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あをぞら 3

雪音

 昼を過ぎたころから風雪は強まっていた。山間の国道では車道が見えなくなることもあった。ちいさな集落を過ぎてから十キロほど登っていた。高度が上がるほどに風と雪は烈しくなる。危険を感じて峠越えをあきらめた。激しく動くワイパーの隙間から林道の入り口が見えた。そこで風がおさまるまで待とうと判断した。たぶん翌朝までは動けない。風が凄まじい音を立てながら木々を煽っている。大型カメラや三脚などの撮影機材、キャンプ道具など、かなりの荷物を積んでいるけれどもワンボックスの車は揺れる。
 撮影の仕事をしていれば、こんな事態は珍しくない。数えきれないほどとは言わないが、たびたび経験することであった。対処法はいたってシンプル。躰が危険を感じた時には動かないことだ。じっとがまんをしていれば、黒い雲はかならず通り過ぎる。

吹き

 夜は吹きに吹いた。
吹雪が止んだ朝。空は真っ青に晴れわたって雲もない。峠に立てばどこまでも見渡せそうな純白の景色が広がっていた。雪を担いだ二十軒ばかりが見える。カメラマンの指向とでもいおうか、小さな集落を目指して峠を下って行った。この土地は山間の豪雪地として知られている。真っ青な空をカラスが鳴きながら飛んでいく。ほかには何にも聞こえない。降り積もった雪が音を遮断したかのよう。小型カメラを肩に提げて歩いた。
腰の曲がった婆っちゃが、いかにも躰をいたわるような動作で玄関先の雪を掻きだしている。屋根には新雪がやわらかな曲線を描いていて、水墨で描いた雪景色のようだった。

雪片


おはようごじます、と声をかければ「あーい、よう降ったね」と気安い声が返ってきた。きっと近所の誰かと間違えている。それが証拠に私が近づくにつれて、しげしげと顔を覗き込んでくる。庭先の物干し竿にカンジキがぶら下がっていた。二つ。使い込まれているらしく留め金が銀色に光っている。
話し声に誘われたのか「どーれ」と暗い部屋の中から爺っちゃが出てきた。見知った者にするように軽く顎をしゃくった。空を仰いで眩しそうだ。「いい日和だの」とひとりごちた。のちに判ったことだが御年八十二歳。高齢とは思えない張りのある声である。すぐその後に、タイミングを見計らって舞台の袖から登場した柴犬が私に吠えかかった。爺っちゃが「こーれ!」と叱る。婆っちゃがホッホッと軍手の手を口に添える。二人の笑う声が集落の静けさへ出ていく。
「どっから来たの」
「家は東京ですけど、ゆうべはこの上の道路脇に車を停めて寝ました。雪も風もひどかったから」
「観音堂に詣りに来たんかと思ったが、の」
「観音堂があるんですか」
「そう、遠くからもおいでになるよ、有名でよ、まあ、冬場は来ねぇけど」
 隣村から二十一のときに嫁に来た、と話した婆っちゃが茶を入れてくれた。上がり框に腰かけていただいた。板壁に雨合羽がふたつ並んでいる。

行き


「ゆうべのような日はどうされているんです?」
「じっとして何んにもしねえ、テレビも映らなくなるし、の」 
四人の子どもは千葉と埼玉に住んで家族があるという。孫には恵まれて七人。
「めったに帰ってこられねえな、仕事忙しいって、よ。ケータイ持たされてんだけど、鳴りもしねえ」
 
 カラスの鳴き声と吠えかかった犬と、沢から引かれた融雪水が道路を下る音を聞いただけの、静かに過ぎる集落だった。もう一杯、茶を勧められたけれども、礼を言って辞した。
「またおいで、こんどは夏のいいときに来てくんね」

水音を踏んで観音堂の前に立った。木造のお堂は高床になっており、豪雪に構えているらしい。ふと、こんな静寂を経験したことがあっただろうか、と眼を閉じてみた。耳鳴りともつかない音…脈を打つ搏動がきこえてきそうな…胎内まで戻っていけそうな感覚…。それから、「夏のいいとき」の線香の匂いと鉦(かね)の音を聴いた。

積雪


もと来た坂道を登りながら婆っちゃに訊けなかった後悔が浮かんだ。カンジキのことである。二足のカンジキを、老いた二人がどんなふうに使うのだろう。「また来ます」と、から返事をしたときに質問が飛んでしまった。気のない返事をもう一人の自分が見つめていることに気づいた。青空を背負った雪面にとつぜん影が射したのだ。その気まずさのせいで聞き逃した。
峠に上り詰めて車を降りた。集落を見渡せば銀色に輝く深い谷の、雪に埋もれた老夫婦の家が、しん、として私を見上げていた。

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