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「おやじの恋」昔話09.

 公園に週末になると作業着姿で現れる有職少年と思われる若者集団がいる。
その中心人物になっている小柄な毛深い男をみんなはおやじと呼んでいた。
そんなおやじが恋をした(?)。
 公園の3塁側の外野寄りの2階の窓に机に向かうお姉さんの横顔が見える。平日は電気スタンドをつけてタイプライターと思われるものでガチャガチャ仕事をしているようだ。時々、お母さんと買い物に出かけていたり、休みの日には公園のベンチに座って本なんか読んだりしている。
 お姉さんの髪は肩よりちょっと長く、色白でやせていてなんとなく体の弱そうな感じのきれいな人だ。公園ではいつも静かにベンチに座っていて小さい子が近づくと優しそうな笑顔を向けていた。その顔が家にある絵本のかぐや姫に似ていたので、モーちゃんは密かにかぐや姫と呼んでいた。
 モーちゃんもかぐや姫に近づいてみたかったが特に用事がないので遠くから眺めているだけだった。だけど、妹がかぐや姫と話をしているところを見ると「なんでだよー」とちょっと嫉妬した。兄のモーちゃんから見ると妹はしっかり者で勉強もできる大人うけがする評判の奴だった。だから、「しゃあねえな」とも思っていた。
 それでも、かぐや姫の近くに転がったボールを取りにいった時なんか、モーちゃんにも優しい笑顔を向けてくれたりした。その時は余りの恥ずかしさに逃げるようにグラウンドへ走っていったが。
 5月のさわやかな日曜日の午前。いつものようにおやじ達のグループに入れてもらって野球をしていた。
 レフトフェンスの向こうのいつものベンチに、かぐや姫が座って本なんか読んでいた。
 するとおやじの打球がフェンスを越えてかぐや姫のベンチに飛んだ。やばいと一同凍り付いたが、ボールはかぐや姫が座っている横で地面と座面裏の間を数回バウンドして止まった。その音に姫は驚いた様子だった。
 ルールでは、中学生以上のオーバーフェンスはアウト。打った人が走ってボールを取りに行くことになっていた。早速、おやじはダッシュでボールを取りに行った。みんなはかぐや姫が、怒っているのではと心配しながら見ていた。申し訳なさそうに声をかけるおやじに優しい笑顔で言葉を返していた。そのときのおやじは恥ずかしそうな中にも花が開くような普段とは全く違う見たこともない優しい表情になっていた。
 その日以来おやじの行動がちょっぴり変わった。
 いつもなら、おやじがベンチで寝そべっているとき、高校生より大きなお姉さんが通りかかると、毛だらけの腹を出してお姉さんに向かって軽口をたたいていたのに。しかも、お姉さんの嫌がる顔を見て笑っていたのに。そんなことを全くしなくなった。もっとも、日曜日などたくさんの人が公園にあふれているようなときはさすがにおやじも下品なことはしなかった。だからもしかしたら変わったと思ったのはモーちゃんの思い込みかもしれない。それでもかぐや姫がベンチに座っているときのおやじのオーバーフェンスの数は増えたような気がする。だから一緒に野球をしている中学生もおやじがかぐや姫を意識しているのを薄々感じているところがあった。そうなると4年生のモーちゃんでもかぐや姫がいるときは何となく居心地が悪いような気がしていた。
 9月の連休初日、かぐや姫の家があわただしい感じになっていた。
 礼服を着た人が出入りしたり、親戚のような人が入り口で挨拶をしていたり。
 その様子に中学生が、「誰か死んだか」と軽口をたたくと、おやじが「笑っているから、めでたい感じだな」と不機嫌そうに言っていた。出入りする人々はみんなにこにこ挨拶を交わしていたのだ。
 翌日、かぐや姫の家から小さなトラックに荷物が積み込まれていた。そこには、かぐや姫の両親と運送屋さんの男性一人がテキパキ働いていた。積み込みが終わり、運送屋さんがかぐや姫の両親に丁寧に挨拶をして二人はトラックに乗り込んだ。お母さんはいつまでも去っていくトラックに手を振っていた。
 運送屋さんはすらっと背が高くて賢そうないわゆる好青年だった。もしかしたら好青年は運送屋さんではなくて、かぐや姫はこの人のところへお嫁に行ったのではないだろうか。モーちゃんは去っていくトラックをおやじと一緒に眺めていた。その時のおやじの顔が寂しそうに見えたのはモーちゃんの勝手な思い込みなのだろうか。この日以来、あの窓にはもうかぐや姫の姿が見られることはなかった。
 年が明けて2月に札幌オリンピックがあった。下水道や地下鉄、道路整備などの様々な工事が一段落した。関係があるのかないのかわからないけど、5年生になってからおやじたちが姿を見せることはなかった。
 それでも村田のおじさんは「ピッチャーやらせてくれ」と相変わらずいつも入ってくるけどね。

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