北海道が好きになったわけ26
一応、体育会テニス部だった我々は、5校か6校か覚えていないけど、5部リーグはそれくらいの数の大学で構成されていて、1年間、と言っても北海道は半年近く雪で覆われているので、実質約半年間でリーグ戦を戦っていた。
リーグ戦は団体戦で、記憶が定かでは無いが、ダブルス×3、シングル×6で5試合以上勝った方が勝ちだったと思う。
僕は一応、1年生からシングル戦に出場させてもらっていたので、全ての遠征に連れて行ってもらった。
ご存知の通り北海道はとても広いので、遠征も簡単には行けない。記憶に残っている中で一番遠かったのは摩周湖方面への遠征。深川市から摩周湖までマイクロバスで約300キロ。その往復を運転してくれるのは山里さん。普段は大学の総務課長として勤務するテニス部の顧問だ。
山里さんは当時40歳くらい。初めて会ったのはテニス部入部の時だった。山里さんは少し遅れて来た。大学の総務課課長の方が顧問だとは聞いていたので、
「きっと真面目な方なんだろうなぁ」と思った程度で特に顧問に興味はなかった。
が、「はい、新入生、どうも〜」と遅れてきた山里さんを見て、ビックリしながら「この学校らしいか」とも思った。
簡単に言えば、昭和の時代の、プロの組幹部の方を脳裏に浮かべて頂ければたぶん正解です。
パンチパーマに角度の入ったメガネ、首には金のネックレス、テニスコートに不似合いなダブルのスーツにエナメルの靴。
ゴルフ焼けの顔に似合う切れ長の目で、スッと僕らを一瞥。真ん中のベンチにドンッと腰を下ろすと、周囲の先輩達(7割元暴走族)が、後ろ手に大きな声で口々に叫ぶ。
「チャウスッ!!」
「お疲れ様ッス!!」
「ご苦労様でっす!!」
えーと、ココは本当にテニスコートですか?
「俺がテニス部顧問・山里だ。ヨロシク」
が
「わしが男塾塾長・江田島平八である!」と被った。
まだ、春先の北海道は寒いので、先輩達のほとんどはテニスウェアの上にウォームアップジャージを着ていた。一般的にウォームアップジャージはテニスウェアらしく白や明るい色のウェアだったが、先輩達は、白いウォームアップのマサールさん以外、全員黒。
ただでさえ、イカついことで有名な大学な上に頭のイかれた男塾のようなテニス部なのに、よりによってほぼ黒。相手の大学の選手達がほとんど爽やかなのに対して、どう見ても悪役、ヒール。
ネットを挟んで挨拶する時はめちゃめちゃガンをくれていて、バカ学校の不良がお坊ちゃん学校に喧嘩を売っているようだった(比喩的に書いたがほぼその通り)。
この年の試合の事はほとんど覚えていない。たしか全敗はしなかったとは思うけど、入れ替え戦には全く届かなかったので貢献できたとも思えない。ただ、とにかく必死で闘った。北海道の5部リーグだったけど己の全てを賭けて闘ったと思う。
そして、宿に帰って来てはアルコールハラスメントと必死で闘った。そしてこっちは毎回完敗した。
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