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おやさまたより

私の天理教修養科ものがたり パート12


 三期生もそろそろクライマックスに近づいて来て私の身辺も急に修養科後の展望が開けてくることになってきました。
 先にも言いましたが、私の所属する美恵分教会は湖東大教会の部内で彦根分教会・付知分教会を経て教えが伝わってきました。子供のころ母の在所に行って、彦根分教会からの郵便を目にしていた記憶があるように彦根市にある彦根分教会が私の人生の転機の上級教会になりました。

 当時、彦根分教会の会長をされていた大久保昭教先生は教内でも異色の天理教徒でアメリカのミシガン大学に留学して社会福祉の勉強をして来られた人で、英語にも堪能であり国際的な知識人でもありました。ちなみに現在も95歳で健在です。
 私がこの一回目の修養科に在籍当時、会長就任25周年記念の会が盛大に催され天理から彦根まで行って式典に参加した時に私にも声をかけてくださり話をゆっくりした覚えがあります。緊張して内容はすっかり忘れてしまっていたのですが、そろそろ卒業後の身の振り方をどうしたものか神殿で神様と相談したりするようになっていたころ、詰所に大久保会長が来られ彦根で新しく建設計画に着手している老人ホームの職員にならないかとお話がありました。

 私の夢は文学や芸術志向でしたが、次善の選択として福祉の世界も考えにはあったので現実的に進むべき道のように思われお受けする旨をお伝えしました。親神様の思し召しのようにも思われたからでした。

 それを修養科の仲間に報告するとみんな我が事のように喜んでくれました。やはり、人は前を向いて歩いていくことに誰もが共感し感動もするものなのでしょう。
 彦根でしばらく教会の青年勤めをして、福祉の資格を得るために東京の福祉系の学校に入学することになるのですが、それはそれまで私が長い苦悩の闇の中で失っていた青春の輝きを一気に取り戻す一年になったことはまた別のお話です。

 修養科の最後には九回の別席も眠気に椅子から落ちそうになりながらも満了し「おさづけの理」を拝戴することになります。また、修養科で習った鳴り物やお手振りなどの総合練習や、詰所での「搖拝式」と行ったメインイベントも目白押しになり時間があっという間に過ぎていったのもその頃です。

 一回目の修養科の時は詰所の同期生も20名近くいて在期生も多かったので、そうしたイベントで失敗してもそれほど目立つという事はなかったですが、それなりに緊張して臨んだように覚えています。
 「おさづけの理」拝戴の日はお勤め着なので、紋付に袴で足袋を履き下駄で神殿まで行くのですが、それはもう晴れがましい気分だったことを思い出します。詰所の玄関で写真を写してもらったのですが今でも誇らしそうな表情が初々しく思えます。

 教祖殿に並んで待ち一人づつ真柱様から直接わたされる「おさづけの理」は、それほど教理を身に付けていなかったとはいえ厳かでもったいないような有り難いような気持ちでいっぱいになり恭しく受け取った記憶がよみがえります。

 おさづけの理を拝戴した後、全員真柱邸に続く「会議所」で「おかきさげ」という奥義書のようなものを頂くのですが今読み返すとここに教えのエッセンスが詰まっているのが分かります。長くはなりますが、転載させていただきます。

 『 おかきさげ

さあさあだんだんの席返す返すの席をして、さあ一日の日というは生涯の心一つの理を以って一つ席とす。
席に順序一つの理は、よく聞き分け。
席に順序一つの理は、生涯の理を諭す。
生涯の理を諭すには、よく聞き分け。
難しい事は一つも言わん。
どうせこうせこれは言わん、これは言えん。
言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。

それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。
心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆受け取る。
受け取る中に、ただ一つ自由という一つの理。
自由という理は何処にあるとは思うなよ。
ただめんめん精神一つの理にある。


日々という常という、日々常に誠一つという。
誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。
誠一つが天の理。
天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き分け。
又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まるという。
それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。
よく聞き取れ。


又一つ、これまで運ぶという、尽すという。
運ぶ尽す中に、互い扶け合いという。
互い扶け合いというは、これは諭す理。
人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。よく聞き取れ。
又一つ、これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん/\事情の理に治め。


又一つ、第一の理を諭そう。
第一には、所々に手本雛型。
諭す事情の理の台には、日々という、日々には家業という。これが第一。
又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。
二つ一つが天の理と諭し置こう。さあ、これより先永く変わらん事情に。』

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