泣いたときの話

私がすっごく泣いたときの話です。

きっかけは、些細なことで。
蓄積された目に見えないものに押しつぶされてて、自分が何もかもを離さずに、欲張りになってるからこそ起きてしまいました。

全ては自分が引き金を引いている。

そんな風に卑屈になって、誰のせいでもないことを自分のせいにして、生きてました。


昔の嫌な自分に戻った感覚‥
わかっていてもやめられない。
そんな感じです。


そんな私には心を委ねることができる存在は私にとってすごく限られた存在なんです。
すごく貴重な存在なんです。

実を言うと、私はすごく怖がりなもので、なんと思われていてもどうでもいいのですが、
後ろ指だけは刺されたくない。
愛情のない陰口だけには登場したくない。
そういう見えないところで私が思う私ではない、誰かの私を作られるのがすごく怖いんです。
そういう状況を感じた瞬間、脳みそが停止してしまいます。

だからこそ、心を開きたくても開けない。
朝起きるのが苦手で、すぐ横になったり、休みたくなったり、常に眠たくて、ほんとはわがままで、ぼーっとしてる怠惰な自分を見せることをできないんです。

弱みに漬け込まれる。
というか、人と同じ世界で生きようとすると、もっと早くて、正確で、明るく、元気なものを求められる。
それができなければ、排除されるという感覚がとても強いんです。

きっと、多くの人の第一印象からガラリと変わるのが自分なんです。
そんな変なギャップを出したくないけれど、この世で生きるために身につけた術がこれしかなかったんです。

そして、私はそんな状態でキャパを超え、泣きました。
ほんとに、数少ない心を開いている人の前で、些細なことを流せず、泣きました。

あたたかく、包み込んで、泣いていいと言ってくれました。
そのときの私は、その言葉をずっと待っていたんだと思います。
ほんとに、ほんとに、あったかくて、申し訳なくて、うれしくて、やさしくて、やっぱ申し訳なくてずっと泣きました。

そして、泣き終わったあとにメッセージが全く別の人から来てました。
無理をしないで。
この言葉にどれだけ救われたか。
たったひと言、このひと言をスマホで打込まれただけのものに、あったかさがあるものかと。
機械でも感じれる人肌があるんだなと。
鼻水をすすりながら思いました。

こういうあったかさは人間にしかないものだとすごく噛み締めながら、抱きしめながら、大事にしていこうと思いながら泣いた話です。
そして、わたしにとってこのあったかさは制作の根底にあり続けています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?