特殊ミステリー歌劇「心霊探偵八雲」呪いの解法を見てきました

ネタバレばかりしています。

よかった~~~~~!
めちゃめちゃに三浦香節を浴びられる歌劇八雲がすきだ~~~~~!!!
という感情にあふれながら劇場を出ました。

前作を見たときも「はちゃめちゃ三浦香だった~~~~!!!」という感想がまず出てきたけど、今回もその感情に満たされて、とてもよかった。

そして前作も「雑音!ザッツオン!」なんてリリックが拝めるのは三浦作品だけだぜ~!とか沸いてたらまさかの雑音ラップ続投で大喜びしちゃいました。雑音ラップ、三浦香節を多々感じてだいすきなんですよね……。


よかったところそのいち バイアスの使い方

やられた~!て思いました。
原作未履修の自分としては、前作の初演は舞台作品特有の叙述トリックでうまいこと騙されてしまったので、今度こそやられないぞ、と気合を入れていたのにまたしてもやられてしまいました。

前作では「舞台上で生きているように見えていた人の中に実は幽霊が紛れていて、幽霊だけは衣装に赤いものを身に着けていない」というルールが適用されていまして。(別に作中で公言はされていなかったけれど、見ていると気づいていく仕組みになっていた)

なので、今回は最初から気合入れて衣装を見ていたら、序盤も序盤から白井くんの衣装のどこにも赤い要素が見当たらず、オイ!!!!幽霊だぞコイツ!!!こんなすぐわかっていいのか!!??となってしまったのですが、

結果として、作品の終盤で「作中の登場人物も白井くんの幽霊を目撃しており、それを幽霊ではなく本人と思いこんだことで犯人のアリバイ工作に繋がった」というオチで事件が解決されたときには、「そうだよ幽霊が見えるのって客の自分たちだけじゃないじゃ~ん!」という自らの驕りに気づかされそのバイアスに絶望しました。

つまり、自分は前作で「私には八雲と同様、誰が幽霊なのか判別できる能力がある」という気付きを得たうえで、
今作でも「講堂の舞台に立つ白井くんの幽霊が見えるのは自分と八雲だけ」というバイアスに陥り、

「登場人物が出会っていた白井くんはすでに殺されており、幽霊だった」という可能性をすっかり消し去って作品を見ていたのです……。

自分だけが特殊能力を持っていて、幽霊を見ることができるなんて、そんなことなかった。
作中でも御子柴先生が幽霊を見ている描写があったし、アンカちゃんが白井くんの幽霊のことを見ていてもまったくおかしくないんですよね。
それを、幽霊が見えるのは、それが幽霊だと判別できるのは、その判別方法を知っている自分たちだけであるという思考のバイアスに……まんまと陥っていたというか……。

情けない。矢口さんにジャングルジムの間から飛び出して「バイアス!!!!!」って叫んでほしいですね。情けない。あのシーン大好きです。

そもそも、今回白井くんが生きているのか死んでいるのかが話の争点ではなく、けっこうあっさり八雲が「白井さんはもう死んでいます」というのを他の人にも話していたから、たぶんあえてわかりやすく衣装も真っ白にしたのだと思うと、くやしい。完全に掌の上で転がされた感がある。くやしい。


よかったところそのに 矢口皇聖という男

あのほんとうに心からよかったですね……矢口皇聖……とても……。

前作時点での印象が「御子柴先生を心から崇拝してるちょっとヤバめのよくわからん男」だったのが、
今作で「御子柴先生を心から崇拝してるだいぶヤバめの虚無を抱えながら生きている男」に塗り替えられ、矢口皇聖~~~~……と頭を抱えながら帰宅しました。

もともと、御子柴先生のことがちょっと引くほど好きで、御子柴先生に気に入られている八雲を敵視していて……という描写は前作からけっこうコミカルさも含めながら描かれていましたが、

そこに「御子柴先生のためなら犯罪一歩手前のことでも平気でする」「御子柴先生のためなら誰でも騙す」「御子柴先生のためなら職場である大学の学生の情緒と人生をめちゃめちゃにしてでも目的を遂行する」「御子柴先生のためなら実の妹も利用する」あたりの前科が追加されて、こっちはもう大混乱。

さらに、自身のやったことがすべて明るみになったときに発した言葉が、巻き込んだ人たちへの謝罪や言い訳ではなく「もう先生のお側にいられない」という絶望であったのが、こ、こいつ、やべー!!!!!になって、最高でした。とても最高でした。

それと、事件の真相を八雲と御子柴先生が話しているときや、雅巳くんに刺されかけたあと、そして水川さんとの二人のシーンでの「無」の感情表現もとてもよかったです。
ああこのひとは虚無感を抱えてずっと生きているんだろうなというのが、すごくすごく伝わってきて。
七目先生がそんな矢口皇聖の「虚無」の輪郭をどんどんはっきりさせていくあのシーンがたまらなく好きで、よ、良すぎる……の感情に支配されて、たまらなかったです。

八雲に少しずつ理詰めされながらじりじりと追い詰められているときに、顔には笑顔を張り付けているけれど、指先が震え始めて、最初はぎゅっと片手を握るだけだったのが、だんだんと両手を握りしめていき、最後に決壊するところとか、御子柴先生に「君は優秀だよ」と言われてハッと顔を上げたときのすがるような瞳の揺れ方とか、この目でほんとうに見られてよかったです。
永田さんのああいう、ここまで緻密に細やかに積み上げてきたのだろうというのがはっきりと伝わってくる演技が好きだな~と再認識しました。とても好きでした。

祖父から真実を聞いてしまってから、矢口皇聖はどんなことを考えてきたんだろう。
どれだけ悩んで、きっと何度も後悔して、でもやっぱり御子柴岳人のことがどうしても手放せなくて、妹も学校も巻き込んで事件を起こすことを決意して。
憧憬と羨望と傾倒と崇拝と嫉妬と虚無で構成された男、大好きすぎる。この先もずっと見ていたい。好きです。

一方でこの先もずっと冷蔵庫背負って牛乳をマイクにして歌うみたいなこともずっとやっていてほしいから一生おもしれー男でいてくれ~~~~~の感情もあります。
(あの冷蔵庫本物だから15キロあるって聞いて爆笑した)(肩の強い男、矢口皇聖)

その他とまとめ

作品自体すごくよかったなと思う一方で、八雲はeX向きではないかも……という気持ちもちょっと生まれました。
個人的にeXという劇場はとってもとってもとっても大好きで劇場に入るだけでわくわくするだいすきな空間ですが、前作のミクサで見たときの舞台上の文字の応酬がとても印象的だったので、それが円形劇場になることで見づらくなってしまったのはちょっと残念だなと思いました。
(eXだからこそ、上空と地上と地下で劇場を縦に使ったあの演出もすごかったけど、自分はそれと同じくらいあの文字がどんどん入れ替わるやつを正面から見たかった……!というきもち)

あと円形の客席に対してああいう長方形のステージになると、役者に完全に背を向けられる場面が出てきて、それがいい具合に働くときとマイナスに働くときの差が激しくて複数回観劇向け仕様だ!!!とは思いました。
(自分はD・Eブロ側で見たのですが、八雲が御子柴先生にチケット渡す流れのときの御子柴先生が完全に対岸で背を向けていて、ここは正面から見たかったな~……という欲が出た)

でもやっぱありえないくらいいろんなことしててすさまじかったな。eXのポテンシャルの高さ。まだこんな使い方あるんだ……ってびっくりしました。地下に落ちてくのすごかった。こわい。

文字の使い方で言えば、八雲からチケットを受け取って御子柴先生が行動に到着した瞬間に入り口に「3548(みこしば)」「89m0(やくも)」が揃って、ああやっぱりこのふたりが作品の主役であり、これからはじまるショーの主演でもあるんだな、と思い知らされる瞬間、あそことてもすきでした。


結論。自分はとてもたのしかった。特に矢口皇聖がとても良くて、さいこうだった。
まあでも作品は人を選ぶかもしれないな~……という気持ちはどこかにあります。こういった世界観って人によって合う合わないがはっきりしてるよな~と。
でも一方でそれが芸術やエンタメのいいところで、合う合わない、好き嫌いが人間ひとりひとりそれぞれ異なるからいろいろな種類の作品が生まれ、いろいろなタイプの役者さんが活躍し……ということになっていると思うので、万人に刺さる必要もないよねというか。

なので、歌劇八雲、好きだなの感情を抱えつつほどよく発信しつつ、とりあえずなにかしらの続編をこの先も作る気はあるぞの意気込みは感じましたのでやったー!たのしみ~~~!!!の気持ちで待ってます。


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