マンモス校だった!

私はとある中核市で育ちましたが、ずっと同じ地区に在住しており、現在の勤務先もその地区です。その地区は中核市の郊外であり、所謂新興住宅街にあたります。地域名を言えば地元民には「あー!」と言われる辺りです。
そのせいなのか、小学校中学校ともマンモス校でした。所属している本人に自覚はなかったのですがね。小中ともに当時市で二番目に生徒が多かった(今もたぶん)そうですよー、友達100人は出来ませんでしたが。小学校は、私世代がこどもを産んだ為(笑)か、現在プレハブが建つまでになっております。それを考えると、ほんと、都会では決してないけど、とても田舎とは言えない地で暮らしてるワケですね。
で、中学校ですが、私の母校のA小学校、私の母校から分割されて設立されたB小学校、そしてC小学校の卒業生から構成されてました。
当時の人口比率はA小出身5:B小出身4:C小出身1という感じで、C小学校出身者はそれだけでネタになるような感じでした。
が。
私が卒業してしばらく経った後、C小学校校区に新興住宅街が創設されまして。C小学校にもプレハブが出来たそうです。つうか、C小学校校区が一番私がいた頃と変わってる。私の義務教育時代は正直なにもなかったのに、めちゃくちゃ発展した。
たぶんですが、今は、A4:B2.5:C3.5くらいじゃなかろうかと思います。ヘタすりゃB小学校出身者が今はネタになってるかも。
地域も変化していくのだなーという、特にオチもない話でした。
ーちなみにー
中学校は全学年9クラスまでありました。当時は40人クラス(正確には38人とかだった)ですから、1000人以上の生徒が在籍したワケですねー。わーマンモス。でも、マンモス校だったからといって、特に不便も感じませんでしたよ。
この中学生時代はなかなかに個性的な先生の宝庫でしたが、その話はまたの機会に。

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