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僕は…正解ではなく…現時点での最適解を出し続ける…

最近…
生きるとは…
答えを出し続ける事なのだと思う様になった。
一人で出しっぱなしの答え…
誰かと答え合わせするもの…
そして…
人が出した答えをどう評価するのかすらも…
答えの一つ…
生きている限りは際限なく続く…

誰かが作った作品も答えである。
自分が作った作品も答えである。
結局は…
より多くの答えを出し続けた人が…
結果として長生きしているに過ぎない。
凄く素敵な答えを出した人でも…
明日はもう…
答えを出せないかもしれない…

その時その時で…
どれだけ屑籠に捨てられる様な…
くだらない答えを出したとしても…
誰が出したかも分からない問いにも答え続け…
生き続ける事が大切な事なのだと思う。

だから…
正解なんて言葉に囚われるな…
正しかろうと…
間違っていようとも…
生きている限りは次々に問いは投げかけられる…
何なら…
白紙答案ですらも答えだ…
ただ…
そうした答えを出した時は…
その問いと共に忘れ去られる…

誰かに問いを投げかける事すらも…
答えなのだ…
禅問答で言う公案は…
一見…
問いと答えの様に見える…
でも…
問いが既に簡潔に示された答えだったりするのです。
で…
その答えを理解しているかを確かめる為に…
深掘りした答えを…
問いかけられた人が答える。
公案として残されている問答について…
別にこれが正解だという訳ではない…
でも…
今日まで公案が数多く残っているのは…
昔から悩む問いは…
そう大して変わっていない事と…
それに対する最適解が塗り替えられていない事を証明しているに過ぎない。

ただ…
長生きしたからと言って…
良い答えが数多く出せる訳でもない。
ただ、
長生きすれば…
良い問いだろうが…
悪い問いだろうが…
より多くの問いを投げかけ…
より多くの問いを投げかけられ…
より多くの問いに触れる事になる。
長生きする事の意味・意義はそこにあるのだと思う。
その中で見いだされる価値というものは…
その意味や意義に付随するものでしかない。
だから…
価値に悩んでばかりなのは…
その意味や意義に対して…
その本質を見失う事にもなり兼ねない。
そもそも…
価値などというものは…
向き合う存在があってこそ…
一人で…
うだうだと思い悩む中には生まれない。

悩むなとは言わない…
それは…
君がその問いに真摯に取り組んでいる証拠だ。

でも…
世界は答えを待っているのだ。
どれだけむかつくような答えでも…
どれだけ悲しくなる様な答えでも…
でも…
心躍る答え…
心温まる答え…
君が生きていると感じられる答え…
そうした答えが届くのを待っている。
そんな気がするのです。

因みに…
先日…
書いた記事の中で泣いた曲は…
実は…
↓この曲。

どのフレーズで泣いたかと言うと…

制限時間はこれからのあなたの人生
解答用紙はこれからのあなたの人生
                                                     :引用元 RADWIMPS 正解 [18FES Ver.]

(実は…もうちょっと前から泣きそうにはなってるんですけどね…)

で…
今日のタイトルにした意味の伏線回収完了…
(この独り言が蛇足なのです…)

そんでもって…
今日…
この記事を書こうと思ったきっかけの記事…

元陸上競技選手で
スポーツコメンテーターなどで活躍なさっている
為末大 さんが書いた
記事がこちら↓

正解だろうが…
不正解だろうが…
臆せずに解き続け…
答え続けていくしかないですね。

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