見出し画像

“躺平” から“側卧” へ:幹部のサボタージュ

 ひと頃、“躺平” というコトバが中国社会のリアルな一面を示す表現として中国ネットを席巻した。「寝転ぶ」を意味する“躺平”とは、受験地獄、出世戦争に象徴される中国社会の競争関係の冷酷さに背を向けるライフスタイルの選択(詳細:倦怠ー中国社会の新キーワード)。

 このライフスタイルの官僚層への浸透が「躺平式幹部」、これは“領導(=上司、ボス)”への過度の忖度、迎合、同調に精出す上昇志向派とは縁を切り、出世に背を向ける役人のサボタージュといってよい。役人がサボるなぞけしからんではないかと「躺平式幹部」は当然世間の一斉のブーイングを浴びることとなるが、ここへ来て新たなサボタージュ・スタイルとして注目されつつあるのが「側卧式幹部」。単に“寝転ぶ”のみならず、“脇に寄って、傍観者を装う”?蔓延する一方での、“躺平” lie flatから“側卧” lie on sideへというサボタージュスタイルの変化、進化型とも言える。この「側卧式幹部」を日和見主義/利己主義的で、責任感・使命観に欠け、その行動には問題あり、早めにその芽を摘むべきと徐文秀(新華每日電訊評論員)が警告を発している。

http://www.news.cn/mrdx/2023-10/17/c_1310745775.htm?fbclid=IwAR0flxi8GP2bDBKJMET5-80ZMnvpj3rTU7zcr27SiyMA-Fw_pvsXOs93XBs

见风使舵、见机行事、规避风险、趋利避害:行動特性

 徐文秀によればこの「側卧式幹部」は、寝たい時は寝て、立ちたい時は立ち、寝転んだり、時には立ち上がり、傍観者にとどまる。有名有利な物事や出来事に遭遇すると、彼らは「立ち上がり」、ひょっこりと顔を出すものの、無名無利の物事や状況に面したり、特に責任があったり、危険な場合には、距離を置き、姿を消す、あるいは隠れたり、横になって知らんぷりをするという。

 この「側卧式幹部」の最大の特徴は、见风使舵、见机行事、规避风险、趋利避害(風を読んで行動し、状況に応じて行動し、リスクを回避し、メリットを追求、デメリットを回避する)にある。彼らは、大局観に欠け、常にすべて自分にとって良いことか悪いことかを観察し、評価する。

 その結果、一部の幹部では、何かを行うに際して、上司の承認を求め、何かが起こった場合には/敢えて何かを行う前には「会議紀要」に頼る(前歴踏襲主義?)という。この誠に奇妙な、極端な現象は、「側卧式幹部」が典型的な機会主義者、日和見主義者であることを示す。

善变,善于见风使舵、见机行事、投机取巧、投机钻营:スキル

 その日和見主義者の最大のスキルは、善变,善于见风使舵、见机行事、投机取巧、投机钻营(気まぐれで、風向きに適応し、機会に応じて行動し、機会を利用し、機会を利用するのが得意であること)。領導がいるかいないか、領導の姿が見えるか見えないかで行動が大きく異なり、まるで別人のように見えるものさえいる。領導を満足させることがすべての目的にして、領導のうなずきをモチベーションと看做す。大衆の眼差し、同僚の風評なぞ一顧だにすることはない。

 「側卧式幹部」の行動は、まさしく“側卧”に象徴される。「」、すなわち,責任を横目で見、使命を横目にスルー、「」とは、すなわち,任劳任怨的奋斗精神(勤勉で勤勉な奮闘精神)と敢闯、敢冒、敢试的精气神(勇気を出して冒険し、リスクを冒して果敢に挑戦する精神)で「卧床不起=寝たきり」だ。

精致的利己主义者!

「側卧式幹部」は精緻なエゴイストは自己中心的で、小さな計算をし、明哲保身(賢く自分を守る)に走る。「側卧式幹部」は壁に生えた草のようなもので、風が吹けばどちらの側にも倒れる可能性がある。責任を問われそうになったり、個人的な利益や安全が脅かされたり、挑戦されそうな場面に遭遇するや、即座に利益をもたらす側に倒れ込む可能性がある。そして、いつでも撤退して“金蝉脱壳” (逃げ出す)。洗練されたエゴイズムこそ「側卧式幹部」が蔓延する心理的温床。

装模作样的戏精

「側卧式幹部」は装模作样的戏精(見栄っ張りのドラマのクイーン)だ。 結局のところ、「側卧式干部」の「干」は真干ではなくして假干、舞台の上でも下でもフリをするのみで、軋轢や困難に遭遇すれば聾唖を装い、問題や責任が生じるや気も狂わんばかり…シゴトもショーを行うパフォーマンス舞台と考えており、その成功または失敗は完全に演技スキル次第。「側卧」こそドラマクイーンたちのお得意の演技スタイルなのだ!

「側卧」を「站立」させよ?

 こうした新たな傾向としての「側卧式幹部」の発生は、稟議書・上司承認への依存、派系主義の横行等悪しき官僚主義の蔓延を端的に示すものであり、「一把手」支配の貫徹の結果、行政効率の低下は中国ガバナンスにとって致命的ではあるまいか。徐文秀は、この「側卧式幹部」現象を早急に把捉し、その兆候発見と傾向拡大防止に注意を払わなければならないと警戒を呼びかける。だが、彼の挙げる対処案は如何にも心許ない。

 というのも、徐文秀は、依然として「側卧式幹部」に期待を寄せていることにある。その多くは心の奥底ではまだやろうと思っており、できる能力も持っているものの、状況や課題、政策や規制への理解不足あるいは困惑、混乱、憂慮から臆病となり、縮こまっているに過ぎないとその評価は甘いレベルにとどまっている。利弊得失を明らかにし、思想的な顧慮を払拭し、身軽にしてさえやれば、彼らのに変えることができ、「側卧」を「站立」に変え、実際に行動を起こすことができるという。「指導」により、に変えることができるという判断だ。

 その「指導」には、教育的指導と同時に、制度措置が必要だとして、その評価基準には、奖勤罚懒、奖优罚劣を体現する評価基準でなければならないともいう。如何にして「側卧式幹部」であることを不快なものとし、一刻も早くその快適圏から抜け出すようにしなければならないとはいうが、結局のところ、それが各現場における党指導の強化にあり、せいぜいのところ信賞必罰の徹底どまりとあっては元の木阿弥となりかねない。

 この中国における新たな幹部層=官僚層の新たな抵抗、サボタージュ・スタイルの進化は、政治先行あるいは“政治主導”に伴う官僚層の行動様式の変化という文脈では、日本の情況にも相似たものすら看取される。政治のありようこそ違えども、日中は同病相憐れむ情況にある。                 
                                   [了]


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?