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私の研究開発の道
私の研究開発の道
人間は何かに関心や興味を持つとそこに意識が集まります。それは太陽を虫眼鏡で光を集めて紙を焼くのと似ています。
例えば小2から岩石採集が好きになり、その意味は私にはわからない。本を読んで、あちこちに野山を探しに歩いて、岩石採集しました。今なら東急ハンズの岩石、宝石コーナーでかなり手に入ります。
また、その頃は並行して漫画や甲虫にかなり傾倒した時期があります。
そこで気にいるものがなければ、東京御徒町の宝石、ミネラル、岩石店に行けばたくさんの種類があり、店によって販売されているものちがいます。
そうして何回も通っていると、自分が好きなもの、魅力的な物への意識が洗練されて来ます。
そうすると岩石に何を描いて求めているか?を自問するようになります。こうして自分の意識と例えば研磨していないラピスラズリを身近に置いておくと、だんだんその境界がなくなり、関心や興味がなくなります。
つまり一時的な岩石との🪨主体的関係に離れが産まれて、解放されます。
しかしここからが、大切です。つまり私が岩石に興味を持つ主体から、岩石から私の意識に問いかけてくるのです。
これは感性的な次元ですが、岩石ではなく、生きている堆肥や植物になると微生物関与が影響するので、意識の双方向の進展が図られます。
これらの働きかけは濃厚です(笑)
そこに至ると、要は技術的要素は堆肥の方から、または花の方から、無目的に、無償的なプレゼントがはじまります。
ところがそれが必要で、有益な情報かどうかは不鮮明ですが一応、受容が行われます。そこには判断や選別は無意味です。
意図的な選別は主体的なので殆ど価値がありません😰
それは無分別智から生まれている床材や堆肥レシピであったりします。つまり考えては、主体的研究からは、ほぼわからないのです。だから相手からやってくる情報を無分別に受容することが大切です。
このような事は、文章化することが難しいのですが、少し書いてみました。
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