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中国性愛事情が中断した故、世界性愛事情へと飛躍させるとなると先ずはメキシコシティで出会った女の話でもしよう。

 女の名前は確か、フランチェスカ・パーレビ。
いや、フランシスカだっけかな、、始まりは、独立記念公園から近くにある、売春通り。サン・コスメで悪友、アントニオと声をかけた女だ。さてこのアントニオという親友、元メキシコシティの中央警察署で11年間警官稼業をやっていた小柄な妙に気のいい男。俺の為には何故か動いてくれる。コカインやマリワナをいつも仕入れて来てくれる。奴は何故かマリワナがダメでコークは大好きときている。一度俺の為にコカとマリワナを仕入れに行って俺の当時長居していた安ホテルを夜に飛び出してから帰って来なかった時があった。で翌日の朝、俺の安宿に帰って来た事がある。奴は、まいったぜ、パクられた、と言った。日本円で約3000円を警官に渡して釈放されて戻って来たことがある。メキシコシティは当時そうだった。確か200ペソ、日本円で三千円を払えば、大麻ならその日のうちに自由になれる。
 話が、逸れたな。フランチェスカ、いやフランセスカと言ったっけな。その女に話を戻そう。
 はじめ会った時、彼女は、バルコ(船)が迎えに来ないからどうしたこうしたと、タクシーの中で興奮気味に早口で俺たちに話すから何を言っているのかよくわからなかった。俺のスペイン語が拙いから分からなかったか、と思いきや、アントニオも後で聞いたら俺もあの時は何を言わんとしているのか、よく分からなかった、と言う。
 それから三人で俺の安宿まで辿り着いてからすぐ彼はいつものように、俺に、楽しんでくれよな、また明日な、と家路に向かう。
 その後、ゆっくり楽しませてもらってから彼女とお互い文字通り裸のまま話をしてみて驚いた。彼女は自分はシャー・パーレビの娘だと言うのである。小さい頃はパリに住んでいたがパリ生活も身が危なくなったらしく必ず船が迎えに来るから、と母親に連れられてメキシコまで逃れてきた、と言い、ずっと迎えの船を待ち続けているが迎えの船はいつまでたっても来ない。そして母親は老いて死んでしまったという。
 パリ生活の年代から何から全てイラン革命後のパーレビ国王のその後と一致するのである。
 俺がイランの話に言及し出すと、また彼女は興奮して、イランの歴史は中国より2000年も早い、
などと祖国の誇りをやり出すのである。
 それでその日は電話番号をお互い交換して、また会うようになるのだが、その初めて会った翌日、例のアントニオが、仕事帰りに俺のところに寄って、昨日は良かったかい?どうだった?と聞く。(まあ彼もそれを聞くのが楽しみである事はお互い通じてるって仲だからな) 俺は、おいおい、それよりあの女、パーレビ国王の娘だと言ってたが、と昨日の肉体活動の話は簡単に済ませて、例の事をひと通り話して俺は最後に彼に聞いた。で、お前さあ、それ本当だと思うか?
 彼は淡々と答えた。おそらく本当の事だろう。だってあの女の顔。明らかにメキシコ人の顔じゃねえ。明らかに、外国人の顔だから初めて見た時にありゃメキシコ人じゃねえな、とはわかったがな。と、、
 俺は、念を押すようにまた、でお前はあの女がパーレビ国王の娘ってのは本当だとは思うか?と聞く。
 奴は、何度聞くんだよというような表情で答えた。
 本当だろ! 本物さ! モノホンのシャー・パーレビの娘さ!!!!!
 -続く-

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