Aro自認までいろいろ

最近、私は自分がアロマンティックだと自認するに至った。
デカデカと喧伝したい訳でもないけど、せっかくだし何かに残しておこうと思ってnoteに書くことにしてみる。
今まで誰かに話すことも無かったので、クソ長い話になりそう。しかも、あくまで性”自認”ということで、他の誰かが見た時に、何かしらズレを感じることもあると思う。
まあ、そこら辺は他人の話として『ふーん』くらいの気持ちでお願いしたい。

アロマンティック/アセクシャル(以降aro/ace)、という言葉を知ったのは高校生くらいの時だったと思う。でも、その時は自分がまさかそうだとは考えていなかった。
というのも、実際の記事や診断を見ると、世の中の恋愛小説や歌、ドラマなんかに共感出来ないという項目があったから。

私はというと、普通に恋愛ものは好きだ。共感も結構出来ていた気がする。
だって、普通に男女が出会って互いを好きになって、そこから更に相手のことを知って、最終的にはお互いを大事に思い合えるって滅茶苦茶ステキじゃん? 憧れちゃうね。
キスも手繋ぎも見てて萌えるし、私にもあんなヒーローが居たらなぁと妄想も楽しんだりしていた。
なので、アロマンティックは当てはまらないなと考えていたのだ。
アセクシャルについては、その頃はあまりそちら方面の知識はなかったのでスルーしていた。

しかし、そんな私の自認に転機が訪れた。時期としては、高校から専門に進学して幾年ほど経った頃。
まあ、つまり今。
ここに来て、なんとなく自分の恋愛観がどうにも周りと違うような気がしてきたのだ。
恋愛小説とか読むのは好きだけど、そういえば彼氏(彼女)作ったことねぇな、と。
恋愛小説でも、そういえば納得できないことがあったな、と。
そんな違和感である。

始めに彼氏(私は男性に惹かれるので、今回は彼氏だけに限定させて欲しい)について。
実はこの頃、ありがたいことに告白されたことがあった。いい人だし、自分を好いてくれているんだろうな、というのは感じていた。けれど、私はと言うと全くときめかなかった。
なんなら、それまでに学校で結構話しかけて来られたりしたのだけど、その距離感が苦手だなとか考えてしまった。遊びに誘われるのも出来れば遠慮したい気持ちが強く、断るのにも申し訳なさを感じたものだ。
この時はまだ自分をaro/aceのどちらとも違うと感じていたので、事前にそういう話が出来なかったのは本当に申し訳なかったと思う。
マイノリティだから肩身が狭いとかではなく、なんというか、需要と供給的な話で。相手に求められる役割をこなせないのならキッパリ始めに断った方がお互いに良かったと思うのだ。
なんなら、相手もまさか私相手に恋愛感情を抱いているとは思ってなかったし。友達に対しても距離感近めな人なのかと思っていた。

まあ、それはともかく。
次に恋愛小説についての話だ。
私はそういう小説は好きな方だ。なろうとかでよく読み漁っていた。成人してからはせっかくなのでR指定の小説や同人誌とかも結構読んでいた。

(以下ちょっと下な話をするかもしれないので、苦手な方は注意してほしい)

恋愛小説についてだけれど、私には好きなジャンルがある。それが契約結婚もの。
互いに恋愛抜きで結婚して、大抵夫側が家計が苦しい妻側に資金援助をしてくれる。そして、夫は愛人の方へ向かい、妻にはその後一切ノータッチ。
あるいは子どもを妊娠してもらうという条件付きで、夜はあったりもする。
そんな関係、気楽そうでいいな、と私は感じます。割と。
いやまあ、女を見下してる感あるモラハラ夫の場合はムカつきもするけれど。でも、なんだかんだヒロインが生活を楽しんでたりすると私もいいなと思える。
そこまでは良いのだけれど、やはりそこは恋愛小説。最終的に夫側は妻に惚れて行き、妻側も夫を好きになっていく過程が存在する。
そこがなんか、私には刺さらない部分なのだ。契約のままが一番美味しいのに。
なんなら、互いに好きにならない、という契約条項がある場合は契約反故されたとして逃げてもいいと思う。逃げるタイプのヒロインなら全力で逃げるのを応援する。
それでもやっぱり捕まってしまう展開になるのがちょっと違和感だった。最終的に2人は私とは違うんだし、幸せならいいか。の精神で最後まで楽しめるようになったのでいいんだけど。

まあ、そういう出来事や気付きがあったので、私は高校時代に見たaro/aceに自分が当てはまるのでは、という疑惑を抱いたのだ。
そこで、改めて当事者の方のYouTubeや記事を読むうちに、共感できる部分があり、自認に至った。
が、この時は実はaroではなくaceの方だと思っていた。

私は先述の通り恋愛ものが好きだ。
オタクでもあるので、今までに推してきた男性キャラも居た。なんなら(なんとなく恥ずかしいけど)夢小説も自分で書くほど好きになったキャラもいる。
だから、本当にまさか自分がaroだとは露とも考えていなかったのだ。
けれど、恋愛ごとにまつわるあれこれに自分がかなり消極的なのは確かなのでaceなのだろうと考えた。
更に言うなら、付き合ったこともないし、普通に誰かに体を開くというのはハードルが高い行為だと思う。病気の心配もあるし、裸になってしまえば抵抗がしづらくなるし。
そういうリスクも考えた上で性行為に消極的になるので、aceであると自認した。

しばらくはそれで満足していたし、自分をカテゴライズできて安心感もあった。
けれど、段々と違和感を感じるようになっていった。
何せ、私は当事者になるのは御免だけれど、R系の同人を読むのは好きなのだ。恋愛小説もaro/aceを知ってからは、ヒロインに恋愛感情がなければもっと感情移入しやすいのにな、とか考えていた。
自己紹介シートだと、恋愛嫌悪/性嫌悪のチェック項目もある。私はというと、性嫌悪自体はあまり無いのだけれど、恋愛嫌悪は割と感じがちなのだ。
好き、という感情にはあまり触れたくないし、好きだからできるような行為(ディープな方のキスとか)もしたくない。恋愛的に好きだからと、わざわざデートしたり会ったりするのは御免こうむる。

……おや?
これはもしや……?

と、いう流れで、私って実はaceよりもaroなんじゃないかという考えに至った。

まあ、aceを自認した時には私の願望も実はちょっと含まれてたのもある。
だって、aceでエースって読むのカッコイイし…旗の色も黒/灰/白/紫って良くない?
恋愛は分かるけど、性的接触は…って感覚もなんというか清潔な感じするし。

それまでの『普通』の偏見からしても、aroはaceよりも受け入れ難い部分があった。
だって、恋愛は無理だけどセッは大丈夫ってなんかちょっとあれじゃん。
もちろん、そんな単純な話ではないと今なら多少は分かるけれど、記事の簡単な説明文だけ見て、そんな印象を持ってしまったのがあるのだ。

ともかく、色々と考えた結果aceよりもaroの方がしっくりくる部分があったので、私は自分をアロマンティックだと自認することにした。
コロコロ変わりまくってて自分でも節操ないように感じてしまうが、そんなこと言ってられない。
ただでさえ恋愛感情や性的欲求が『ない』というセクシャリティなのだ。そもそもが自認に至りづらい部分がある。

ちなみに、本文ではあまり触れなかったが、自認は本当に色々と渡り歩いてきた。軽く以下に書いてみる。

異性愛者(でも、誰かのこと好きになるってよく分かんないな…)→無生物愛(人を好きになる気持ちと、綺麗な指輪や服を見て好きになる気持ちが大体おなじ温度だった)→同性愛(こんなに人を好きにならないってことはつまり?)(人としてなら男性も女性も同じくらい好き)→異性愛(でもやっぱりキャラを見ると男性の方が好きだな)→SM(恋愛感情が無いほど刺さるし、まさか?)→???(主従関係とかやっぱりよく分からん…)(でも普通の嗜好ともズレてるような…)→ace(誰かを好きにならないのはこのせいかー!)(でも、セッはハードル高いけど考えられなくもないな…)→aro(いや、むしろ私にないのは性的欲求ではなく恋愛感情の方なのでは…!?)

簡単に、のはずが長くなってしまった。
まあ、オチが締まらないが、一旦今回はこんなもので終わっておこう。

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