犬に噛まれたい

犬に噛まれたい。犬に噛まれるのが好きだ。

まだ自分が小学生だった頃の話だ。アパートに不法侵入して塀をよじ登り遊びに行っていた公園があった。
砂とブランコぐらいしかなく、同級生の女の子にビンタされたり鈍足なので鬼ごっこで永遠鬼をやらされたりした苦い思い出のある公園である。

その公園の付近を散歩する柴犬がいた。柴犬の中でも小柄で焼き立てパンの色をしたコイツが私の性癖を狂わせた原因である。
名前はもう忘れてしまったが、確か小太郎とか小次郎とかそんな感じだっと思う。飼い主の物腰柔らかなマダムと焼き立てパンは初めて会ったとき私の心を魅了した。

「触ってもいいですか?」

気付けばそうマダムに話しかけていた。

「良いわよ、撫でてあげて」

マダムに了承をもらい、私は焼き立てパンの背中を撫でた。

ぬるぬるしていた。
撫でた手を嗅げば物凄く犬臭かった。
触ったのを後悔するぐらい犬臭かった。
早く手を洗いたい。

「ありがとうございました。すごく可愛いワンちゃんですね」などと言い、私はさっさとこの場を立ち去るべく屈んでいた体を起こした。その時である。焼き立てパンが立った。後ろ脚で器用に体を起こした焼き立てパン。そしてビョンとジャンプし、私の手を噛んだ。

ビョンビョンビョンビョンビョンビョンビョンビョンビョンビョンビョンビョンビョン
ガブガブガブガブガブガブガブガブガブガブガブガブ

1ジャンプ1ガブ。痛い。甘噛だとはわかるが痛い。マダムはにこやかに佇んでいただけであった。

なんとかその場を去り手を洗うことに成功したが、この焼き立てパンは以後私に遭遇するたびにジャンピングガブガブをかましてくるようになった。
人間は慣れる生き物である。会うたびに噛みつかれていた私はいつの間にかその痛みの虜にいた。ガブガブされたい。ガブガブされていると愛されている気がする。撫で撫ではしたくないがジャンピングガブガブはされたい。完全にDV被害者心理だが噛まれることでこの焼き立てパンに必要とされていると感じた。


こうして犬に噛まれたい現在28歳の人間が誕生したのであった。


さて、焼き立てパンとの遭遇で私はすっかり犬を撫でることが嫌いになっていた。あの滑りと独特の犬臭さが完全にトラウマとなり、完全な猫派になった。猫は臭くない。猫が臭いときは病気のサインである可能性があるのでむしろ心配である。

大人になりこの焼き立てパンエピソードを友人に話したところ「犬は普通そんなヌメヌメしてないし臭くないし多分そのマダムは犬を全然洗ってない。そして躾も出来ていない」との指摘を受けた。
つまり私は犬の世話を出来ていないクソ人間のせいで性癖を狂わされたということが判明した瞬間であった。


あの甘噛の感覚が忘れられない日々が今も続いている。


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