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横内勝司「時を超えて」〜想い〜

おはようございます。

今朝はオープンの2時間前に会場入り。
朝のコーヒーを飲みながら、10年前のことを書いてます。


2015年5月の松本での初個展で松澤さんという元学芸員の仕事をされてた方とお逢いしました。

「もちろん写真も素晴らしいが、あなたの仕事が素晴らしい!」

と、写真展の企画を褒めてくれた後、失礼ながら…と前置きして「これほどの写真を何故ここで?」と、街の小さなギャラリーでの開催を訊かれた。


松本市美術館との経緯と見に来た三人の反応を話すと松澤さんは呆れて、

「ありがちな話しです。有名だとか売れてるとか…権威づけられたものに縋り本物を見ようとしない!だからダメなんだ」と少々お怒り気味💢

「私はもう一線ではないし、病んでもいるし…何が出来るかわからないけど、なんとか力になりたい」と応援を約束してくれた。

そして後日、自宅を訪ねてくれた松澤さんに先日の写真展の手応えを話し、リーフレットをお渡しした。その時「大した力にはなれないが、これが最後の仕事になるはず」と言って別れた。

体調が良くないのは聞いてたが、ギャラリーでお会いした時よりやつれて見えた。


この時の一枚が東京の芥川さんの机の上に届いたもので、以前芥川さんの講演を聴いた松澤さんが送ってくれたものでした。


年明け早々の芥川さんの自宅への訪問を電話で告げると

「良かった!良かった!それで、いつ掲載されるの?」

間にあえばいいが…


新聞に掲載された日の早朝、確か6時前にボクの携帯が鳴った!

「見たよー!いい記事だねー 
 良かった!良かった!」


ボクより先に松澤さんはコンビニで新聞を買い、すぐに電話をくれた。

それから間もなく亡くなったと聞いた。


初めてギャラリーでお会いした時には既に末期の癌を患っており、あのとき言ってた最後の仕事という意味が…


松澤さんが繋いでくれた縁が芥川さんの記事となって全国に広がった。

秋に東京での開催が決まると芥川さんは何度も会場に足を運んでくれた。松澤さんもきっとあの世で…もしかしたら横内さんと一緒に見てたかも🤗


当時10代の若者たち、この写真が大好きで150cmの大判プリントで、どの会場でもこれをメインに展示を考えます。今もこれと対峙しながら…




この記事を読んだ大阪の女性書道家の福永さんの尽力で大阪での開催も実現した。東京板橋の「喫茶さかもと」でも。以降も名古屋、福岡、滋賀、京都、北海道…と、草の根のような人の縁が繋いでくれたこの奇跡。


たとえ小さな会場であっても本気で観たい!という人の想いに出来る限り応えていきたい。それがこの写真と出逢ったボクの役割だと思うから。

そんな熱い想いで、今日も暑い京都でお待ちしてます。

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