「汚れる代わりの人を作るのが少女漫画」やまだないと氏の分析に感銘・・・よしながふみ対談集 『あのひととここだけのおしゃべり』
私がある種のBL(レイプとかオメガバースとか)に対して感じていた違和感を、鮮やかに言語してくれたのは、やまだないと氏である。
よしながふみ対談集『あのひととここだけのおしゃべり』の中で、やまだないと氏は、以下のように語っている。
私が思うにね、自分の手を汚さないってことかなって思うのよ。少女マンガって。汚れる代わりの人を作るのが少女漫画かなって思うんですよ。だから私のマンガも多分私は、私の手を汚していないと思うんですよ。自分が汚れるわけにはいかないっていうのが女の子としてきっとどこかにある。だけども、汚れるって結局、自由な気持ちになるって言うところもあるから、だから代わりに汚れてくれる人を作ってる。
また、『風と木の詩』のジルベールについては、このように話している。
私は、『風と木の詩』を読んだときに、ジルベールは男の子とも女の子とも思えなくて、この人はこんなふうにされるために作られた性別の人だって思ったのね。男の子とか女の子とかじゃないじゃん、何かあの人。
私の描くエロ漫画って結局ジルベール描いてるんだと思うんだ。何か女子高生とか、リアルな女の子って勝手に言われてるけれども、絶対にありえないような、自分の代わりに落ちてくれたり、汚れたりする人を描いているんであって、私はジルベール描いておるな、と思うの。誰も絶対思わないと思うから、自分でいっておくけれども。
これを読んだ時、まさに目から鱗が落ちた気がした。
そして、「汚れる代わりの人を作る」ということをBLマンガについてだけの話として語ることもできるのに、少女マンガ一般、そして、自分の作品についても同じである、というところがすごいと思う。
「誰も絶対思わないと思うから、自分でいっておくけれども。」という言葉に、やまだないとさんのどうしても言わなければならないという誠実さと、自分自身への厳しさを感じた。
不器用過ぎるよ!
自分が傷つかないために他者の表象を用いることへの、自分自身が感じている違和感をこれほど正直に言語化することに感銘を受けた。
多くの作家は、それを無視するか言い訳をするかなのに。あるいは、もともと何も感じていないのかもしれない。
自分の代わりに汚れる人を作るのが少女漫画なら、ある種のBLはその究極の形なのかもしれない。
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