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父を見送りました

3週間前、父を見送った。満89歳、よく頑張ったと思う。


経過

4年前に母が亡くなり、実家で姉夫婦が世話をしていました。
元々足腰が弱っていたところに5月、コロナに感染してしまいました。
一見コロナ自体はそれほど重篤ではなさそうで、さほど高熱も出ず、咳もひどくはなく、自宅で療養していました。
週5でお世話になっていたデイサービスにも行けず、訪問看護を受けていましたが、在宅看護が厳しくなり、2週間の期限付きで病院に一時入院させてもらいました。

入院

最初、入院を嫌がり、早く家に帰りたいとわがままを言っていた父ですが、
徐々に体調は悪化、先生からはすでに看取りの時期です、と告げられました。
コロナの影響で面会は週に1回、1回15分、2名までと制限がある中、
会っておきたい方があれば早めに来てあげて、と言われました。

ちょうどkintonehive大阪が開催された日、業務都合で大阪までは出かけられないのでやむなく参加を見合わせたその日、遠方から帰省した妹と二人で面会に行きました。

その時はまだ元気もあって、病室の外まで「お~い、お~い」と呼んでいる声が聞こえるほどでしたが、次第に大きな声も出せなくなり、体を動かして点滴針が抜けてしまうこともなくなっていきました。
日によってよく話ができる日があるかと思えば、反応の弱い日もありました。

最期のとき

早朝に「早く病院へ」と連絡があった時、1時間ほどかけて病院に着いた時には血圧も安定していました。また、数日後には緊急で呼ばれた先生が部屋に見に行くと満面の笑みで迎えられた、と姉に電話があったとか、そんなことを何回か繰り返し、最初に面会に行ってから3週間後、最期を迎えました。

病院から近い姉たちは最期のときに間に合ったそうですが、私は車で向かう途中にその知らせを受けました。立ち会うことはできませんでしたが、
入院中にも何度か面会することができ、会話もできてもう十分だったかなと思えました。

その日まで

「看取りの時期」と告げられてからその時まで、「いつ連絡があってもすぐに行けるように」と仕事中もずっとスマホを意識し、充電は切らさないように、寝るときもすぐ手の届くところに置き、車は夜にガソリンを空にしないように注意する。
主人の90代の母と同居しており、「もしも明日・明後日と留守にしても、一人で食べられる献立・食材」を考えて買い物をしておく。レンチンもできるかどうか怪しいから、常温でも傷みにくいもの、冷たくてもそのまま食べられるものなどを毎日考える。
業務では、他のメンバーと常に状態を共有し、「明日休むかもしれないから、ここまでは・・・」と残業したり、「給料計算の基礎となる勤怠データを締める」のは十分に引き継ぎできていないからなんとかその日に被らないようにと祈りつつ、ギリギリのところまではチェックを済ませる。
そんな3週間でした。幸い、懸案の給料データも完成し、何なら給料振込データのチェックまでできて、その日迎えました。

その日から

実際に葬儀前後で会社を休んだのは3日間、翌土曜日出勤して日曜日休み、月曜日は義母の所用で休み、火曜日から通常勤務でしたが、なんだかずっと長く休んだような気分でした。
待っている訳でがはないのですが、今日か明日か、とドキドキして過ごした3週間は自分が思っていた以上に気持ちが疲れていたようです。
SNSのポストも、決まって見ていたyoutubeにもどうにも気持ちが向かず、月末の業務繁忙と相まってスマホを手に取ることも間遠になっていました。ここ数日でようやく少しづつ以前の様子に戻ってきた、そんな感じです。

思い出

父について、印象に残っている立ち姿が2つ、あります。
1つは約40年前、長女(私の長姉)を事故で亡くした時、
事故現場での身元確認に時間がかかり、現地で提供してもらったTシャツ・半パンにスニーカーという服装のまま、斎場で姉を見送った時の姿です。
親よりも先に子が逝くという無常、そしてそれを悼む服装すら整えることができないまま見送った父の心中は察するに余りあり、私は内心、姉を失った悲しみよりも、父をこれほど悲しませた事故に対する強い怒りを感じたのを覚えています。

2つ目は、私の結婚式のとき。友人が撮ってくれたビデオにも映っていましたが、出席してくれた叔母から「お義兄さん(父)、少し離れたところからとっても嬉しそうにあなたたちを見ていたのよ」とあとで聞かされました。
その立ち姿から私の幸せを願っていてくれた父の思いが伝わってきたものです。

父へ

お父さん、長い間ありがとうございました。
最後はちょっと疲れちゃったね。お姉ちゃんやお母さんと出会えましたか。
夏でも湯たんぽが欲しいほど寒がりだったけど、もう寒くはないでしょう。
ゆっくりと休んでくださいね。

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6月-7月はこれ以外にも色々盛沢山でした。
その話はまた、次の機会に・・・

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