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文学ファンタジスタ

マラソンは、42.195㎞の勝負じゃない

つまり、実際苦しんだり悩んだりする事の意味が分からない。ゲームが終わっているのに、悩む必要はあるのだろうか。或いは、既に何度もこれで終わりだぐらいの気持ちで記事を書いてはいるのだ。

それが反復している意味は分からない。最後が何度もあるというのは何なのだろう?

これで最後だと思って記事を書いて、それを何度も投稿するという事は結局その精神状態としてはどうなのだろうか? ある意味、マラソン選手のような苦しみだ。

全力で走ってゴールを終わりだと思っていても、それはそのレースの終わりでしかない。

マラソンは、42.195㎞で終わりじゃないの?

つまり、結論としてはマラソンは42.195㎞の勝負じゃないの?

奇跡の誕生を求めて、繰り返す攻守の反転

サッカー選手とかバスケットボール選手とか、何度も同じ事を繰り返している。もう何度も、攻守を反転している。

何で? アメフトも野球も、或いはゴルフとかテニスとかラグビーとか。全部、同じ事の反復じゃないの? 観る方も飽きないの?

右に行ったと思ったら、攻守が反転して左に。その繰り返しだ。

そんな繰り返しの中で、何か知らないけど今まで観た事も無いような奇跡的なプレーが生まれたりするの?

苦しいのなら止めればいいじゃん。金の為に走る必要ないじゃん。金の為に苦しむ必要ないじゃん。

自分は、止めたい。もう、こんなゲーム。

苦しんでも苦しんでも反復するゲーム。一体、どこが終了なの?

こんな人生、嫌だって。この苦しみは、何なのだろうって。止めちゃえばいいじゃん。

ああ、そうだ。ある意味、自分ももう書かなければいいじゃん。

ああ、またボールを奪われたって。また、ディフェンスだって。















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