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2011年「デンデラ」


公開 2011年
監督 天願大介
公開当時 浅岡ルリ子71歳 草笛光子77歳 山本陽子69歳 倍賞美津子64歳

監督の天願大介は、「楢山節考」の今村昌平監督の息子なのですね。
佐藤友哉の小説「デンデラ」をもとに映画化されており、姥捨て山に捨てられた老婆たちのリベンジと悲劇を描いています。

1970年今村昌平の「楢山節考」の後日譚とも言える作品です。
ストーリーは意外な展開を見せ、前半はメイを中心とするデンデラでの生活、後半はデンデラを襲うヒグマとの攻防戦が描かれます。

姥捨ての風習が残る貧しい山村。息子に連れられ山に捨てられたカユを助ける老婆がいた。
そこには御山参りで捨てられた老婆たちが暮らす共同体「デンデラ」が広がっていた。

「どうだオレのデンデラは。いい所だべ」

デンデラの長、メイは100歳。
メイは30年間に山に捨てられた後、自力で生き延び、捨てられた老婆たちを助け老婆だけの村を作ることに成功していた。

デンデラに迎えるの女性のみ。
貧しい山村では女性は単なる労働力であり、男性の慰み者でしかない。
メイは自分たちを虐げ、捨てた村の男たちへの復讐を遂げるため、村を襲撃することを計画ししていた。

随所に心に刺さるセリフがあり、深く考えさせられました。

「30年前、村は働きづめに働いてきたこのオレを捨てた。役立たずの屑のようにな!」

「老いる事が罪か? 年寄りは屑か?」

当初カユは村のしきたりに背き、生き続ける老婆たちを愚か者と責める。
「恥知らず…!」

村は生産性の衰えた者に対し「役立たず」の烙印を押す。
「デンデラは良いよ。村と違ってこの体を後ろめたく感じない」
「デンデラでは考えが違うからとと言って、村のように殴られたりはしない。意気地なしと呼ばれるだけだ」

「お前の寿命はまだ尽きていない。デンデラで生きるのだ」

村を襲おうとするメイを、マサリが止める。
マサリもまた、村で虐げられてきた女性であった。
「村を襲っても何も得る者は無い。村よりも豊かになることが、何よりの敵討ちだ」

村を襲う前夜、デンデラに現れた巨大な熊。
熊は老婆たちを次々と食い殺す。

熊の全体像を映すことが少なく、やや着ぐるみ感はありますが、巨大の熊の恐怖は感じる事ができました。

私は熊が登場する前の前半までで、この作品のテーマは語られたと思います。

老婆たちが決起して攻防の末、村を襲い勝利を納めるという展開を期待してしまいましたが、ここから先はデンデラを襲う野生の熊との戦いになります。

メイをはじめ、デンデラの老婆は熊の襲撃により次々と命を落とし、残ったのはカユら数人となった。

カユは山へと走り、熊を誘導する。
カユが辿り着いた先は、自分たちを捨てた村だった。
熊は容赦なく村人を噛み殺していく。

カユはメイの意思を継ぎ、間接的ではあるものの村に復讐を遂げたのだった。

近年はアイドルが主演を務め集客重視で内容がおざなりになっている作品が多い印象ですが、この映画を見て感じたのは日本には素晴らしい女優がこんなにいたんだなという事です。
映画の撮影は雪深い山形の極寒地帯で行われ、出演女優たちは衣装の下にいくつもカイロを貼り、ノーメイクの体当たりで撮影に挑んだそうです。
どれほど薄汚れた格好をしても彼女たちの目の輝き、オーラは損なわれていません。

弓の名手ヒカリを山本陽子が演じていましたが、私は最後まで彼女とは気付きませんでした。
かつての美人女優の殻を脱ぎ捨てた彼女の演技は清々しいものがあります。
吉永小百合だったらこの役は絶対断っていたでしょうね。

倍賞美津子は村への復讐を良しとしない平和主義者のマサリを演じていました。
彼女は40年前、今村昌平の「楢山節考」に“おえい“の役で出演しており、彼女自身本作に出演するのは感慨深いものがあったのではないでしょうか。

草笛光子は聡明かつ冷静なデンデラの長メイを演じていましたが、単なる名女優と呼ぶだけでは物足りないほどの圧倒的な存在感でした。
メイが食した後の魚の骨で髪をすく場面は、貧困ゆえに置き去りになっていた女性としての自分を取り戻したかのようで、熱いものが込み上げてきました。
本作は壮絶でありながらどこかファンタジックでもあり、もののけ姫の「エボシ御前」のような二次元的なキャラクター作りが作品にぴったりハマっています。
これも彼女の役に対する深い読み込みがあってのことでしょうね。

打ちひしがれた惨めな老婆から戦う女性へと変貌を遂げるカユ。
私が小学生の頃、浅岡ルリ子と田村正和共演のドラマ「土曜 日曜 月曜」が放送されていたのを思い出します。
田村正和の妻を演じた当時30代の浅丘ルリ子の洗練された大人の女の色気たるや…
不倫をテーマにしたドラマだったですが、当時小学生だった私には到底理解できない別世界のお話でした。

映画、ドラマ、舞台でも女優としての実力をいかんなく発揮してきた彼女ですが、私が印象に残っているのは2003年に日本テレビで放送されたドラマ「すいか」です。
浅岡ルリ子は個性的な大学教授の役を演じていましたが、若い女優たちの中でも圧倒的な存在感と魅力があり、彼女が主演といっても過言ではないくらいでした。
私生活では2000年に夫だった石坂浩二と離婚していますが、今でも記憶に残っているのが離婚会見で石坂浩二が彼女との離婚理由として挙げた「女優を辞めて、親(義親)の介護に専念してほしかった…」
彼女のような華のある天性の女優に、仕事を辞めて両親の介護をして欲しいだなんて、「もっとマシな理由を考えろ」と言いたくなってしまいます。
石坂浩二はこの離婚会見のわずか5日後に22歳年下の女性と再婚し子供を授かっています。
彼女は後に離婚をジョークを交えて語るなど、器の大きさを垣間見せていました。

数々の印象深いセリフの中で私が一番心に刺さったのは
「本心から死にたいと思っている者などいない」というものです。

これはデンデラの老婆たちに限らず、自ら命を絶つ若者にも同じ事が言えるのではないでしょうか。
村の掟を受け入れ死ぬことを良しとしていた老婆が、デンデラに助けられた時「ありがとう」と感謝する。
同調圧力により死ぬことを誇り、生きることを恥とする社会でも、皆本心では生きたいと望んでいるのです。

この作品を「荒唐無稽」と批判する意見も多く見られますが、私は出演した女優たちの素晴らしさに目を奪われ、それだけで十分見応えがありました。

熊との戦いより、自分たちを捨てた村と戦い、戦った結果何が得られたのかという部分に焦点を当てれば、「楢山節考」「プラン75」で私たちが感じたやるせなさに対する「アンサー作品」になったかもしれません。


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