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【短編小説】彼女の知らない罪

 夏休みを迎えたというのに7月下旬の学校は賑やかだ。グラウンドでは野球部のノックの音が聞こえる。水泳部の声がプールの匂いに混じっている。夏期講習の休み時間に教室で喋っている生徒もいる。私、石川希は秋に行われる文化祭準備のために登校した。

 廊下を歩いていると、同じく準備のために来ている生徒がたくさんいるのがわかる。ジャージ姿で衣装を作っている女子は部活の合間に来たのだろうか。看板や大道具が廊下まで迫り出してきて、クーラーの風がペンキの匂いを運んでくる。まだ朝の10時半だというのに、工具の代わりに箸を持ってコンビニの冷麺を食べている男子がいる。夏休みは自由だ。

 図書室横の掲示板には文化祭のポスターが日に日に増えている。掲示板一面に紙が貼られていて、一学期の案内はポスターの裏に隠れてしまっている。ポスターは目立たなければならないのだ。うちの高校は文化祭に熱心。

 巨大迷路“グラウンドにダンジョンが出現!”

 ビデオ映画“カジノ王”

 流しそうめん“君は激流の素麺をすくえるか?”

 女装コンテスト“美女だらけ”

 個性的な企画が多いのが、うちの高校の特徴だ。それにしてもすごい。

 私は図書委員会に所属している。図書委員会の出し物は古本市。なので、いらない本を家から持ってくるというクラスメイトと待ち合わせをしている。

 待ち合わせ場所である図書室のドアを開けようとすると、どこかで消火器のサイレンが鳴っているのに気付く。結構大きい音だ。

 ……と、すぐに止まった。

 文化祭の準備でテンションが上がった生徒が押したのだろうか。誤報で良かった。今度こそドアを開けようとする。しかし、

「違法よ! 法律違反、わかってる?」

 次は司書の山田先生の怒鳴り声だ。図書室の中から聞こえる。高い声で耳がキンキンする。

「こんなものコピーしちゃ駄目よ! 二度としないで」

「すみません……」

 激しく怒られているので、思わず図書室のドアにかけた手を引っ込めた。途端に。

 バタン

 ドアが開き、俯いた女子が飛び出してきた。重そうなカバンを肩にかけ、ボブの髪を振り乱しながら、廊下をかけて行く。その後を山田先生が全くもうと言いながらツカツカと歩いて出ていく。

 何だったんだろう。

☆☆☆

 これはノート?

 図書室に人は誰もいなかった。なので、ピンク色のノートが落ちているのが、すぐに目についた。コピー機の横。さっき山田先生がコピーがどうたらと怒っていたので、飛び出していった女子の所有物だろう。

 ノートを拾い上げて中身を見ると少女漫画だった。といってもラフな下書き。ネームというものだろうか。頁をペラペラとめくると、見開き2ページで男女が向き合い、女の子が好き……と言って告白してキスしている。私は慌ててノートを閉じる。

 これは落とし物BOXに入れて良いものではない……と思う。でも、ノートにびっしり書かれた漫画のアイデア。持ち主に届けたい。ここに放置しておく訳にもいかない。待っていたら来るだろうか。駄目だ。私は彼女の顔を見ていないのだ。でも、コピー機横で待っていて、探しに来た人がいたら彼女なので、渡せば良いか。

 私はコピー機横の机にカバンを置いて陣取る。そして、椅子に腰かけて頬杖をつく。そろそろ古本市のポスターを書かなければ。キャッチコピーは何にしよう。外の掲示板には目を引くキャッチコピーがたくさんあった。古本市、古本、本、漫画……少女漫画。うむ、彼女のことが頭から離れない。

 ガチャ

 ドアが開く。クラスメイトの高梨くんが紙袋いっぱいの本を持って現れた。

「石川さん、お待たせ」

 待ち人来ず。いや、本来は高梨くんと待ち合わせをしていたんだけど。

「暑いね、こんな日はアイスキャンディーでも食べたいね」

 高梨くんは高校生らしからぬ中年太りの腹をさすっている。カバンからはお徳用ポテトチップスの袋がはみ出している。バレーボール部の万年補欠と聞いたことがあるが、なるほど確かに引き締まってはいない。アタックとか飛べるのだろうか。

 しかし、紙袋から出されたのは意外な内容だった。

☆☆☆

 哲学書、化学書、宇宙学書、法学書……難しそうな本ばかりだ。英語で書かれた化学雑誌まである。

「高梨くん、こんな難しい本を読んでいるの?」

「うーん、僕は一度読んだ本は大体覚えちゃうから……そんな難しいかな?」

 高梨くんはタオルで汗を拭いながら、あははと笑う。その姿はまるで営業中のサラリーマン。なのに、まさかの天才か。

「高梨くんは確かに成績いいけど、学年トップとかではないよね? ……あっ、ごめん」

 眼の前の本に驚きすぎて失礼なことを言ってしまう。でも、高梨くんは意に介さないようだ。

「全然いいよ。実際テスト勉強は特にしないし、授業もそんなに聞いてないし」

「それで良い成績を取れるの? 私なんて必死に勉強しても無理だよ」

 私は宙を仰いだ。高梨くんはポリポリと頭を掻く。

「教科書はだいたい全部覚えてるんだよね。ケアレスミスしちゃうから、テストで満点は取れないけれど」

 宇宙人と会話している気がしてきた。クラクラする。クーラーが効いていて暑くもないのに。本題に戻ろう。古本の話に。

「あ、本ありがとう。図書委員会にご協力いただいて感謝します。えっと、受領確認をさせてもらえるかな?」

「うん、わかった」

 本を出してタイトルを紙に書き出していく。まずは“刑事訴訟法”。法律書、法律、違法、法律違反……

「ねえ」

 怒られた彼女は戻ってこない。もう小一時間が経とうとしている。私は高梨くんに事の顛末を話す。

☆☆☆

 高梨くんは腕を組んで私の話を聞いていた。話が終わると、頷いてからケロッとした顔ですぐ答えを出した。

「小道具を作っていたんだと思うよ。それっぽい企画もあるし」

 高梨くんに促されて図書室横の掲示板のところに行く。みっちりと貼られたポスターの中で、高梨くんが指さしたのは2年C組のビデオ映画“カジノ王”。

「札束の小道具を使いそうなのは、この企画くらいかな」

 札束と図書室とコピー機に何の因果関係があるのだろうか。私が顔に?マークを貼り付けていると、高梨くんは話を続ける。

「僕はここに来るときに警報が鳴っているのを微かに聞いた。あれはコピー機のものだったんだね」

 警報? そんなの鳴ってたっけ? あっ。

「私、消火器の誤作動だと思ってたけど、あれはコピー機だったの? でも何でコピー機から警報なんて鳴るの?」

「お札をコピーしようとしたからでしょ。コピー機からの警報ってそれしかない。『通貨及証券模造取締法違反』。文化祭の小道具にしたかったんじゃないかな」

 高梨くんはスラスラと法律名を答えた。本当に本の内容を覚えてるんだ。

「『紙幣や貨幣において紛らわしい外観を有するものを製造または販売すると処罰される』んだ。お札をカラーコピーしても駄目なんだよ」

 知らなかった。そして、おそらく彼女も知らなかったんだ。

「そんな法律があるなんて知らなかったよ。知らなくても罪になっちゃうの?」

「まあね。ソクラテスも言ってるよね。紀元前から」

 高梨くんはどうも話を端折る癖があるようだ。ソクラテスが何だって?

「高梨くん……わかりやすく教えてくれるかな」

 高梨くんはあっという顔をする。他のところでも、この端折り癖が出ているようだ。頭の回転が速すぎて、アウトプットが追いついていないのかもしれない。話があちこちに飛ぶ。

「ソクラテスの言葉といわれている『無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり』。無知は罪、知らないだけで罪なんだよ」

 なるほど。知らないのは罪で、知ってるだけでは意味がなくて、知識があって行動できる人は英雄っていうことか。

「ソクラテスは厳しいな。そんなの、高梨くんみたいに法律に詳しい人じゃないと無理だよ」

「法律に詳しくなくてもいいよ。良いのかな? って思ったら、立ち止まって調べるなり聞くなりすればいいんだよ。1万円札をコピー機に並べたら、ちょっとドキドキしない?」

 まあ確かに普段やらないし、万札をそんなふうに扱うのは違和感があるかも。高梨くんは掲示板の紙をペラペラめくっている。そして1枚の紙を私に見せる。

「これだって良いのかな? って思わない?」

 文化祭のポスターに隠れた7月の生徒会の企画。“今年の甲子園優勝校を当てて、食堂の金券をゲットしよう!”と書かれている。

 これはまさか……

「高校野球賭博?」

「うん。『刑法第185条 賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する』だよ」

 この学校は違法トラップだらけか。いや、社会も違法トラップだらけ。知らないうちに罪を犯しているのかもしれない。私は背筋が寒くなる。夏の怪談話よりこっちの方が怖い。

「まあ、これに関しては『ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない』って刑法が言ってるから、微妙なんだけどね」

 微妙か……はっきり違法でなくて良かった。微妙といえば山田先生の怒り方も微妙だった。かなりヒステリックに聞こえた。あの剣幕だと彼女にちゃんと説明したのか怪しい。

 彼女は何が罪なのかわかっているのだろうか。知らないことも罪だとわかっているのだろうか。彼女は知らないまま俯いているだけで良いのだろうか。

 私はさっきのソクラテスの言葉を思い出す。

『英知を持つもの英雄なり』

 行動しなければ。私が知っているだけでは意味がない。彼女が知らないと意味がない。

「高梨くん。悪いけど、ちょっとだけ待っていてくれないかな? 彼女は何が違法だったのか、まだ知らないかもしれない。ちゃんと伝えたいの」

 高梨くんは、じゃあ僕はアイスキャンディーを買って食べて待っているよと言ってくれた。図書室裏のベンチでアイスキャンディーを美味しそうに食べる高梨くんが目に浮かぶ。

 ありがとうと言って私は図書室に戻り、カバンにしまったピンク色のノートを取り出す。ついでに私のメモ帳も取り出す。

 古本市“英知を持つもの英雄なり”

 忘れないようキャッチコピーをメモして、私は2年C組の教室に向かった。

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