見出し画像

#6 因縁のイスタンブール

今回は自分が経験したイスタンブールで起こったトラブルについて書いていきます。
飛行機のトランジットとして計3回イスタンブールを利用させてもらい、そこでよくある海外トラブルというものを経験させてもらいました。

最初に投稿したnoteでも書いていますが、自分は1度2020年の夏にドイツへ渡独しました。当時18歳、海外に行ったことは1度もなく全てが初めてのことでした。
不安はなく、ワクワクしかない18歳の男の子は海外トラブルの怖さ、アウェーの洗礼をすぐに受けることになります。

ワクワクの18歳青年

まず初めに羽田空港からターキッシュエアラインでイスタンブールへ向かいました。搭乗時間ギリギリまでのんびりしすぎて、荷物チェックのところは誰もおらず、通り抜けた後、のんびりトイレから出てきたら空港内アナウンスで『かわい様、ターキッシュエアラインにご搭乗予定のかわい様はいらっしゃいませんか?』「え?おれ?そんなギリギリ?」ーー空港内を走り回る3、4人のCAさん達ーー『かわい様ですか?』「はい」『いましたいましたぁぁあーーー』 ーーCAさんと小走りで搭乗ゲートへ向かうーー
それも迷惑をかけてしまったので反省すべき点ですが、まあこんなことはいいとして。

なんとか飛行機に乗って、無事にイスタンブールへ到着しました。コロナ禍ということもあり、飛行機内で書かなきゃいけない書類を配られましたが、なんのことかよく分からなかったので、それは隣に座ってた当時27歳のイギリスで働いてる女性に手伝ってもらいました。そのあとも空港内を一緒に散策し、オレンジジュースを奢ってもらい、お土産を一緒に選んでもらい、最後には「日本以外は飛行機待ってくれないからね!気をつけるんだよ!」と優しく言ってお別れをしました。今その方にちゃんとお礼を言いたいですが、連絡先も何もないので言うことはできませんが、本当に感謝しています。

奢ってもらったオレンジジュースと余裕のインスタのストーリー

そして今度は早めに搭乗ゲートの前に張り込んでいました。そして自分の出番が回って来てパスポートを見せた時に、なにかを空港職員同士が話し合い、端っこに行くように指示されました。もうこの時はドキドキです。もう1人日本人の男性も端っこに寄せられていて、その人は少し英語が喋れたので助けてくれました。
『なにしに行く?』と聞かれ、彼は「彼女に会いに行く」、自分はビザは現地で取る予定で、当時まだビザを持っていなかったため「友達の家に行く」と答えました。
少しイレギュラーなのがそれはドイツへの飛行機ではなく、オランダへの飛行機でした。というのも、コロナの影響で当時ドイツへの日本人の入国は認められておらず、隣のオランダは可能でした。オランダに入国して、代理人の車で陸路からドイツへ入るという流れでした。(それが原因で三週間で帰ることになるんですけど)
空港職員は『日本人はオランダは行けない。なにか証明するものがなければダメだ。』の一点張りでした。友達の家に行く許可証なんてなければ、そもそもそれは架空の友達です。どうしようか困っていたら、もう1人の彼は彼女の写真を見せたら許可を得ていました。完全に裏切られた感が半端なかったです。
そして彼も粘って自分のために交渉を続けてくれましたが、時間が来てしまい結果的に自分は飛行機に乗ることができませんでした。自分を止めた空港職員に『こっちに来い』と呼ばれて、2人で歩き近くの席に座らせられました。そして携帯の翻訳機を見せられて、そこに書いてあったのは『オランダ警察が来るからここで座って待っていろ』でした。当時の心境は「もうここまでか、なんでいつも何か新しいことは失敗から始まるんだろう、終わった、誰も助けてくれない、もうおれのチケットは使えない」と本当にどん底でした。
Wi-Fiが無料で繋がるのは1時間だけで、さらに利用するためには課金しなければいけませんでした。トルコ語のよくわからないサイトで、この先長い戦いになるだろうと察したので1日分のWi-Fiを課金しました。家族、日本にいる留学会社の方、現地の代理人にもすぐ連絡しました。そしてとにかくその席から動かず、いや動けずにいました。
気づけば3、4時間はあっという間に経っていました。その時気づいたんです「これは来ないパターンだな、てかまずオランダ警察がなんでわざわざトルコに来るの?飛行機で?おれのために?ありえなくない?」と。それにあたりを見渡すとそこはただのピザ屋の角の席でした。

3、4時間待機した席

そこからもうなんとかしようという気持ちが出てきました。ピザ屋の横のインフォメーションセンターに行き、状況を説明しようと翻訳機を見せましたが断られ、電話で代理人に代わりに話してもらいましたがここでも『日本人はダメ。』けど大使館のサイトにはそんなの書いてないので、また20分後くらいにそのサイトも見せながら話してもらったら、コロッと態度を変えてチケットを新しいものに変えてくれました。一瞬「なんだこいつら」とは思いましたが、本当にホッとして、本当によかったの気持ちに尽きました。チケットの時間を見ると7時間後の飛行機で、すでに到着してから7時間が経っていた時だったので、合計14時間も空港の中で待機することになりました。そこからの7時間は空港内をウロウロしたり、家族や友達と電話をしたり、たまたま出会った日本人と少し話したりして過ごしました。そして7時間後やっとの思いで迎えた次の自分の飛行機は無事乗ることができました。
そして3週間で帰ることになった時もイスタンブールをトランジットで利用させてもらい、その時は足止めを食らったわけでもなくただ単にトランジットに10時間かかる飛行機でした。けどいつ飛行機乗れるかわからなかった14時間の地獄を経験した後なら余裕でしかなかったです。
その後は何も問題なく日本まで帰ってこれました。

そして約1年の時を経て再びイスタンブール経由でドイツへ向かいました。他の国を利用する飛行機もありましたが、【あえてイスタンブールを選びたいというよくわからないプライド】があったので、この飛行機を選択しました。コロナ禍なのでPCR検査などの書類等いろいろありましたが、羽田空港での自分の遅刻問題もなく、飛行機も無事イスタンブールに到着しました。
やってやるぞの気持ちを持って飛行機を降りました。
そしたら空回りして、間違えて空港の外へ出る方の手続きのところへ並んでしまっていたみたいで、チケットを見せたら『トランジットはここじゃなくてあっちのゲートだぞ』と教えてくれました。焦りました。
ですがそんなものは大したことありません。手慣れた感じでWi-Fiを繋げる機械のところへ行き、代理人用にお土産を買い、素早く搭乗ゲートへ並び、無事飛行機に乗り、今回は正規のルートでドイツへ無事入国しました。
ひとつ壁を越え、前の年の自分から成長したことのひとつです。

当時は壮絶で、トラウマレベルの恐怖を感じましたが、今ではひとつの思い出として、笑い話になりました。
ようやくチケットを変えてもらえた後にお母さんに電話をしたときは少し泣きそうになったのを覚えています。日本から何をできるわけでもないのにひたすら無事を祈ってくれて、時差があるので遅くまで起きて連絡を取ってくれたりしました。ここまで自分の力では何もできていなかったんだな、もう両親は助けてくれない環境に来てしまったんだなと痛感させられた瞬間でした。それに起こること全てに意味があると思うので、今回はより両親への感謝、大切さ、存在の大きさに気付かされたとてもいい機会でした。おかげでより自分に対する責任感も増しましたし、どんな時も自分の力でなんとかしないとという気持ちを常に持つようになりました。
それとイスタンブールは今後も利用させてもらうと思いますし、むしろ利用したいくらい大きくて、綺麗で、素敵な場所です。


長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?