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反間諜法の改正

 官僚作文の典型的ツールに“等”、“其他”の多用があるが、“関連規定”も同趣。一見明確な定義を施しているかの如き条文の各項目に “等”、“其他”、“関連規定”を加えることで恣意的、随意の適用を可能とするテクニック。中国でも多用される語法にして、遺憾なくその本来的機能を果たしている。

 中国反間諜法、Counter-espionage Law of the People's Republic of China、、通称反スパイ法は、それまでスパイ活動の取り締まりに適用されていた中華人民共和国国家安全法に代わるものとして、2014年に制定されたものであるが、このほど4月26日全人代を通過、改正された(施行は7月1日から)。スパイ行為自体の処罰は、刑法第6章「国家安全危害罪」に定められているほか、軍事施設に対する情報収集は、軍事施設保護法によって取り締まりが行われるが、これら関連のほか、この反間諜法には気がかりな点が多い。

反間諜法 第四条

 「間諜行為」が第四条で第1項から第5項として明記されてはいるが、そもそも「中国の国家安全に危害を与える行為」とは何であるのか、その第6項に“その他間諜行為”とあっては“その他”の解釈は不明、あらゆる行為が間諜行為とされかねない。まさしく冒頭記した伝統的官僚語法が効いている。

 また、その第1項にいう「間諜組織(およびその代理人)」はどこにもその規定はない。第3項では、「間諜組織およびその代理人以外のその他境外機構、組織、個人」との勾結(=共謀)が規定され、これによって海外の機関、メディアあるいはすべての個人が間諜行為の共犯視されかねない。海外のジャーナリスト、研究者等が直ちに007視されるとあっては実にそら恐ろしい事態、中国本土でのフィールド参加観察、カウンターパート研究者との意見交換、研究交流等に二の足を踏む専門家も増えている。交流=拘留とあってはジョークとか言ってはいられない。

 更には、第62条は刑事責任を追究すべき犯罪が疑われる事案と犯罪を構成せぬとも違法事実が認められる事案とを分けているが、その区分は何とも不明確。後者は、法令に基づき、没収ないし廃棄とあるが、違法ではあっても犯罪を構成しない事態とは何なのだろうか。

拘留証様式サンプル

 アステラス幹部社員の西山寛、八旗文化総編輯の富察、台湾民族党の楊智淵、光明日報の董郁玉あるいは日本留学中の女子学生への香港国家安全維持法の域外適用による逮捕等々、このところ実態不明のスパイ容疑等の拘束事件、起訴事案が頻発している。特に、この域外適用は、衝撃的ですらある。自由な言論が保障されたハズの中国境外で行った言説を問題視、中国の国家安全に危害を与えるものとして、その人物が中国に足を踏み入れるや否や拘束、逮捕拘留されかねないことを意味するからである。
 これら事案の実態を反間諜法、刑事訴訟法等の中国規定に照らしてみると、先ず問題視されるのが「監視居住」という拘束形態。富察事案も、また2015年段階の鈴木英司ケースも、監視居住と報じられている。「監視居住」とは、容疑者あるいは被告人に対して「事案の特殊事情または事案の処理の必要性から、住居監視がより適切である場合」として逮捕に先立ち公安機関が行う先行拘留(中国刑事訴訟法第72条第4項)と規定されている。その適否判断は中国側に委ねられており、恣意的運用は否めない。なお、この不当性、恣意性は党員を対象とした“双規”(日時と場所を指定して党紀律検査委による強制捜査、逮捕、無期限拘束、自白強要、拷問、処罰)との類似性も窺われる。

鈴木英司『中国拘束2279日 スパイにされた親中派日本人の記録』(毎日新聞出版、2023)

 また、その執行の際は人民検察院ないし公安機関の身分証明書(工作証件)の提示が義務付けられているが、上記鈴木英司ケースでは鈴木の身分証提示せよとの要求は拒否されている。更に、日中領事協定(2008年)では、自国民が逮捕、留置、勾留、拘禁された場合、当該国民の要請の有無に関わらず、その事実、理由を4日以内に日本側領事に通報することが義務付けられており、且つ領事面談及び弁護人斡旋の権利が付されているが、鈴木ケースではそのいずれも実現されていない(鈴木 2023)。残留孤児であっった原博文が外務省スパイとして拘束された事案でも「外交ルートによる解決」は放棄されている。両者ともに出先としての日本大使館の対応に不満を訴えており、米国等と比較するまでもなく、日本の外交姿勢、手腕が問われている。原博文ケースを取り上げた鈴木宗男の質問主意書(平成18年 2月23日)も、「対外的な関係において我が国が不利益を被るおそれがあるため、答弁を差し控えたい」と門前払いを喰らっている。

原博文『外務省に裏切られた日本人スパイ』(講談社、2009)

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 中国に対する警戒、逡巡、萎縮あるいは嫌悪感がヨリ一層拡がり、今や中国=ヤバい!との恐怖が失望感と共に拡がりつつあるのは、一体誰にとっての利害なのであろうか。                              [了]


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