道化師の再誕生日

ホロウは目を覚ました。

どこまでも冷たく、無機的な硬い石の床に自分は横たわっていた。周囲を見渡せば両側を挟む煉瓦の壁と、背面には高い位置に一つだけある嵌殺しの窓。

ここで眠ろうとした覚えはない。
そもそもこの部屋…どう見ても地下牢には見覚えが無いし、仮に眠るなら隅にある古びたベッドを選ぶ。
多少年季は入ってる様に見えるが、マットレスや布団にカビが生えている訳でも無いし、洗濯はされている様だ。自宅のベッドよりはずっとマシ。
長身の自分が寝れば脛から先が飛び出そうだが。

硬い所で寝ていたからか、背中や腰が変に固まって酷く凝ってしまっている。起き上がって伸ばそうとした瞬間、頭が揺れてふらふらした。
一切の安全装置を付けずとも高度10mの綱渡りをして、目を瞑ってそこで一輪車を漕いだり、並行してジャグリングだって余裕で出来る程に訓練され、平衡感覚に優れた自分が転びそうになった。

強く頭を打った様な痛みと衝撃だ。
今ぶつけた訳でも無いのに残滓だけで疼く。それは差し込む月明かりが滲んでしまうほどで…。

そうだ、思い出した。
自分は月夜のサーカスに沢山子供達ゲストを招いていて。
そこに現れた飛び入りの二人組に…特に背のとっても小さい方にショーを無茶苦茶にされたのだ。あのレディにチップ代わりの頭突きを頂いてしまった。
完全に妥協を排してプログラムを練り上げた、人生最高のショーとなる筈だったのに。

だけど不思議とそこまで悪い気分では無かった。
ショーはハプニングが起きてこそ完璧と成り得る。
そんなエンターテインメントの本質を思い出した。何より戦いの最中での彼女の笑顔。今正に命を賭けていると言うのに、はち切れんばかりの笑みを浮かべて、ボクの曲芸と仕掛けを楽しんでくれていた。


いつからだろう。独り善がりのショーをする様になってしまった。手段が目的にすり替わっていた。
いや…サーカス団に入ったのは食べて行くためだったけれど。それでも、あの大きな円錐の屋根の下にはボクを認めてくれる喝采と拍手が有った。
命を賭けて魅せる仕事だ、客には華やかに楽しく見せても舞台の裏の練習は険しく厳しい。
だけど新しい技を身に付ける度に、上手く演じてみせる度に団長は頭を撫でて褒めてくれた。
手に豆が出来て血は滲んでも、ボクを認めて欲してくれる人達がいる。それだけで頑張れた。
それに、心のどこかで思っていたのかも知れない。
望まれて生まれてきた妹を笑顔にすれば、彼女に、そして母にも再び愛して貰えるんじゃないかと。
ブランコに注がれる千の観客の好奇と羨望の視線より、たった二人に見て欲しかったんじゃないかと。

ある日、家でも寝る間を惜しんでジャグリングの練習をしていると、幼い妹が興味を持ってくれた。
たった五つのリンゴを回しているだけで、大きく目を見開いて、すごいすごいと見入ってくれた。
自分の価値を認めて貰える切符を掴めるかも知れないと、興奮に高鳴る胸を抑えて言った。

「本当のサーカスはもっとすごいんだよ」

彼女は更に目を輝かせ、サーカスの話をせがんだ。
玉乗り、猛獣使い、火の輪くぐりに綱渡り。
中でも一番のお気に入りは、人が魔法の様に宙に踊る空中ブランコの話だった。それまでジャグリングすら見たことも無い齢四つの女の子にも、サーカス一番の花形の魅力は届いたらしい。母に見向きもされない兄は、彼女の中ではその時既に英雄だった。

それからはもっと練習に励んだ。
明くる朝には忘れてしまわれる夢ではなくて、永遠にこの胸に共に在れる愛を求めて。
幸い、ボクには曲芸の才能が有った。妹に話した時には出来なかった技もどんどん覚えて、サーカスにボクに並ぶブランコ乗りはいなくなっていた。

またある日、妹がサーカスを観に行きたいと母にねだった。母はボクが何の演目を任されているのかすら知らなかったけれど、妹の言う事は何だって叶える程に溺愛していたから、一番近い公演の日に、特等席のチケットを二枚取った。

二人がサーカスを観に来る日は、偶然にもボクが本番で初めてブランコに乗る日だった。
失敗を恐れる気持ち以上に、待ち望んだチャンスを目の前にした緊張で手汗が止まらなくて、いつもよりずっと多く滑り止めの粉を付けた。絶対の自信はあったけれど、全て頭から抜け落ちてしまうんじゃないかと、何度もイメージトレーニングを重ねた。

結果としては、あの動悸は何だったのだろうと言う程に公演は大成功に終わった。ボクの空中ブランコはクライマックスに一番の盛り上がりを見せ、過去最高のパフォーマンスを発揮する事が出来た。
飛んだ瞬間に特等席の二人を見た。妹はこれまでに無いほどの歓喜の表情でボクを見ていて、母は妹が楽しそうにしているので笑ってくれていた。視線が向く先はボクじゃなくても、堪らなく嬉しかった。

妹は、あのブランコ乗りは自分の兄だと誇らしげに周りの観客に自慢していたらしい。曲芸中に余所見をするのは危険だと団長に厳しく怒られたけれど、そんな事全く耳に入らないほど幸福だった。

しかし、ボクに曲芸の才能を与えてくれた神様は、代わりにボクから希望を取り立てた。
妹に免じ飛び切り機嫌が良かった母は、妹たっての希望でボクを食事に連れて行ってくれる事にした。本当は母さんの作ってくれる料理が食べたかったけれど、間接的にでも認めてくれた事が嬉しかった。本来は自分の仕事である片付けや掃除も今日はしなくていいと、団員が早く帰らせてくれた。そうして母の元にボクが駆け寄った矢先、母は妹がいないと騒ぎ出した。一瞬目を離した先にいなくなったと。

頭上からボクと母を呼ぶ声が聞こえた。妹はみて、と言って、吸い寄せられる様にブランコに。

母は誰か、と助けを求めた。ボクは受け止めようと急いで駆け出したけど、子供の腕では眼の前に降って来た彼女に、あとほんの数センチ届かなかった。

母はもう愛を受け取れない妹を抱いて、天蓋を仰いで狂った様に泣き喚いた。神様、どうして私の愛する子供を、と。彼女の愛する子供は一人らしい。

ボクはただ、もう笑うことも泣くことも無くなった妹を見て、愛されていた頃の自分を重ねていた。




「おい、お前。」


鉄格子をノックする音と共に、男の声で呼び掛けられて夢想から解かれた。この冷たく厳しい、慇懃無礼な態度には覚えがあった。

「懲りずにまた口が利けなくされたいんですかァ」

誂いながら振り返る。
やはりだ。自分ほどではないがそれなりに上背があって、何より特徴的な不機嫌に釣り上がった眉毛。
ショーに乱入した二人の、大きい方に間違いない。

「懲りていないのはお前の方だ。牢に囚われていながらどの口でそんな下らない冗談が吐ける。」

「ジョークは道化師の商売道具ですよォ。伝わるかどうかはお客様の教養次第ですけどネ。…ごめんなさい、君がボクに勝てるつもりなのが冗談でしたね」

「ほう、何なら今冗談かどうか試してやって良い。あの時は姫様を守る事を最優先していたからな」

「ボクだって誰かさんにショーをブチ壊しにされない事に忙しかったんですよォ。そうだ君、友達いないでしょう。その取っ付きにくい仏頂面を面白い形に変えてあげますね。人気者になれますよ。」

「鉄格子越しに真っ二つにしてやろうか」

「人体切断ショーですねェ。ボクも得意なんです。」

男の顔に青筋が立ち、腰に提げた剣に手が掛かる。
コイツはやはり、頭が良くても侮辱を聞き流せない硬いバカだ。本当のバカよりずっと扱いやすい。
どうせ太刀筋もバカ正直に単純で、正確だからこそ軌道を予測して避けるのも恐らく容易い。
初太刀で牢の鉄格子を斬らせて、隙をついて剣を奪ってコイツを殺す。後は見張りの兵が何人いようと関係無い。壁を登るのも屋根の上を駆け抜けるのもボクには簡単な事で、絶対逃げ切れる自信がある。

「悪いがお前をこれ以上喋らせるつもりは無い。この一撃を以て死刑執行と代えさせて貰う」

男が剣を引き抜いた。発せられた波動が空気をビリビリと揺らし、この地下牢全体に地響きを生じさせ、天井から土埃がパラパラと落ちて来る。
刃に恐ろしい氣が籠められているのを感じる。これを喰らえば誰であっても一溜まりもないだろう。
直撃すれば確実に絶命し得る。
裏を返せば、連発は出来ず隙は大きいと言う事。
果たして躱せるのか。それに全てが掛かっている。
能力は…昨晩の戦闘で酷使したせいでその皺寄せが来ているのか、上手く発動しそうに無かった。
鍛えた身体能力だけが頼りか、サーカスと同じだ。

唾を飲み込んだ。ボクはこの国一の道化師。不可能を引っ繰り返してこそのエンターテインメントだ。

「死ねェッッ!!!」
「ミラ待って!!!」
「待ちますッッ!!」

少女の声が響いて来た瞬間、ミラと呼ばれた男は廊下の向こうへと剣を全力で放り投げた。しばらくしてそれとは反対方向からドタバタと、慌ただしく走る足音が猛スピードで近付いて来る。
スカートの裾を摘んで持ち上げ、なのにもう剣は捨てているので必要の無いスライディングで汚す。

「御機嫌よう!」

片手を上げて元気に挨拶をして見せた少女は、ボクのショーをブチ壊した二人の小さい方だった。

「ナイスキャッチ!」

少女に遅れて紙の箱が宙を飛んで来た。それをミラという男がふわりと見事に受け止める。一瞬訳が解らなかったが、少女が先ずあの箱を男に投げながら攻撃を止める様に叫び、ミラがそれをキャッチするために剣を放り捨てたのだと気付いた。少女の脚が宙に放り投げた箱を追い抜いてしまったのだろう。馬鹿げた身体能力だ。
ショーはあの馬鹿げた身体能力に邪魔されたのだ。

「御機嫌ようじゃないですヨォ。ボクはどうして地下牢なんかに閉じ込められてるんですか?」

「それは貴方が子供達を攫ったからですわ。それと殺人を一件。これをエンターテイメントだとふざけた主張をする事は、わたくしは絶対に赦しません」

少女の黄金の瞳がボクを真っ直ぐに貫いた。同じ台詞を仮に裁判長や…ここに居るミラが口にしたとしても、ボクは気にも止めず冗談を口に出来ただろう。
しかし太陽を宿した様な、その何より純粋で力強い輝きの前では、真実以外を語る事は不可能だった。
虚飾で塗り固めた道化師なら、言葉を奪われる程。

「それとも記憶を失われているのかしら。貴方の罪状と略歴を今から読み上げても良いのだけれど」

皮肉では無く、飽くまで言葉通りの意味を感じる。しかし彼女の口から己の重ねて来た罪を聞かされる事は、生皮を剥がれるより耐え難い拷問に思えた。

「…いえ。だけど、昨晩の記憶だけが本当に曖昧で」

屈せざるを得なかった。いや、自分の罪と業を認めて背負わざるを得なかったのだ。

「そう。わたくしも気の進まない事だったので良かったですわ。…もう一度名乗り直した方が良さそうですわね。わたくしはプラチナ・エタンセル・ルカヤルヴィ三世。第三十代王位継承者候補です。」

「姫…サマ…?が、何故わざわざボクの牢へ?」

素直な疑問を零した瞬間に、彼女の顔が綻んだ。
それだけで女神に微笑まれた様な安心感を覚える。

「本日はわたくしの誕生日ですの。」

姫サマの声は弾んでいた。一国の王女なのだからそれはそれは盛大に祝われたのだろう。これで不機嫌に振る舞っていては国民の反感を買う。
彼女の歓喜が本物であれ、人気を稼ぐための打算であれ、そう振る舞われるべき最適解の笑顔だ。
しかしその幸福そうな笑顔が心に影を落とした。

「はぁ。それはそれはおめでたい事ですね。王女は牢に囚われた罪人からも祝福が欲しいのですか?道化師めは何か芸でもすれば宜しいのでしょうか?」

別に心からそう言いたかった訳では無い。だけど一度切っ掛けを口にすると、頭の中に浮かんですら無かった言葉まで堰を切った様に溢れ出て来た。

「最初から特別に生まれた人は、誰からも生まれた事を、生きている事を祝福されるのが当然ですか。愛を注がれた事の無い人間等ハナからいないと思って、誰からも無償の愛を受け取ろうとするのですか」

別に自分の境遇を恨んだことはない。
だけど幸福そうな人を見て、何も思わないかと言えば違うらしい。或いは彼女にならそれをぶつけても正当性を主張出来ると思ったのかも知れなかった。

「貴様」

「ミラ。」

ミラが主を侮辱された怒りを顕にして前に出る。
姫サマは手を上げ、それを何も言わずして諌めた。
隣の腹心とは違って彼女の表情に憤怒の色は無い。

「牢の錠を開けて下さいますか。」

王女は代わりに俯いて、そう頼んだ。
見るに、ミラの腰には鍵束が提げられていた。

「しかし姫様、この男を自由にさせるおつもりで」
「…いいから、開けて下さい。今すぐに。」

ミラは不本意そうにしながらも、姫サマの命令に二度意見する事無く、黙って連なる数十の中から目的の鍵を迷わず探し出して錠の中に突っ込んだ。

金属が噛み合う音がして、鍵が開かれる。

そうしようと思えば簡単に逃げ出せる。姫サマは武装していないし、ボクの脚ならミラが剣を拾うまでにこの地下牢から脱出する事は恐らく叶うだろう。

しかし出来なかった。この首に刃を振るわれたとしてもそれに文句を垂れるつもりは無い。犯してきた罪以上に、彼女に放った言葉の重みが伸し掛った。

錆びた蝶番の軋んで牢の扉が開く。姫サマが少し屈んで牢の中に入って来た。ボクは動けないままだ。

「ホロウ・クロノス」

名前が呼ばれた。ミラは何もせずに見ている。
姫サマは一歩二歩と速い足取りで近付いて来る。

「……ぇ…」

体当たりする様な勢いで強く抱き締められた。

全く予想だにしていなかった事態のあまりの驚きから、ほとんど声も出なかった。何が起こっているのかすら分からず、自分の胸の下に顔を埋める程小さな女の子に、抱擁されるに任せている。

全く振り解け無いことは無い。思い切り突き離す事も、蹴り飛ばす事も簡単な位に隙だらけだ。

「…ごめんなさい。私がもう少し早く生まれていれば貴方を寂しくなんてさせなかった。」

簡単な筈のそれが、どうしても出来なかった。
どうして良いのか分からない。きっと、無礼者と斬り掛かって来られた方がずっと楽だったろう。ボクは狼狽えながらただ立ち尽くす。


小さくて柔らかい、そして温かい抱擁。なぜだか、母に愛されていた頃を幻視した。だけど母とは違って、何かの代替でなくて"ボク"を見てくれている。
彼女のその腕を伝って、とうに擦り切れ諦めてしまったとばかり思っていた優しさや、慈しみというものが自分にも流れ込んで来る様な気がした。
強くなる中で、強くならざるを得ない中で捨てて行った物の数々で急速に満たされて行く。
これ以上彼女に触れていたらもう、引き返せなくなってしまう様な気がした。どんどん人としての強度が下がって行く。独りに耐えられない位脆くなる。


「………」


それでも、振り解けなかった。

おかしな話だ、自ら弱くなる事を選んだみたいだ。彼女をこの腕で抱き返す事は出来ない。自分を打ち負かした程の強い子なのは分かっているのに、それで彼女を壊してしまう事が今は堪らなく怖かった。


じんわりと、お腹の辺りに温かいものを感じる。
きっと彼女が俯いていたのは、これを隠したかったに違いなかった。独りで今まで生きて来たボクにこれを見せるのは卑怯だと、そう思ったに違いない。

「…姫サマ、"もう大丈夫"ですヨ」

成る可く普段の調子を意識した声で言った。
これ以上はボクが壊れてしまいそうだったから。

姫サマはそう言われてもまだ何秒かボクを離さなかったけど、名残惜しむ様にゆっくりと後退る。

「…どうか信じて下さい」

俯いたまま、洟を啜るのが聞こえた。何かを確かめる様に少し間を置いた後、姫サマは喋り出した。

「人はきっと、誰かに愛される為に生まれて来たのだと思います。…ホロウ、あなたも。あなたがこれまで独りだったなら、わたしがその何倍も愛します。」

泣きたくなる程に真っ直ぐで、優しい言葉だった。彼女の太陽の様な瞳は今、月の様に微笑んでいる。

不思議な事にボクは、この美しい人に出逢えただけで生まれて来た事の意味が有った様に感じていた。その意味を言葉にすることも、証明することも出来ない。だけど死ぬまで信じていたい確信はあった。

「…御無礼を心よりお詫び申し上げます。勿論、今夜の行いだけではありません。ボクの犯した罪も含めて、この些末な命を以て償わせて頂けませんか。」

「いえ、罪を贖うと誓えた者は斬れません。」

「…何故ですか。ボクが命惜しさに反省した演技をして、姫サマを欺こうとしているかも知れないのに。」

言葉とは裏腹に、ボクは本当に死んでも構わないつもりだった。寧ろ今ここで…彼女の手を汚さない為にミラに斬られても、自分の腹を切ったって良い。
この優しさを胸に抱いたまま死ねるのなら、今まで生きて来たどの瞬間よりも幸福だと思えたからだ。

「ボクは残虐で冷酷な人殺しです。平気で嘘を吐いて人を騙す事に何も思わない、偽りだけで内面を塗り固めた様なそんな生きてはいけない人間なんです」

だけどきっぱりと、彼女は首を振った。

「あなたは生きてて良い。生きなきゃいけません。」

「っ…どうして…」

「あなたはブランコから落ちたわたくしを、身を呈して庇ってくれた。」

その様子では忘れてしまっているのかも知れませんけれど、と姫サマは惜しみ様に付け足す。

不意に再び頭が強く痛んだ。曖昧だった記憶が、雑音と靄混じりではあるが徐々に蘇って行く。
…そうだ、サーカステントでの戦いの最中、彼女は最高高度に達したブランコから足を滑らせた。
宙を舞い、そして墜ちて行く彼女の顔があの日の妹に酷く重なって見えて仕方なかった。

気付けばボクは…瞼を閉じていたって決して失敗しないブランコから、理由も分からず自ら飛び降りて。
意識を失う前の最後に見た彼女の顔は、真っ逆様に地面に向かいながら庇った時の物だったのか。

「……これは」

違和感のある頭に触れると、包帯が巻かれていた。

「帰りの馬車の中で、わたくしが処置致しました。あなたに死なれては困ります。式典やパーティーの準備で忙しかったので、警備の者に引き渡してからは様子を見に来れませんでしたけれど。」

そして更に一つ死なせられない理由が増えた、と。

「……手当てまで、ありがとうございます。」

彼女は律儀に首を振って、礼を受け取らなかった。

「その時はまだ、あなたに情状酌量の余地があるかを見定めていただけです。…しかし今確信しました。あなたは生きて罪を償わなければなりません。そして同時に、あなたは愛を知らなければいけません。」

姫サマはボクの手を取って、ボクの目を真っ直ぐに見つめて言った。

「わたくしと一緒に生きて、生きて、誰かのために精一杯生き抜いて。そうして償っていきましょう?」

「…一生を掛けて、償わせて頂きます。」

答えなど、聞かれる前から決まっていた。

「…ありがとう。そう言ってくれて嬉しいです。」

姫サマはそっと微笑んでくれた。女神様の様に気高く優しく穏やかで、そして強い微笑みだった。


「…申し訳御座いません姫様。そろそろ日付が」

ミラが咳払いと共に何かを告げた。姫サマはそれを聞いて、初めてこの場に現れた時の様な年相応の騒がしい女の子に戻る。

「いっけないそうでしたわ!!ミラ!!ミラ!!あなたも一緒に牢に入って来て下さいませ!!」

「はっ。失礼致します」

ミラはその高い上背を屈め、小さい入り口を通って牢の中へと入って来た。一人だけならともかく、独居房一気に三人も入れば急激に手狭となった。

「急いで急いで!出してローソクも!」

手を叩いて急かす姫サマ。ミラが急ぎつつもテキパキとした手際で箱を開けると、そこにはケーキが。
彼が十五本、そこにローソクを立てて火を着けた。

「昨日から仕込んでたらしいから、消費期限が今日付けなんですの!日付を跨ぐ前に食べますわよ!」

「どうして今なんですか!?」

「姫様は例え一人にでも不公平を感じると気になって仕舞われる方なのだ!牢の中にいるお前が仲間外れだとまだケーキを口にされていないのだぞ!」

「今からだと完食に間に合いませんよ!?」

「フォークを着けるのが間に合えば良いんだ!!」

「ハッピバースデートゥーユーハッピバースデートゥーユー」

三倍速のバースデーソングを高速で手を叩きながら歌う姫サマ。ミラも当然の様にそれに続いた。
ミラの持つ懐中時計があと10秒の猶予を残している事に気付いて、二人は最後だけ等倍に戻す。

「「ハッピーバースデーtoプラチナ&ホロウ!!」」

新たな人生の始まりは、忘れられない物になった。

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