見出し画像

want todo でもない「LOTIS」のススメ


世界はするべきことに溢れているのに、なぜできないの?

kindleで「するべきこと」と検索すると、それはそれはたくさんの「やるべきこと」に関する本がヒットする。死ぬまでにやるべきこと、10代・20代のうちにやるべきこと、子どもを持ったら読むべき本、スイスに行ったら行くべき場所、会社に入ったら読むべき本…見る限り私たちにはすべきことがたくさんある。それなのに「やるべきことができない」という悩みを抱えている人は多いだろう。なぜなのだろう?

すべきだが未実行=すべきでないと思っていること

答えは簡単だ。本当はすべきだと思っていないからである。え?と思われただろうか。しかしよく考えて頂きたい。「田中さんに電話しなければいけない」ならば、すぐに電話するだろう。それをしないのには、しないだけの理由があるのだ。「威圧的で電話しづらい」とか「忙しくて落ち着いて電話できない」とか「嫌なことを言われるかも」と思ってしまうのだ。だから私たちは身を守るために「田中さんに電話すべきではない」と本心では思っているのだ。「いやいや、やるべきだと思っていますよ!」と思われるかもしれない。しかし断じてそのようなことはない。

すべきは世の中に作られた錯覚である

ではなぜ「すべきことリスト」が存在するのか。それは主語を取り違えているからである。「私はそれを本当にすべきことだと感じているか?」と問うてみよう。山本さんからのメールに早めに返信すべきだと考えているのは誰なのだろう?世の中である。私たちではない世の中の色々が、たくさんの「すべき」を突きつけてくるのだ。「いやいや、世の中がそう思うから私もそう思うんですよ」と思われるかもしれない。だが私はこう考える。
「人間は、すべきことしかできない生き物である」と。

本当のすべきことはすでに行っている

大丈夫、私たちは本当にすべきことは全て行っている。LINEマンガを読みふける。夜更かしをする。毎日缶チューハイを買って帰って飲み残す。ソファで眠る。部屋を散らかす。ゴミを溜める。子どもを叱り飛ばす…これら全てが私たちの「本当のすべきこと」である。お分かり頂けるだろうか?「すべきこと」は理想の話ではない。「私たち自身が、すべきだと本能で判断し、実行していること」だ。すべてが私たちにとって「本当のすべきこと」なのだ。これらは全て筆者の体験だが、筆者はこれらを全て「すべきだと思っている」ということに気づいた。

・LINEマンガなど読むべきでない(と一部の人がネットで言っている)のだが、いかんせん私にとっては弱虫ペダルは感動的で読み進めるべきマンガなのである。

夜更かしなどすべきでない!(と一般的には言われることが多いが)いかんせん、当の私は1日1日が不安でそわそわして落ち着かなく、寝る前のひと時ぐらい布団でスマホを触っている時間を確保するべきだと感じるのである。

ソファで寝るべきではない!(と妻にも言われるのだが)いかんせん当の私はソファだろうが眠いときにストンと眠れることが幸せなのであり、人はどこであろうと眠たい瞬間に気持ちよく眠るべきだと考えているのである。

車にゴミを溜めるべきではない!というのは一般的に考えてよくわかるのだが当の私は「家に持って帰ると買い食いをしたことが家族に知れるし、空き缶やペットボトルを溜めていると妻に小言を言われるかもしれず」家の中に車のゴミを持ち込むべきではない。つまり車にゴミを溜めておくべきだと考えているのである。

実に愉快である。「すべきことができない」と悩んでいたはずの私は、すべきだと思っていることは全て完遂しているのだ。

じゃあどうすれば「すべきこと」は実行できるの?

「すべきことをやろうとする」という状況はあり得ないのです。「すべきと理解していることは既に実行中だから」です。では、山本さんにメールを即レスしたり、田中さんに電話したり、町内会の回覧板を回したり、お部屋をミニマルに保つためにハンガーをウィークリー設定して洋服を着まわしたり、すべきだと思っていることはどうなるの?

できていないことは全て
「すべきでない」と私たちが思っていること

山本さんに即レス出来ないのは、良い報告ができないからで、田中さんに電話できないのは、威圧的で話しづらいからで、回覧板が回せないのは玄関から出るのが億劫でめんどくさいからである。クローゼットのお洋服が曜日ごとに決められないのは、お部屋をミニマルに保ってもどうせ3週間経つ前に元のダメな私に戻ってしまうからである。そうなるとまたダメな私って思ってしまうのだ。それならば最初から私はそれをやるべきでない。取り組むべきでない。と、

そやかて、やった方がええんちゃうの?どないしたらええねや!

すべきでないと私たちが思うことの中にも、やった方が良いことはたくさんある。答えはシンプルである。「やるべきでないと感じる理由」を自分に聞いてあげればいいのだ。そしてそれを解消すべく考え、動く
山本さんにメールで良い報告ができないのなら、返信を放置した結果どうなるかを想像すればよい。そうすれば放置するくらいならやるべきだ。と考えるようになる。

出かけるのが面倒で町内会の回覧板が回せないのなら、回さずに放置した方が面倒なことになると考えればいい。すべきだと思えるだろう。

失敗を恐れてミニマリストになれないのなら、想像しよう。向こう30年間何の変化もなかった自分を振り返る65歳の自分を。「何かすべきだ」と思うたびに、それを恐れて実行せず自分への失望を想像すればよい。自分が死んだあと、ゴミ屋敷を片付ける、年取った子どもや、年老いた身内の様子を想像するのも良い。少しくらいは手を付けといた方がいいかしら、そう思えるかもしれない。

「すべきこと」はクリア条件ではなく、実行の前提条件である。

私はこのことをnoteに書くべきだと思った。だから今こうして書いている。書こうともがいたわけではない。風が吹いたら葉っぱが舞ったようなものである。仕事を中断してまで書くべきではないと、一般的には言われるのだが、私にとっては世紀の大発見であり今すぐに誰かに知らせるべきことだと感じたからだ。

やるべきことなのに「できない」のではなく
やるべきではないと感じているから、やらない。

ごく普通の事であるので、ぜひ悩まないでいただきたい。そして、これからはやるべきことのリストTO DOでも、
やりたいことのリスト Want to Do でもなく
やるべきでないと思っていることのリスト
LOTIS List of Things I Should'nt.を採用して頂きたいと思う。
私はこれをローティスと名付け、今日から活用している。

やるべきでないと思っていることのリスト「LOTIS」を
1つ1つ、本当にやるべきだと感じるように解いていこう。

私たちがLOTISに書くのは、冒頭に書いたあり得ないアイテム「やるべきなのに、できないこと」→真の姿 「やるべきでないと思っていること」だ。

やりたい気持ち VS やるべきでない気持ちの調整役になろう

LOTISに書かれることは「すべきではない」と感じるにもかかわらず心のどこかで「やった方が良い」「やりたい」と思っていることだと思う。現時点で、やるべきでない気持ちが勝っているのなら、その気持ちを少しずつ楽にしていけるような考え方を自分に示してあげよう。そうすれば、どこかの時点でやりたい気持ちが勝るはずだ。その時には、風が吹いて葉っぱが舞うように行動できているはずだから心配しないで。

LOTISに書いたことがどんどんやるべことに変わったら、やるべきことリストが肥大化するんじゃないの?

ご名答。やるべきでないと思っていることを、どんどんやるべきだと思えるようになれば、LINEマンガを読んだり、ゴミを溜めたりすることと同じエリアに、やるべきことがどんどんインポートされる。だけど心配ナイアガラ。それは、やるべきことの中で自然淘汰されるからだ。LINEマンガも当然面白いから読むべきなのだが、もっとやるべきことが現れたらどうだろう?LINEマンガを「本当にすべきでないこと」のリストに入れなくても、少しずつ読む時間が減っていくのではないだろうか?

私たちは、すべきことしかしていない。

最後に、あなたの毎日が少しだけ希望に満ちたものになるようこの言葉を贈ろう。

~私たちは、すべきことしかしていない~

今日もLOTISから新たな産声が聞こえ、LOTISを旅立っていく。
私たちはLOTISに務める教師なのだ
LOTISにやってくる、明日を恐れた生徒たちもまた
大切な私たちの一部であることを受け入れよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?