉坐」の名が二回ほど聞こえてきた。吉坐はこのあたりでも有名人のようだった。
 さらに半月ほど経った頃、いつものように散歩していた幸三だが、吉坐の西隣りの家の郵便受けにはダイレクトメールなどがあふれており、この家も空き家になったのかも知れなかった。幸三はふと吉坐が総会での発言の中で近所の住民との連帯感などと強調していたのは、あのように言う事でわざと引っ越すように仕向けたのかもしれないとも思った。

 ところで、相変わらず幸三の腰痛はひどく、我慢できなくなった彼は、隣りの市にある整形外科医院と接骨院とが一緒になっているような比較的大きな専門病院に行くことにした。事前にネットで調べたが、口コミの評価も高かった。
 中年の院長に診てもらったが
「レントゲンを撮って、必要ならけん引や電気や鍼などいろいろやってみましょう」
と言ってくれた。そしてレントゲンの結果、まずは腰部に電気療法を施すことになった。カーテンで仕切ったベッドに横たわると看護士の女性がやって来た。その時彼女の表情が一瞬動いた気がしたが、目元まで深くマスクをしていたのではっきりとは分からなかった。だが、何となく感じるところがあった。彼女は
「痛ければ言ってください。このくらいでいいですか?」
と電気のレベルを聞いたがそれ以上は言わなかった。その後、痛みのある部分に大きなシップを貼ってくれた。
 数日後、行くと先日と同じように電気を当ててくれた後、院長の指示で背中から腰のあたりまで彼女にテーピングをしてもらった。そして
「少しは良くなりましたか、会長さん」
と言われ幸三は驚いた。やはりどこかで見た女性だと思ったのは間違いではなかったのだ。
 「散歩の時は痛むんですか?」
と言われやっと分かり「あっ」と小さな声を出すと
 「今までお気づきじゃなかったんですか?私、同じ自治会の新条由香子です」
とその女性はマスクを外し笑っていた。あの吉坐の家の付近で立ち話をしていた四十代半ばの女性の一人だった。
 「あ、それはどうも、お世話になっています。ええ、散歩の時は意外と痛みは無いんです」
と言いながら住宅地内で見かけた時は何も感じなかったが、このように次元の異なる場所で顔を合わすとやたら色っぽく感じるのが不思議だった。<女日照りが続いているためか>と白衣に視線をちらつかせながら年甲斐もなく思う幸三でもあった。
 吉坐の近所の事も改めて聞きたかったが、この場で世間話をすることは憚れたし、気の利いたことを言う事も出来ない幸三だった。だが、由香子の方から
 「吉坐さんの西隣りの家も空き家になっていることをご存知ですか?」
と言ってきた。
 「やっぱりそうですか。以前からあの住宅地には空き家がありましたけれど、最近吉坐さんの辺りばかりでなく、あちらこちらでも空き家が増えてきた感じがしますよね。いわゆる団塊の世代が少しずつ他界されているからでしょうか?私も他人事じゃないですけど」
 「他界だなんてそんな言葉いやですわ。会長さんはまだまだお若いんだから遊ばないと損ですよ」
 「遊ぶと言ってもこんな年寄り誰も相手にしてくれませんよ」
「まあよくおっしゃる。私は会長さんのファンですよ。そうだ、私は滑り止めでいいですよ」
「そんなもったいないことを」
 「ほんとですよ。亭主は数年前に逝ってますし。二人の子供も独立してますしね」
と言いながらマスクを付け直した由香子は看護士の顔に戻っていた。
 病院を出ながら、褒めちぎられた幸三は嬉しい気分だったが、由香子のあの言い方は何かを狙っているような気がしてならなかった。
 とは言え、いつものことながら夜一人、テレビ相手に味気ない夕食を摂っていると、久々に生身の女性と話をしたという不思議な感覚が生々しく蘇ってくるのだった。艶っぽく感じた由香子を想うと若い時のように、息苦しささえ覚えた。
思えばここ何年か幸三は近所の住民と殆ど会話らしい会話などしたことも無く、一人が当たり前だった。だから総会で吉坐が言ったように近所でまとまって何かするなんて彼自身も考えられない事でもあり、吉坐への反論は他の住民の代弁者としてではなく、実は彼の意志でもあった。

 今も週二回電気療法のために病院に行くが、由香子が来てくれないとその日一日が無為な日に思うようになった。
その日、幸い由香子がいて、電気治療を受けた後、彼女に腰部に大きなシップを貼ってもらった後
「どこかで食事しませんか?」
と思い切って言ってみた。由香子の顔に一瞬ネガティブな気色が浮かんだようで、ガクッと来たが
 「どこかで食事も悪くはないですけど、ウチではだめかしら?ご存知かも知れないけど吉坐さんの西隣り三軒目の小さな家ですわ」
とだけ由香子は言ってすぐにその場を離れた。
翌日の夜八時頃、そっと由香子の家に行き、用意されていた食事に目を向けることも言葉を交わすことさえ忘れ、二人は狂おしいほどの甘美な時間を享受した。だが、その後「力になってほしいわ」と言う微かに聞こえた呟きが、何故か重い宿題を背負ったような気がし、帰り道の足取りは軽くは無かった。だが夜が明けると、由香子のたおやかな温もりを思い出し、絶えず息苦しさを覚える幸三だった。
その夜、一人夕食を終え、酒の肴にもならないくだらないお笑いのテレビ番組を見ていると、無性に由香子に会いたくなった。幸い由香子は今は一人暮らしだった。会えなくとも彼女の家のそばに行くだけでも心が癒えるような気がした。薄明かりが漏れる吉坐の家を通り過ぎ、由香子の家に近づいたが、明かりは無く不在のようだった。闇の中の沈んだような由香子の小さな家を見ながら何故か息苦しさは無くなり我に返ったような気分だった。
来た道を戻り吉坐の家の近く来た時、見慣れた宅急便の軽バンが幸三を追い抜いて行った。何気にその方を見ると吉坐の東隣りの家の前に停まり、段ボールのようなものを玄関口に置いていた。その後、軽バンはすぐさま走り去って行った。
 その音が消えて行くまで、幸三は薄明かりが漏れている吉坐の家の前で立ち尽くしていた。

どこの悪党も考えることは同じだ。オレと吉坐、傍から見れば対極と見る住民もいたかもしれないが、所詮同じ穴のムジナなのだ。そのことが由香子は臭いで分かったのかもしれない。あの夜、ベッドの中で「力になってほしいわ」という由香子の微かな呟きは深入りしてしまった吉坐から逃れるためのSOSだったのではないだろうか?その時、オレにその力が無いと由香子は直感で悟ったのだ。その由香子は今あの薄ら明かりが漏れる吉坐の家にいるのではないだろうか。オレは二人が絡む痴態を妄想しながら家に帰るしかなかった。

 数週間後、新聞に「自治会長の裏の顔」という見出しで事件が報道されていた。それによると、多額の借金を抱えていた自治会長の鰐淵幸三(55)は、空き家宅とその名義を利用し、キャリングケースに詰まった違法薬物をネットの闇ルートから取り寄せ、ネットなどで販売していた容疑で逮捕された。鰐淵幸三は宅急便の時間指定の置き配を利用し、住宅地内にある空き家に荷物を届けさせ、こっそり受け取っていたと見られる。さらに鰐淵幸三は地域内の空き家情報を無免許の不動産業者やいわゆる地上げ屋や占有屋に流し報酬を得ていたという疑いでも警察は調査している模様。
なお、数日前、宅急便業者から違法薬物の臭いがする小荷物があるとの連絡を受けた警察は、空き家宅に置き配された荷物を見張っている時に現れた隣りの吉坐喜一郎をすでに逮捕しており、調べている中で、同じように空き家宅に時間指定の置き配の手配をしている鰐淵幸三が浮上し、取りに来た現場で逮捕に至った模様である。

なお、吉坐の元グルだった新条由香子も吉坐に脅迫されていたとはいえ、吉坐の隣りの空き家に置き配されていた不法薬物をこっそり受け取り、吉坐に渡していた共犯者として警察の取り調べを受けていることは新聞には載ってはいなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?