デジタル社会を祝い直せ!

大学は楽園
行くふりして遊べる
出席しなくても卒業できる
その上、周りの同世代は、皆働いている。

だから、時節弁え行動する基準は、
そのときにそのタイミングでしないとイケナイことをする。今は、社会の中で、どのような立場かを弁え行動する。

社会に出ると世の中の不可思議さ、矛盾に出会う
それはマニュアルで解決できない。
自分で考えたり、行動したり、調べたり、聞いたり話したりしないと駄目だ。

理科と算数が好きな人は理系にいくのが当たり前
文学と歴史が好きな人は文系にいくのが当たり前

一昔前は確かにそうだった。
でもデジタルが進んだおかげか、理系に行かなくても文系のことがわかるし、逆もまた真だ。

面白い話を一つ。
赤を見た動物がなぜ興奮するかを。
一つには、赤が生物学的に血の色を表し、動物の本能でそれを感じるから。
もう一つ、赤の染色体をもつ生物が、遺伝学的に優位性であり、生殖本能を呼び起こすから

一つの事象が、文系的、理系的にそれぞれ解釈、説明が違う。
これこそ社会における課題解決の多様性を克服する理由となる。

もうおわかりだろう
デジタル能力には、これまでの学び方の過程を一閃する力がある。

これから百年時代を迎えるにデジタル能力を過小評価してはならない。それはトリも直さず、百年時代の到来にデジタル能力が一役買ってでるから。また副業規則の改変やスタートアップ企業の算出増加なども後押しするだろう。

大学はこれらの変化を背景として受け止め、
デジタル教育の推進と併せて、社会人教育の亢進をすべきだと論じる。頓挫しつつある地方創生もまた、大学の進化を鑑みて、新たに論じる事が出来るだろう。


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