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自分って勝手なのかも

ある人から話を聞いてほしいというので、話を聞くと、自分の良いように解釈した話の内容だった。
その人のことを書くわけではないので、そういう内容の話を聞いた僕が、どう思ったかという内容の記事になります。

仕事上にしろ、友達、親子、兄弟姉妹、先生や生徒その逆、袖振り合うも他生の縁というようにどこかのお店やテーマパーク、観光地などで、挨拶する程度の出会いや写真を撮ってもらうなどの出会いなど、必ず多くの人と出会いがあります。そのような一期一会の出会いの中で、相手に気持ちを聞くことが出来ずに、相手の態度や行動からこんな風に考えていたんじゃないかと推測して過ごされているのではないかと思います。

例えば、夫婦仲が少し悪くなってきた時期に大喧嘩して夫が出て行った、帰りに事故に遭って死んでしまった。出刃包丁を買って家に戻る途中で事故に遭ったとします。奥さんは、夫は料理なんてしないから私を殺すために包丁なんて買ってきたんだ。事故に遭っていなければ私が死んでいた。と考えたとします。

でも、真実は夫婦仲が悪くなってきた原因は今まで何もしてこなかった自分の責任である。半年先の妻の誕生日に自宅でマグロの解体ショーをやって妻が大好きな大間のマグロを腹いっぱい食べさせてやりたいと思って、包丁を買ってマグロの解体を教えてくれる師匠のところへ行く途中だった。

奥さんはそのことをしならなければ、ずっと夫は私を殺そうとしたんだ、死んでくれてよかったと思い続けて生きることになる。

実際のところ、相手に聞くことが出来なければ、真実は分からない。じゃあどうすればいいのかということですが、正直自分が良いように解釈するのは仕方がない面があると思うのですが、その解釈が自分は正しい。自分は間違っていない。悪いのは相手であるという解釈出るならば、その解釈は改めた方がいい。自分の責任逃れや自己保身に入っている可能性が高い。自分がかわいいと思うと自分が傷つかないように物事を歪曲してしまう。一種の守りであると思うのですが、それだと、自分の悪いところ、自分の短所から出て来た錆の部分を相手に自分の錆びを塗りつけて、相手から出た錆のようにしてしまう行為。
極端なことをいうと満員電車の中で手をしたに下げている人の手を握り、この人に痴漢されました。お尻触られました。そうやって嘘の行為をして、自分が本当に相手にして欲しい人の気を引く。怖かったね。とか家まで送っていくよ。とか声を掛けさせる手段として、冤罪をでっちあげる。心が自分保身、自分がかわいいという思いでいっぱいで、自分のことしか考えていなとそのような心になりかねない。実際にやるかやらないかは別として、心がそれをやってしまえ!という心であれば、実際に行動に移していなくてもやっているのと同じです。

そんなことを考えながら、自分は、自分の人生で負の出来事、離婚した時など、相手が悪く見えていないかどうかを改めて点検して、良いように解釈していないか、自己中的な解釈をしていないか客観的な目で見るように努力を今も続けている。何故なら、相手が悪く見えるから(笑)どうしても、相手のせいにしたくなるから。
自己中の自分が露呈して恥ずかしい。でも、これも自分受け入れて精進します。

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