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「ゲシュタルトの祈り」と「パールズを超えて」

ふとしたきっかけで知った詩がある。「ゲシュタルトの祈り」と「パールズを超えて」だ。

ゲシュタルトの祈りの作者はフレデリック・パールズである。
このパールズの死後、弟子だったウォルタータブスが「パールズを超えて」という詩を発表している。

「ゲシュタルトの祈り」だけでなく「パールズを超えて」までの1セットで考えるのが自分は好きだ。

改めて読み返してみた。

「ゲシュタルトの祈り」 ウィキペディアより

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。


「パールズを超えて」 *原文を日本語訳で

私が私の人生を生き、 あなたがあなたの人生を生きるなら、 私達はお互いの絆を、そして私達自身を見失ってしまうかもしれません。私は、あなたの期待に応えるために生きているのではありません。 でも、あなたを1人の特別な存在として認めるために、 そして、あなたからもそう認められる存在であるために生きています。

私達は、心が触れ合った時に初めて本当の「私達」になれます。 心の触れ合いがなくなってしまえば、「私達」を見失ってしまいます。 私は、あなたに偶然出会ったのではなく、 思いきって手を延ばしたから、あなたに触れることが出来たのです。

私は、成り行きに任せず、積極的に求めることができます。 始まりはいつも「私」。 でも、私は決して「私」だけでは終わりません。 真実はすべて「私とあなた」の中にあるものだから。

ちょっと最後のほうは日本語だと、直接的な表現に感じてしまうが

でもね、

I find you by an active life of reaching out. の訳し方が好きだ。

元々の原文はいろんな国の言葉に訳されており、日本語にする場合も、色々な訳し方がある。

chat GPTは、
「I find you by an active life of reaching out.」
この部分を「思いきって手を延ばしたから、あなたに触れることが出来たのです。」と訳していた。

思い切って手を延ばす。

ああそうか。  と。

もう遅い。 筆を置いて、ベッドに入ろう。