コロナ禍に今となって思うこと

2000年、今から3年前の2月、何となく世界的にコロナが話題に上り始めた頃、その前年暮辺りから母にちょっと変な様子が見られたので実家の近所の心療内科に連れて行って認知症のテストをしてもらった。

結果は気になると言えば気になるところもあると言えばあるけれど年齢もあるしまあまあ普通でしょう、ということ。
横でテストの様子を眺めてた僕の方がテスト内容の記憶が怪しかったくらい。

それからほどなくしてコロナ全盛期が来て、高齢者にはなるべく近寄らないようにというお触れと共にとりあえず2ヶ月くらいだろうか、しばらく実家に行かずにいて、5月頃ちょっと様子を見にと行ったら母の様子が激変していた。
当時コロナというのもあったけれど介護のヘルパーさんも食事の支度や掃除、片付けだけで帰っていたし、まだ通いで定期で行っていた近所の内科医も、後で聞くと変だったとのことだけれど、特に誰かに伝えたわけでもなく。

そんな感じで人の接点が無くなった事で母の様子が激変したらしい。
それからはコロナのお触れ関係なくほとんど毎週実家に行ってたかな。
感染発症で命を落とすのは避けるべきという流れの中だけど人の心が無くなるのはそれでいいのかというところ。

まあそこは個人の判断で、自分の責任で。

それで何となくちょっとは良くなったかな。

コロナ死というのは感染によるもの、仕事環境の変化からの生活苦による自死の他、統計の取りようもないけれど人との接し方が変わった事で心もしくは身体に変化をきたしてというのもあったんじゃないかと今になって思う。
うちもあのままほっておいたらもっと早く何かがと思えたから。

去年から今年にかけて著名人の死亡のニュースが急に増えたように思う。
年齢もそういう年齢になったからとも言えるけれど、生活変化の影響もあったのかも。


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