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北海道が好きになったわけ18

一階の住人、静岡から来た若ちゃんは、ちょっと独特の感性を持っていた。

クレヨンしんちゃんに出てくるボーちゃんのように、なんとなくのんびりと悠然とした雰囲気で、泰然自若の感もあり。まぁ、一言で言えば、ボッサーとした感じの子だった。

自炊するのが初めてだったらしく、米を研ぐのに洗剤を入れて洗っちゃうのはお約束。肉の焼ける良い匂いが漂ってきたので

「若ちゃん、いい匂いだね。何作ってるの?」とフライパンを覗き込んで見ると、ブロック肉が切らずにそのままフライパンに乗せられて焼かれていた。
「このお肉〜、全然焼けないっけ〜」と言いながらゴロゴロ転がして焼いていた。そりゃ、一生焼けねーよ。

また、ある日、若ちゃんに用事があって1階の部屋を訪ねてドアを開けると、棚の上になにやら植物が育っている。
「若ちゃん?棚の上の植物ってなーに?」
「あぁ、これね〜、この前鍋やってね〜、余った白菜置いておいたら伸びたっけ〜」
確かに、よく伸びた草の根元は、紛れもなく白菜だった。

そんな若ちゃんが旭川に遊びにいったと思ったら、大興奮で帰ってきた。
「凄いっけ!凄いっけ!」
「どした?何をそんなに興奮してるの?」
「僕ね、今ね、旭川のオー◯真理教ってとこに行ってきたんだけど、これ見て!麻◯さんて人が座禅組んだまま宙に浮いてるっけー!」
「え?この写真?ん?髪の毛逆立ってるし、これ座禅組んで飛び降りたんじゃね?」
「そんな事無いっけー!この前、ムーでも絶賛されてたパワーに違い無いっけ!僕もこれ出来るようになりたいっけ〜」と、1階に降りて行き座禅を組み始めた。

当時、旭川に遊びに行くと色んな宗教の勧誘にあうことが多かった。僕や跡見さんは「手をかざしてもいいですか?」的な人が来ると、「あー、僕ら拝火教徒なんです〜」とか「ワタシ、モルモン教の信者なんですが逆に祈らせて貰えますか?」などと言ってからかいつつ撃退していたけど、純粋無垢な若ちゃんはまんまと引っかかってしまったらしい。それも、その時はまだ凶悪な面は世間に知られていなかった例の教団に魅せられてしまうとは。。。

その何年か後の1995年3月20日、僕は日比谷線で通勤中に地下鉄サリン事件に巻き込まれた。サリンの袋が仕掛けられた中目黒発–北千住行きの電車の一本後の地下鉄に乗っており、逆からサリンの袋を積んで走って来た北千住発−中目黒行きとすれ違っていた。

途中、築地の駅で降ろされた。

「当地下鉄は毒ガス攻撃を受けた模様!至急避難してください!」という悲鳴のようなアナウンスは最初、乗客には響いていなかった。

「はあ?毒ガス?何言ってんだよ。早く会社行かなきゃ行けないのに」って誰もが思っていただろう。そこに防毒マスクをつけた機動隊員らしき人達がたくさん階段を駆け降りてきて、はじめて「コレはヤバい」と命の危険を感じた。

慌てて階段を登り、地上に出た時の景色は恐らく一生忘れないと思う。

地面の上にはバタバタと何人もの人が倒れており、救急車と消防署のサイレンの音、上空には何機ものヘリコプターが見え、周囲では怒号が飛び交っていた。

そんな時でもサラリーマン根性丸出しだったので、とにかく会社に遅刻の連絡を入れると、受話器の向こうから拍手と歓声が聞こえた。

「おい!よく無事だったな!皆んな心配してたんだ。いや、マジで良かった」

実はたまたまいつもより1本遅い電車に乗っていた。いつも通りだったら、サリンを積んだ車輌に乗っていたはずだった。それを知っていた同僚達は、真っ青になりながら固唾を飲んでテレビのニュースを見守っていたらしい。

一連の犯行がオー◯真理教の仕業だと判明していった時、「若ちゃん、もう信じていないよな?ホーリーネームとかもらってないよな?」ってとても心配した。若ちゃんとは大学を卒業してからは会っていない。今頃どうしてるかな。

それにしても、「◯◯っけ〜」というのは静岡の方言なんだろうか。

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