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天涯の花、小説・未生庵一甫 澤田ふじ子

野党の子として生まれながら、池坊立花中興の祖と言われる専応を描いた「花僧」が面白かったのでこちらも読んでみました。
それまで生花に特別な興味を持ってはこなかったのですが、お墓を作っていると「花」というものをどう捉えるか考える必要に迫られます。それで手に取った一冊。
そもそも生花というのは、切り取って死んだ花に人の手によって新たな心、生命を与える行為だそうだ。

未生庵一甫こと山村内蔵介は1761年生まれ。小普請支配の沼田家に婿入りしたが、妻の蕗は父の出世のために組頭の慰み者にさせられている。それを知った内蔵介は全てを捨て、一人江戸を出て西に向かい放浪の旅に出る。家の繋がりによって沼田家に入った内蔵介は実家に戻ることもできなかったからだ。妻の蕗は後に組頭を殺害し、入水自殺する。
彼が未生流という現代にまで繋がる流派を確立できたのは、そうしたあまりに理不尽なしがらみがまかり通る浮世から遁世したいという気持ちがきっかけとしてあったようだ。現代でこそ生花や茶道は女性の嗜み的な印象が強いが、江戸時代は男性が行う懸命の芸事だった。そうした不条理な背景と、花道、まさに生き様、あるいは生きるよすがとしての生花との出会いが彼を創流に導いた。江戸を目的もなく出た内蔵介は、花を生け、人に助けられながら成長していく。
この本を手にしたもう一つの理由は、端的にひとつの手本として自分の生き方と重ね合わせるためだった。どれくらい史実に忠実かは僕には判断できないのであるが、その後、丁稚奉公であった安太郎、後の二代目広補を後継者として育て、そして失明という悲劇に見舞われながら半ば追い出されるように60を超えて再び遊行に出る。そして遊行の中、まさに野垂れ死ぬ。探し続ける自身の思想を宙づりにして永遠のものとするかのように。変化の途中として死を通過するように。最後の最後まで自分の生き様を生き抜いた。
しかし一方で彼が歴史に名を連ねたのは、自身の花道を体系化しようとするその意志であったし、結果として未生流の分派を生んでしまったわけだが、貧しい丁稚奉公に過ぎなかった広甫を見出し、育てたこと、そして長い遍歴の末、創流という行動をとったこと、そうしたある意味現実的かつ世俗的な感覚と、また空也に憧れるような理想主義が共存していたからのようにも感じられる。彼の強烈な意志の源泉はどこにあったのだろうか。また忘れてはならないのは、彼の徳の高さが彼を常に救ってきたことである。それが未生流が生まれた最も根本的で、シンプルかつ重要、そして困難な要因ことであることは疑いない。
芸術家という職業の難しさのひとつは自分を信じ続けることにある。自分の創作がどれほどの価値を持つかわからないまま、一銭にもならなくてもそれでも続けるためには、突き動かされるような生き方をどう構築できるかが前提となる。時に自分を信じることと他者を受け入れないことを混同している芸術家も多い。芸術家はあくまで内蔵介のように人に助けられながら生きる極めて弱い存在である。弱い存在が世間に左右されずに生きる強さを持つことに真理が含まれる。その落差が生じるのは人の欲が古今東西根本的に業や罪とされ、社会性を持つ人という生き物が矛盾を抱えているからである。その落差を力業で乗り越えようとする、矛盾の筋を無理から通そうとするような所業こそが芸術が一抹の真理を含む所以である。
花が地味だと言われた未生庵一甫に焦点を当ててこんな物語を描いてくれた澤田ふじ子さんには本当に感謝しかない。二代目広甫は未生流を成長させたかもしれない。しかし俗に言うように1から2にするのと0から1にするのは根本的な質が異なる。一個人が道を究めるのは当然のことながら、0から1にするためにはそれを体系化し流派として大きな運動にしていく、多くの人を巻き込んだ作業となる。それは一人で部屋にこもって創作し続けていればできるものではなく、社会の中で多くの軋轢や摩擦、利害を乗り越えながら行われる。実際京都で池坊から圧力をかけられ、未生流は大阪で開流する。それも長年の遊歴の末、日本の各所に内蔵介を陰から助ける多くの人物と出会いがあって初めて実現している。
創流を成し遂げ、順調だったのも束の間、失明という憂き目に合い、広甫に追い落とされていく中、一甫の還暦を祝う花会が開かれる。そこで彼が暗闇の中で生けた作品が唯一花図として現代にまで残っている。

 高足たちに迎えられた一甫は、全員をまえにして、菊の「一花一葉」を活けてみせた。
 この菊花一茎は、異様な唐金細工の花器に活けられている。岩上に這いのぼった一匹の亀が、鱗模様をきざんだ水芭蕉様の花器を、口から吹きだしており、その水溜りに、小さな菊の「一花一葉」がぽつんと挿しこんでいるに過ぎない。

澤田ふじ子 天涯の花 小説・未生庵一甫、p377


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