多様性って規制緩和のことだよね
エントロピーとネゲントロピー とか 誰でも入れるサークルはサークルか とかそういった類の問題だよね。
その限界をはっきりと意識するために、「規制緩和」って言いかえたほうがいいんじゃないかな。
「なんでもあり」ではないよね。誰でも多様性で許されるなら警察や倫理はいらないもんね。
今までの【大人】が許容しなかったもの(LGBTとかジェンダーとか)の範囲が広がっただけだよね。
というより規制するだけの力を国民が国に与えなくなっただけだよね。国に頼る必要がなければ、国に国民を管理してもらう必要がないもの。
いろんな問題を「道徳」や「倫理」や「正当性」に帰着させるのは間違いだよね。そこには必然性や経済的、物理的理由があるよね。
感情的になっても仕方がない。男性を批判する女性とかね。男性も男性を強いられていたのだし、同じ時代の制約を受けたもの。女性の抑圧はそのとおりだが、誰が悪いとかではない。男性の性欲を批判する意味もわからない。人間に道徳を求める意味もない。危険な男性や人間は、危険なことをできないように管理するべきであって、彼ら自身をいくら罵っても仕方がない。人間も動物なんだし、動物も生態的機械なんだから。どこかが壊れたら、予測不可能な動きをするもの。スマホが壊れて動作がおかしくなったからって、スマホを罵倒したって仕方がないでしょ。修理するか、騙し騙しでもうまく使える方法探すしかない。
いずれにせよ、どんな問題も感情的にならざるを得ないし、感情的にならないと動けないし、その感情的にならせることを人は「問題」と呼ぶんだけど、問題を解くには感情はいらないのよね。感情は新たな「分断」を生むだけだからね。問いを立てたあとは、冷静に解く。SDGsもいいけども、問題の解く際の心構えも世界に示して欲しいものだ。
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