『風と木の詩』はゲイの中学生だった私には辛かった。(「やおいに対してゲイから抗議が起こらなかったのは、彼らが男性特権を持っていたからなのか」補稿)

これは以前書いた、「やおい」に対して、ゲイ当事者から抗議が起こらなかったのは、「彼らが男性特権を持っていたから」なのか・・・『BL進化論 対話篇』 作家 C・Sパキャット氏との対話、の補稿です。

90年代にあった「やおい論争」について、溝口さんは以下のように書いている。

「やおい論争」戻ると、多くの人は、大々的なゲイ・コミュニティからの抗議であるように誤解していたのですが、実際には一人のゲイ男性が、とあるフェミニストのミニコミに過激な抗議文を載せたところから、複数の女性たちが応答した論争だったんです。・・・(中略)・・・当時の一般のゲイたちは気にもしていなかった。なぜなら、彼らは男性特権を持っているので、たまたまBLをーー当時の言葉としては「やおい」でしたがーー目にして不愉快になったとしても、実際にそれらの表現物を脅威に思う事はなく、無視すればよかったのですから。

溝口彰子 『BL進化論対話篇』

この発言について、もう一つ私が言いたいのは、やおいが、多くの未成年のゲイ男性にも読まれていたことだ。溝口さんは「たまたま目にして不愉快になったとしても」とゲイ当事者がやおいを目にするのはあくまで偶然であるように書いている。しかし、当時、ゲイ向けの商業誌はあったものの、それらは成人向けの雑誌として扱われていて、中高生が手にするのはなかなか難しかった。(薔薇族を万引きしようとして見つかり、自殺した少年もいる。)そんな中で、少女漫画雑誌やJuneなどの方が手に取りやすかったし、扱っている書店も格段に多かった。ゲイに関する情報の少ない中、やおいを読んでいた未成年のゲイ当事者も多く、私もその一人だった。しかし、読んでいるうちに、私には違和感が残るようになった。

竹宮恵子氏は、『風と木の詩』について、自身でこう書いている。

第1話の冒頭に少年同士がベッドインしており、行為が終わった情景から始まる。さらにこれが展開して、寮生活の少年(生徒)同士、生徒と教員による売買春、少年と父との近親相姦が描かれる。まだ成熟していない娘に読ませるマンガとして好ましくないと非難する親がいても、少しも不思議ではない。でも私にしてみれば、そのテーマをより深めていくためには、こういう描写が欠かせなかった。

竹宮恵子 『少年の名はジルベール』

萩尾望都さんの著書「一度きりの大泉の話」には、萩尾さんは『風と木の詩』の作者であり、当時同居していた竹宮恵子さんから、「風と木の詩』の下書きを見せてもらったときの会話が出てくる。

主人公の美少年の絵を何枚も描き、キスシーンやベッドシーンや鞭打ちシーンを見せてもらいました。すみません、鞭打ちシーンに興奮してる増山さんや竹宮先生を見ても、どこがいいのかわからないので、「少年愛って私には難しいなあ」と思っていました。でも、どんな話になるのかなあ、と楽しみでした。・・・(中略)・・・ そして美少年が校長先生や上級生を誘惑していくのを見て、「この主人公の少年はきっと寂しくて、こういうことをしてしまうのね? 愛を求めているのね?」と、竹宮先生に言いました。すると彼女は、そんな陳腐な動機づけは却下という感じで、「違うのよ。この子はそういうことが好きなのよ」と、キッパリ。

萩尾望都 『一度だけの大泉の話』

今、思うと「この子(少年)がそういうことが好き」なのではなく、作者とその読者の多くが「そういうことを見るのが好き」なのだと思う。

これについて、『BLの教科書』では以下のように書いている。

竹宮惠子が述べるのは, 少女キャラクター に起こる暴力描写を少女読者が見ることに比べ, 暴力が少年キャラクターに起 こる場合,緩衝材の役目 を果たすということである (竹宮 2016)。 1970年代に 描かれた 『風と木の詩』 は, 少女たちに性が幸福をもたらすだけのものではな いことを, 少年たちの性を迂回する方法で見せてくれた。 本作は, 性暴力の対象になりやすい少女のための 「教養」として, あるいは, すでに性暴力被害にあってしまった少女を孤立から救うものとなっただろう。

堀あきこ『BLの教科書』 第8章 ポルノとBL

ここには、若年のゲイ当事者がこれを読んでどう思うか、という視点は全くない。

「少女のための『教養』として」、「すでに性暴力被害にあってしまった少女を孤立から救う」ため、(女性の代わりに)未成年のゲイ当事者の表象を採用するという考え方は、グロテスクだと思う。

『風と木の詩』を読んだ時、私は中学生だった。私にとって『風と木の詩』は、自分のゲイとしての明るい未来を感じさせるものではなかった。「今は暗いがだんだんポジティブな展開になるのかな」とも思って読んでいたけれど、最後までそうはならなかった。私はその時の自分が、そして他のゲイの少年たちが、「男性特権を持っているので不愉快になったとしても、実際にそれらの表現物を脅威に思う事はなく、無視すればよかった」とは思わない。

『風と木の詩』は、第25回(昭和54年度)小学館漫画賞少年少女部門を受賞している。同じストーリーで少女を主人公にしていても「少年少女部門」で受賞しただろうか?選考にあたった人々にも、若いゲイ当事者の存在は念頭になかったのではないか。


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