大ピンチずかん
絵本についても大いに書きたいと思っています。
僕にとってのこの本:
こどもの1日は、ピンチの連続だ。そなえあれば、憂いなし。さあいくぞ!
妻が子に買い与えた絵本です。最高に面白いです。やっぱりユーモアは必要!
こどもの日々は、ピンチの連続。この本は、ピンチの具体的な場面をレベル分けし、対処法を提唱します。もう、4才の息子が楽しんでいきいきと読みます。作者には、こどもの心を読む不思議な力があるのか、もしくは大人になりきれない人なのか。どちらにしても才能なんだろうなと思います。羨ましい。
こざかしいことをいえば、なかなか考えさせられる本です。紹介されるピンチには、わりとこどもの暮らしの普遍的なテーマが隠されているように思います。「もっと楽しみたいよ」とか、「怒られたくないんだよ」とか。こどもの普遍的な欲求が嫌味にならずに表現されています。
こうした普遍的な欲求をもつこどものイメージは、いつごろからあったのだろう。少なくとも、古代文明のこどもたちは、こうした感覚は薄かったのかもしれないと思いました。日常生活にこんなにたくさんの「大ピンチ」は、古代のこどもにじゃなかったんじゃないかな。古代のこどもにとっての大ピンチは、それこそ身の危険を感じるようなリアルなピンチだったのかもしれない。
もう一回書くのですが、ユーモアはとても大切だと思います。ユーモアと聞いて僕が最初に思うのは、ヘルマンヘッセという作家。かれは、言いました。文化の摩擦、わたしとあなたというような、異なるもの同士が対峙するときに生じる緊張は、ユーモアで乗り越えるしかないんだ。…みたいな感じのことを。うん、たぶん…。
『荒野の狼』という書中でそういう件があったはず。
大ピンチも、きっとそうなんだ。ユーモアでのりこえるんだ。
この絵本が僕にとって思い入れ深いものになったことについて、最後に少し書きます。ある冬の日、仕事から帰って、のどの痛みで苦しんだ僕は、家に4歳の息子をひとり置くわけにもいかず、息子に耳鼻科についてきてくれるよう頼みました。タイミングの悪いことに、息子も流行風邪の病み上がりで、いいコンディションではありませんでした。
そのとき、待ち時間が長くなり息子が退屈してはいけないと、僕がおもむろにカバンにつめた本が、この本でした。
ぐったりした患者たちが溢れかえる耳鼻科の待合室。父である僕もぐったりしている。そのすみっこのキッズスペースで、息子は背筋をしゃんとのばし、この『大ピンチずかん』をじっと読んでいました。たぶん父の具合を心配していたのでしょう、めちゃくちゃおもしろいはずのこの本を、笑うこともなくじっと読みました。
父の具合がわるく、一緒に耳鼻科にいく、具合の悪そうな大人たちの間で静かに待つ。
それなりにピンチな状況だったと思います。おのれのピンチの最中、『大ピンチずかん』を読みながら、去来する不安や退屈と闘い、しゃんと座っている。
ああ、優しい子に育ってくれたなあと、大ピンチずかんが教えてくれました。
なんだそりゃ。
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