禁欲主義的である事と快楽主義的である事は、根本的には同じ事ではないのだろうか
やりたい事と、やらなければならない事
自分がやりたい事と、他人の評価を得る事との間で揺れている。と言うか、どちらかと言えば他人の評価はどうでもよくなってきている。
結局、自分がやりたい事をやっている。しかし、だからこそ他人からの評価が上がらない。
他人からの評価を上げるためには、他人の望む結果を残さなければならない。それにしても、そうすると自分のやりたい事ができなくなる。
ところで自分のやりたい事って、根本的に何なんだろう? それはやらなければならない事との関係によって生まれて来るものではないのだろうか。
だから、やらなければならない事を捨ててしまえばやりたい事もなくなる。今こうして生きている条件から、やりたい事は出てくる。
結局、自分がやりたい事だけをやるという事は普通に考えてありえない。
やらなければならない事をやっている時に、やりたい事が頭をよぎる
実際にはやりたい事だけをやっているというのは夢で、現実には起こり得ないのだ。やりたい事だけやっているというのは、ただやらなければならない事をやっている時に見る夢だろう。
例えば、仕事をしている時に文章を書きたいと思ったりとか(自分には文章を書く事は特に仕事ではない)。
しかし、現実的に仕事をしなければ金銭的な余裕がなくなり、呑気に文章を書く事もできなくなる。だから結局、誰でもやらなければならない事はやらなければならない。
やりたい事とやらなければならない事の二重性が、そうして反復する。やりたいという気持ちが強ければ強いほどやらなければならない事が増えて行く。
高価なものが欲しければ、それなりの対価を求められる。欲望が強ければ強いほど、逆に禁欲的である事が求められる。
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