北海道が好きになったわけ③
長くなりそうなので今更だけど番号つけた。
北海道への進学が決まった僕はすっかり有頂天だった。あの「北の国から」と同じ場所へ、真っ白でふわふわな美しい雪景色へ、そして何よりも初めての一人暮らしへの期待感でとにかく引っ越すのが待ち遠しかった。
友達との送別会やお花見なども済ませ、いよいよ引っ越しの日。自分の事しか考えていなかった僕は、当時の家族の気持ちは何ひとつ考えていなかった。父親や二人の妹から何か言葉を貰ったのかも知れないけど、全く上の空で右耳から左耳にすーっと抜けていった。そして、最も僕と離れたがらなかった母は、なんと北海道のアパートまで着いてくることになった。「カッコ悪いからやめてよ」とは一応言ったけど、もはやそれすらもどうでもいいと思うくらい、気持ちは舞い上がっていた。
当時の記憶も東京・羽田空港であったであろう見送られシーンは全然憶えていない。僕の北海道生活は、北海道上空の記憶からだ。お花見を終えて来たはずなのに、空から見た初めての北の大地は真っ白だった。
旭川空港から一歩外へ踏み出すと「うっ!寒っ!!」。3月とはいえまだまだ寒い北海道。東京しか知らない僕はいきなり現実を突きつけられた。それでも、その寒さですら嬉しくてニヤニヤが止まらなかった。そして、道路脇に積まれた雪の壁を見て「スゲ〜」、道路の上から出てる矢印を見ては「なんだ?コレ!」、家の煙突をみては「煙突だ!」と大はしゃぎ。
そんなこんなで、ようやく深川市に着き海鮮丼を食べて、いざ新しい棲み家へ。
当時の拓殖大学北海道短期大学は深川市納内町にあった(現在は深川市内)。JR函館本線で深川駅の隣にある納内は無人駅。当時の駅前通りは北拓短(いちいち長いので以後省略)の学生で持っているような飲食店が3、4軒に銭湯とスーパーとスナックがそれぞれ1軒ずつあるだけ。初めて納内町の駅前通りに立ち入った感想は「俺が19年間東京で何不自由なく生活してる間、こんな何も無くて寒いとこに人が生活してたんだ〜。スゲ〜」だった。
そして初めて自分のアパートに着いて愕然とした。母親はその時の衝撃で「私が着いて来て本当に良かった。違約金をいくら払ってもいいから、このアパートだけは解約しよう。いや、するしか無い!」と拳を握り締めていたらしい。
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