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私の社会的必要性について



以前書いたように、今から60年前、中学校時代に、NHK特派員報告の番組を見て、将来アジアやアフリカなど海外で農業支援をすると観じました。意識しました。

その後、工業高校を経て、大学で国際農業開発の道に進むのですが、途中「沈黙の春」から、有機農業の道に目覚め、どこにも就職することなく、この道を進んできました。

ところが野菜の病虫害問題に行き詰まり、10年間を経て、完熟堆肥の道に入りました。その中で生ごみリサイクル堆肥化を頼まれることになり、これらを進めていくうちに、日本より海外で、生ごみ埋め立て問題が大きな課題であることがわかりました。

その中で海外から、技術支援を頼まれてるようになりました。ボリビア、フィリピン、パラオ、パレスチナ、ネパールそして最近はスリランカ、ブルキナファソなど、不思議と中学時代から夢が実現してきたのです。

つまり時代に即した結果的に、社会的必要性に合致したからだといえます。

しかしこのような公共的な支援に必要な技術開発がどのようにして生まれてきたのか?それは私にその能力あったからではなく、感性が優れていたからではなく、社会的必要という天の配剤によって与えられたのです。

また私に技術的な所有観がなかつたため、公開して普及したようです。

また私の社会的必要性は、自分が社会より7年間ぐらい進展しているというエビデンスのない妄想感覚があるからです。

妄想が現実として社会的必要性が事業となり、生ごみ問題解決や、有機栽培に寄与できることはありがたいとです。

新規就農する人たちも、有機が正しいとかよりも、その時代の有機農業が持つ社会的必要性に即した有機の道を進めて欲しいと思います。

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