泥の海を渡る⑳

投薬ノート、彼の状態を見て
すぐに緊急入院となった。
PCR検査、尿検査、採血をしてそのまま入院手続きへ。
保護入院となるので
両親のサインが必要となる。
何枚かの書類に記名をし
そのまま帰宅した。

やっぱり
私が母親でなければよかった。
心の底から後悔した。
妻であることも
社会人であることも
全て
失格。
涙が止まらなった。

その日から
毎晩、夢を見た。
泥の海の中に足を一歩ずつ踏み入れていく自分。
腰までの高さになると目が覚めた。
息苦しさと驚き、悲しみで涙が出る。
動悸と汗まみれの自分。
水を飲むのも
息をするのも苦しかった。
そして
誰にも気が付かれないように
夜中に起きて
床に頭を打ち付ける。
気持ちが軽くなる。
夜明けが近くなると
眠くなったふりをして寝室へそっと入る。

絶望の朝が来る。
その繰り返し。
人生をやり直したかった。
私という生き方を捨てたかった。

父との約束も12年間守った。
父との約束を守り続けることが
こんなに苦しく
辛く
悲しいことなのか。
私の覚悟が甘かった。
女性が仕事をしながら子育てをすること、
母の介護をすることが
どれだけ大変なことなのか
体験した。

母から
暴言を吐かれ
気を遣い
怒られないように
偽りの穏やかな毎日を過ごす。
十分すぎる程
頑張った。
もう何もかも許して欲しかった。
そして
開放されたかった。

9月の下旬
弟の進学先が決まった。
小学校から憧れていた学校だった。
志望校へ決まって良かった。
安心して送り出せる。
そして
彼をヤングケアラーにしない。
その約束を守れた事が何より嬉しかった。
志望校との顔合わせが終わったとは言え
受験勉強はある。
本人も机に集中して向かうようになった。

合格発表が終わって
入寮したら
家を出よう。
そして
私の人生を終わらせよう。
日増しに
その気持ちが強くなっていった。
もう
我満する人生を終わりにしたい。
もう十分頑張った。
頑張っていたねと
誰からも言われる終わり方をしよう。
毎日考えていた。

良き妻
良き母
良き社会人
良き娘
を終わろう。
もう
夢の中でも
深くて
冷たくて
手足の動かない
口を開けることも許されない
泥の海に
足を踏み入れる自分からも開放される。

少しずつ準備を始めよう。
私がいなくなることですべてうまくいく。
良き妻
良き母
良い社会人
良い娘
なれなった。
ごめんなさい。
私以外の素晴らしい女性が世の中には沢山います。
その人達にお願いして下さい。
私にはもうできません。
本当に
本当に
ごめんなさい。

彼の闘病は病院と主人が打合せをしている。
私の意見は聞くが
聞くだけ。
受け入れることもない。
私は必要とされていない。
ただの同居人。
一緒にいて呼吸をすることさえ苦しかった。

そんなある日
「退院が決まったから」
10月の下旬に主人から告げられた。
何も知らされていなかった。
驚いたが黙って頷いた。
私の知らない事が沢山あった。
「相談しても何も答えないから」
また、だ。
私が悪いんだ。
ごめんなさい。
あと少し。
頑張れば
謝る生活も
自分を否定する生活も
終わる。
笑顔で頷く。

あと少し。
良い妻
良い母
良い社会人
良い娘
でいよう。
そして
何もかも終わる。
みんなが許してくれる。

彼が退院してきた。
退院して帰ってきた彼を見て
言葉が出なかった。
「なんで…」
8月に入院した頃とは別人になっていた。
自分でできていた事
自分でやれていた事が
できなくなっていた。
また私一人で闘病生活を続けるのか。
悲しかった。
どうやって生活していけば良いのか。
働きながらどうやって彼を通院し療養させるのか。
私には考えられなった。

でも
あと少し。
我満できる。
しかし
現実は甘くなかった。
その生活は
想像を絶するものだった。


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