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生け花
なぜ生け花をするのか?
生け花を始めた頃は、うまくいけたいと思いました。しかしなかなか納得した、うまくはいけられないことに気づきました。
毎年、納得できる先生を探して、漸く6人目の先生に出会い、初めてすぐ、この先生は間違いないと気づきました。
それから9年目になりますが、我が家に来てもらって相性なのか続けています。
お稽古は、古きを習い、到達する、神意に至る という意味らしいが、それからはともかく先生の真似をする、手直してもらいながら続けてきました。
数年経つと、まぁまぁ形になってきました。
でも、意識が集中するので疲れます。サクサクとはいかないのです。
同じ仲間にも、センスの良し悪しや、上達の早晩はあり、学ぶところが大きく、お稽古を重ねていきます。
しかし上手くなると先生に認められて、褒められすぎると、これもまた問題で行き詰まりがきます。
むしろまだダメだ、何年やっているの、お叱りを受けた方が初心に帰るのです。
真似に慣れてくると、形が決まりすぎになります。そこから冒険したいものですが、それをやめて先生のおめがねに叶うことを第一としてやってきました。
先生は小原流大師範ですが、上に構えることなく、季節の花を家庭に飾ることを第一義とされています。
私は生け花向きの花を育て、その花でいけています。
野菜なら美味しい料理を作るために、堆肥づくり、土づくりをして色んな野菜を育てます。
しかし有機和花は、無肥料、不耕起、草生栽培なので、殆ど恣意や作為がはいらないのです。
それは植物の自然の姿を、そのままいけるのでなく、より自然に、より美しさを感じるお稽古なんだと思います。
前回(弓と禅)を投稿しましたように、習いごとは、お稽古は、形から入り、訓練して、行き詰まり、いかに恣意性を離れるか、のための修養のようなものかもしれません。
久しぶりにお稽古して、そんな気分になりました。
床間の写真は先生の作品です。
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