名興文庫相談役 堅洲 斗支夜氏の『無職転生~異世界行ったら本気だす~』の批評読了の所感について

 皆さんこんにちは。
 本稿は、タイトル通りの内容です。なお、以下で堅洲 斗支夜氏を批評者、理不尽な孫の手氏を原作者、私を筆者として書いていきます。
 これまで筆者が投稿した内容でおわかりのように、私はいち「無職転生」のファンです。今回は批評者が、とある経緯で当作品の批評をされましたので読了しての個人的な所感です。

 事の経緯です。名興文庫 現代表 尼宮乙桜氏による業務命令書です。
https://www.naocoshibunko.com/houkoku001/

 目次までどなたでも確認できます。
https://www.naocoshibunko.com/y00001/

 まず、筆者が今回の批評を購入してみようと思った理由からです。
 1.「購入にあたっての注意点」で、原作者、関係者には希望があれば無償提供であること。今回の一件は批評者と作品の一部のファンの間であり原作者は無関係であることから、作品に真摯に批評されているのではと予想したこと。
 2.「購入にあたっての注意点」で義援金に充てられるということ。

 以上が当批評を買った理由です。

はじめに

 本稿を御覧になる上で、以下を必ずご承知おきください。
・先入観を捨て、客観して冷静に内容を確認ください。
・無職転生という作品を客観して内容を確認ください。
・批評者は責任を果たしました。
・批評者は良い点も述べています。
・人物や作品に0点も100点もないこと。

 以上を必ず守ってください。
 



批評の内容についての端的な個人的結論

 批評を見て、まず内容は批評者のプロとしての観点に基づいて是々非々、批評者個人の率直な考え方に依り真摯に批評されていると大方予想通りの内容でした。最初は両論併記かどうかとか、まあ一応の注意をして見てみようと思ったのですが、取り越し苦労でした。
 特に原作者に対し創作に携わる方への一定の敬意と評価をされていると見受けました。

ファンタジーについて

 前提にありますファンタジーの定義については、筆者はこれまでファンタジー小説は某有名作品1作品のみで、主なのは戦国時代の分野や、最近では国の歴史や経済の学術文庫しか読んでいません。なので素人です。ゲーマーではあるので、いろんな世界を舞台にしたゲーム群をしていましたのでファンタジーに触っていないとまではいえませんが。

 強いて筆者の個人的な定義を申し上げるなら、
 ・ファンタジー=現実世界の現代や歴史・伝説上に原則依拠している(物語)。異能力など非科学的な超常現象があることや現実に存在しえない種族・動物・怪異などの生物がいる場合がある。
 ・異世界ファンタジー=現実世界とは違う架空の世界(の物語)。上の超常現象・生物の要素がある。
 こんなとこです。2度目ですが私見です。
 では当作品はどうなのか、というと、異世界ファンタジーにあたると思うのですが、批評者とは違う点かと思いますが読んでいた当初から少し違和感がありました。この批評を読んで考えてみるとどうも区分にしっくりこないところがあるんです。
 筆者の考えになりますが、異世界ファンタジーに現実世界のなんらかが忍び込みそれが影響を与えているからなのではないかと思いました。純然たる異世界だけのファンタジーにならなかったといいますか。当作品では、実在しない人物ではありますが、現実世界の知識がある前世の男と七星静香がこれにあたります。異世界に現実世界のキャラクターを主役級にもっていき、自分が異世界に行ったように感情移入させる、これが批評者のいうラノベ的なファンタジー(の一つ)にあたるのでしょうか。わかりませんが。

 脱線しましたが、批評者は批評者の定義があるので、それに沿おうと思うのですがあいにく「ファンタジー」「本格ファンタジー」「異世界ファンタジー」「ラノベ的なファンタジー」の差というのは批評の中にいくつか書かれていますが、素人でありあまり触れていない私には具体的な区別に確証がありません。批評者の「異世界ファンタジー」がどういうものかは批評の中でなんとなく「これかな?」というのは掴めたと思ったけど、確証がもてません。批評者の本格ファンタジーの要素の一つと仰っている「世界と人の相関図」「ある時代の終わり」があるとのことで、当作品のみであれば後者の「ある時代」自体がルーデウスの存在とも解することができるのでそれがないと思いますが、前者はあるのではと思うのですが。
 まあ、この批評内容は批評者の定義に基づく視点であるということを書かれていましたので存じ上げて拝見しました。

 次に前提その弐で、当作品は「人物の感情移入劇」で、(恐らく世界観の)「読解」でなく「共感」にとどまり「ファンタジー」の幻想性や壮大性がその物語にないと没入できなくて物足りないということです。
 「いやいや、無職転生の中でファンタジーの要素、幻想性、壮大性があったじゃないか」と思うかもしれませんが、たしかにあると私も思います。ありますが、無職転生は、偶然得た次の生を本気で生きることが目的で、「無職転生だけの時間軸」でみるとわざわざ六面世界である必要性はなくても本気で生きれるんですよね。しかし現実世界だと前世の男は心を入れ替えられたかは難しいところで、異世界である必要はあるかもしれませんが。
 むろん、この無職転生が、六面世界の物語本編(筆者の勝手な仮称で恐縮ですが)の序章的位置づけで、その肉付けが当作品であるということは、批評者もご承知でしょう。しかし批評者が問題にしているのは「当作品のみ」で見た場合だと思うのですが、異世界が、主人公の本気で生きるための「場」となってしまっていて、語り部調でなく、現代世界から異世界に来た主人公の心的描写であり、かつ主人公の身の回りで起こる出来事の「共感」の多い無職転生を、批評者の望む異世界ファンタジーとまではいえないということだと思います。ここについては、当作品が六面世界の物語本編の外伝・序章のようなものと原作者が執筆間もなくおっしゃっていますから、この指摘は、原作者の小説家になろうの活動報告「第2回作者の予防線」で、どこにでもある「異世界転生物」が書きたい、ということなので、方向性が違うというだけでどうしようもないですね。
 また私はこういう物語があってもいい、こんな長編だったのにまだ序章だったとは、と肯定的な立場ですが、「歪な六面世界を、六面世界では異世界の住人及び末裔にあたる人物が変革を遂げる物語」だと解しているのですが、これも批評者からすれば評価するものではないと推察しています。違っていたらすみません、間違いがあれば訂正します。

目次で一番注目されるポイントであろう感想「合わないし苦痛」

 お察しします。というのは、無職転生が万人受けする作品ではないですし、原作者も百も承知で意図している構成なのでしょうが、ご指摘のとおりやはり一般人、特に多数の女性が許容できる下ネタの範疇には収まりません。webでもR-15指定であること、アニメも深夜帯の放送です。
 私はあるきっかけでアニメ1期を一通りみて、なろう作品に触れたのが初めてだったので一度この作品からのぞいてみようと思い、その続きから読み進めた者です。アニメ視聴時は、4話の緊急家族会議で「こんな生々しいのやるのか」という意外性と、父パウロとの、現実世界でもままある些細なことで起こる親子の喧嘩別れの恐れのある状況を、前世の後悔を糧に無事和解におわらせたこと、ヒロインと終始行動を共にせず状況の変化などで結構な期間別行動をしたりと、異世界ファンタジーらしい経験もしながら、本気で生き抜くという、目的があるようでわかりやすい至上命題のない日常生活が主の、筆者としてはこれまであまり視聴したことのない構成であったので興味もありました。
 批評者は162万字まで(こういう字数準拠もプロの目線でしょうか、おそらくエリスとの離別前後か学園生活編あたりだろうと思われますが{16章と17章あたりかと思われます})苦痛であったとのことですが、私も当作品を読み進めている最中、やはり主人公の思考回路が(前世で拗れているという設定で原作者に憑依して筆を進めているから)同性の私でも眉をしかめてしまうことは多々ありました。きっかけが違っていたら継続して見ようと思わなかったかもしれません。
 特に苦痛だった点を挙げられていますが、ここは私も頭を抱えてしまいます。なにしろ主人公が常軌を逸した行動をしますから。どの場面かは読了された方はおわかりでしょう。自分ではこの作品は面白いと思っていても、タイトルとあわせ最近の人気作品の話題はたいていの人とできても無職転生はやはり口には出せません。共通の趣味仲間なら共有できても美容室で担当の人に言えるレベルではありません。ここは当作品のファンが、いかに作品が好きであっても心掛けておかねばならない注意点であると、私は思います。書いてて隠れキリシタンみたいだなぁ…。実際そうなんですが。
 そしてここで原作者にも触れられています。これがおそらく皮肉まじりなのでしょうが、作者の腕がいいために、この致命的な問題を、問題ないと思ってしまう人々がたくさん出てきてしまったということ。構成や展開の飴と鞭、起伏のバランスが秀逸であったとのことです。原作者を評価されてもいるが、同時に問題提起もされています。後の見出しで後述します。
 ただこれについては、小説家になろうと出版業界の特殊な差が関係していると思います。出版業界はプロの編集がおりますが、なろうなどでは編集がおりません。代わりに読者がいます。感想返しを見ておりますと、ここでも原作者の腕が良いという所以なのでしょうが、ある程度読者のニーズに応えてプロットに齟齬がでない範囲で読者受けする話にされていたということです。感想を見て人間の成長物語にしようと路線変更したことや、人物の処遇などです。読者が編集の代わりみたいなものになっていました。この折り合いがいいか悪いか、私にはわかりません。衆愚の恐れがあると言われると否定もできません。しかし事実でそうなっていました。

 そして、読者の異性への無理解といえばいいのでしょうか、その危機感を述べられています。オタク的な男性が女性に感じる恐怖を除去したヒロインたちの物語は有害で、高齢独身男性が結構数いるということです。
 これについては、私は別の稿で関係したものを上げているので、見てもらうとしまして、直接的なコラムを上げておきます。

〇独身研究家 荒川和久氏
100年前も若者の未婚「男余り」人口は現代と同じくらい多かったのに皆婚だったワケ
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b593bcfcdaf7c4dd8ad0c93679bdc325e687ef64)

「デート経験なし4割」で大騒ぎするが、40年前も20年前も若者男子のデート率は変わらない
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/07463f2c0f4548afcb5a5f2a4ac02b04fe3d31fc

など、データを用いて分析されているので、当ページ以外にも荒川氏のコラムはありますし、この方だけに頼らず、信頼にあたう研究者から広く情報を集めるなど、個別の判断にゆだねます。
 私の端的な回答(解答ではないです)としては、お見合い婚の消滅と日本政府のマクロ経済の失敗、次点でネットの発達だと考えています。批評者は氷河期世代ということですが、デフレ不況、恋愛至上主義なるものもこの付近からです。男に限らず全員が全員、恋愛婚なんてできませんし、荒川氏によると男性が異性と交際している割合は昨今で変わっていないとのことです。
 要はもともとそういう男性、また女性もいつの時代も似た割合で一定数いるのではないかという考えです。

 この節の最後に、叶うならオルステッドの本格的な物語を読みたい、と述べられています。前世の男の「無職転生」ではなく、その前の、異世界ファンタジーの要素のみで構成されるループ中のお話でしょう。批評者の観点というフィルタを通してみると納得でしょうか。そういう意味では剣の理念、王竜王討伐にも言及されていますが、好印象です。ルーデウスの影響を受けたエリスの存在があれど部分的に純然な異世界ファンタジーとなっているからであろうと思います。そういったところはルーデウスの心理描写でなく語り部調になっています。ただ、残念ながら無職転生の次の舞台は異分子であるルーデウスの子孫たちと、七星静香、主人公級の篠原秋人が活躍するだろうと思われますので、批評者が見たいと思うような異世界ファンタジーにはなりえないのだろうと思われます。

冷笑主義・虚無主義のようなものについて

 これは文面的に批評者が見聞きしたものかと思いますが、当作品に漂う思想みたいなものが嫌だ、ということを聞かれたことがあるそうです。視点が違うのかもしれませんが、ルーデウスは人間性に問題はあれど前世の後悔を、その冷笑主義を払拭するため遅くとも前を向いて歩んでいますし、オルステッド、七星静香、みな強大な困難に立ち向かっているかと思うのですが…そこではないんでしょうか。ヒトガミに何度も挑んでは失敗しているオルステッドの構図のことなんでしょうか。

無職転生は教養小説か

 これは用法・用量を厳密に守ったうえで、という前段がつくと私は思います。そういう側面がないとは言い切れないのではないか、というなんとも歯切れの悪い言い方になりますが。
 もし前世の男が腐らず、拗らせず前世を諦めずに全うしたとしたら、おそらく日々を一生懸命働く市井の一人だったのではないかと思います。それが歯車が狂い、腐ってしまった。私個人も、一年浪人しましたがその時の気分は怖かったです。明日への恐怖なのか不眠症になり蕁麻疹が身体中にできたりしました。アニメを見ていると、人生ここで諦めていたら、こうなっていたのかも、という前世の男と自分を重ねることがありました。失敗で腐らずに前を向かなければ後悔するのでは、というのを作品を通して、将来への基礎の積み重ねの大事さと、比較的気の弱い人たちに前に進ませる勇気を与えるものではないかと、私は思います。
 そしてルーデウスが家庭をもつようになってからは、家社会という廃れてしまった現代の日本にとって家族の在り方にも間接的に再考の余地を加えているのではないかと、私は思います。これは私の勝手な解釈かもしれません。またザノバのシーローン王国への帰還も、自由と責任、その人の命よりも重い責任=エリートといわれるもののあり方を表現していると思います。
 しかし確実にいえるのは、批評者のいう通り、胸を張って万人にオススメはできません。私も自身の周りに無職転生という名称を出したくても基本出したことはありません。

人権意識の問題について

 以下、上の「事の経緯」の名興文庫 現代表 尼宮乙桜氏の引用です。
「堅洲斗支夜は前々より、ライトノベルや、特にweb小説の奴隷表現に問題意識を持ち、X(旧twitter)にて自身の意見を発信していました。内容としては「人権問題を軽く扱いすぎている」「人権意識の高い方達が作品を見たら、創作界隈そのものが潰される」「日本の創作全体が人権意識の低いものと見做され、作品の輸出が禁じられる可能性が出てくる」といったものです。」
 
 批評者は、当作品だけでなく人権問題に抵触するような表現のある作品全体に問題意識を持っておられる、とのことです。同意します。私もこのあたりはその作品がどういう目的でそうしたのかということには意識しています。例えば「あたかも主人公がヒーローのように助ける即席英雄のための材料」として奴隷を登場させた場合、見ていて不快だと感じます。まあ、私はただの一般人なので、わざわざ「~~で見るのやめた」と公開する必要もないと思っていますから、ひっそりと視聴を切るという選択をするだけですが。
 しかし批評者のように、業界を生業にする方には、それが二次展開されるほどになってしまうというのもたしかに危機感を覚えるものだと思います。日本は人口減少で市場が低下していくため、海外にも目を向けなければなりません。危惧している海外というのは主にEUでしょうか。およそ5億人を抱える連合体で、GDPもしっかりしているところですが同時に批評者の危機感に一番厳しいところでもあります。まあ、アメリカ、中国なども比較的規制が厳しいかもしれません。この市場で規制される危惧をしなければならないのは現代人の倫理観においても業界人としても恐れることだと思います。
 個人的な意見はありますが、本稿では述べません。軽く扱いすぎている創作物があり、人権意識に警鐘を鳴らすことには私も同意見です。ただ一言申し上げるなら「歴史を抹消せず歴史に学ぶこと」です。これは日本だけでなく全人類にいえることです。
 

どこにでもいる愛するがゆえに過激派となる存在の問題と二極化

 次に、再度同ページの引用です。また後述するといっていた部分です。まあ、この出来事の発端ですよね。なんというか頭が痛いというか。

「堅洲斗支夜は『無職転生~異世界行ったら本気だす~』の原作を「プロローグ」まで読み、実際に読んでみたという第三者(プロの作家複数名含む)が発する問題提起や感想、解題を収拾、分析し、作品の概要は把握したうえで自分なりの意見表明を行なっていました。ですが、質問箱のコメントによると、「プロローグだけ読んで全部をわかったように意見するのは筋違いである」「全部を読んだ上で意見を言うべきである」とのことです。」
 
 私もこの事かはわかりませんがちらと似たことを令和5年に聞いた覚えがあります。しかし、読者目線で無職転生って賛否の差が激しいしそんなもん、というのと、それが批評者だということは知りませんでしたし調べようとも思いませんでした。令和6年1月になって知り、購入に至りました。そして、原点の質問箱を確認してみようとしたのですが、確認した限り見ることができませんでしたので、どういった内容が書かれていたのかわかりません。ただ、現在において批評者は当作品ほぼ全ての出版物に目を通し、NHKの放送にも言及しており、総合的な批評内容から誠実な姿勢であると私は判断します。私もたぶんニガテな作品を全て読むことになったとしたら仕事ならするだろうけどまあ結構なストレスでしょうね。日常業務もこなしながらでしょうし。
 
 で、見出しの内容になるんですが、質問箱の質問で少なくない数の問い合わせが批評者にあったそうです。作品を愛するあまり突っ走る人たちです。アイシャ編の顛末も似ていると思います。キャラクターを愛するあまりなのかわかりませんが、原作者を口撃しました。私は当作品を知ったのはアニメ1期からなので、当時のことは知りません。
 ちなみに、私はアイシャ編も読了しましたが、なぜ削除されるに至るまで発展したのかわかりませんでしたし、本当になにが原因で炎上したのかわかりません。最初は近親相姦でなのか?と思いましたが、この時点でいまさら近親相姦というだけで炎上するわけでもないと思いますし。と自分でパワーワード書いててうすら寒くなるな…。
 しかし、サイトの運営が動くほど、問い合わせがあったのでしょう。

 批評者は、当作品と原作者というより、こうした世間一般から見れば一癖も二癖もある作品を過剰に持ち上げようとする先鋭的なオタクに対し敵愾心があるようです。お互い相容れない関係になっています。
 ただこうしたことはいつの時代もどの分野にもいます。深くは追及しませんが政治系思想系などさまざまな分野で先鋭化・二極化してしまうんですよね。
 また、それも手軽に手元の端末一つで他人を攻撃できるのです。労力が違ってきていますし、提供と消費の距離が非常に近づいています。恐るべきことです。
 私は感情を出すなとは申しません。しかし、妬み嫉み恨みなどの負の感情は気を付けねばなりません。行き過ぎれば後悔に繋がるかもしれません。それで自分が本当の前世の男になってりゃ世話ないです。憤ってしまうのは仕方ありませんが、分析と評価を分け物事を考えなければなりません。
 お互いが、自分が正義で相手は悪魔と思っていると、悲惨にしかなりません。中世欧州のプロテスタントとカトリックの宗教戦争です。
 批判をするにしてもやり方があるはずです。批評した人に人格攻撃するのでなく批評内容に対する筋道たてた内容反論はあるならすべきですが、感情にまかせ批評した人自身への批判は良い方向に向かいません。また先鋭的な人が、作品を擁護する形で感情的に批判をすると作品や原作者にも迷惑になる可能性があります。お互いに、怒りに任せた行動かどうか、客観的に、発する前に冷静になるべきかと思います。あと嫌なら見ない。この選択が一番精神衛生上よいです。

web小説業界の今後について

 批評者は、将来のweb小説界隈に憂慮されています。web小説界隈のファンタジーを「異世界ファンタジー」一色にし、いずれ各国との「コンテンツの戦い」において小説界がほとんど存在感を示せないことになるでしょうと。
 そして、他の業界がすでに凋落していっていることに触れ、当業界もそうなってしまうと。
 ひとまず触れられている他業界のことで私の回答は日本のマクロ経済の失敗と規制が厳しすぎることです。日本はこれまでデフレを30年も放置してきました。世界的にみても異常です。昭和4年の大恐慌でも井上準之助がデフレに振れるのがわかっているのに金解禁というデフレ政策をして大失態したものの不況乗り切りの名人高橋是清がお札を刷りまくり快復させました。現在の日本のここ30年の円の価値は0%均衡。安定しているように見える(まあ安定はしてるんですが…)んですが、近代の正統派経済学にならえば、2%を超える程度のマイルドなインフレがベストです。(永濱利廣氏著「日本病」が読みやすい本です)他国がマイルドインフレで推移していると相対的に円高です。円高だと輸入には有利だけれど輸出は不利。日本は輸出あっての輸入の国なので、むしろ30年も就職氷河期だブラック企業だなんだとよく耐えたのが我々世代だと思います。また円の価値が徐々に薄まっていくインフレだと先行投資を新旧問わず果敢に行い成功した企業が富を得るのですが、デフレだとどうしても守勢にならざるを得ず、新興もなかなか生まれません。自由に経済活動できる土壌が整えば日本人は勤勉でありますから。規制は、ドローンも自由に飛ばせない、ライドシェアも自国の会社があるのが普通なのに日本にはありません。
 web小説の業界は私は素人なので触れられません。しかし、日本は特定の宗教などに縛られず多様な価値観を比較的享受できている国であり、他国の文化にも触れながら融合し独自の発展を遂げてきました。一時の流行り廃りや技術の進歩による試行錯誤はでてくるでしょう。批評者の懸念も最もです。しかしノイジーマイノリティかもしれません。サイレントマジョリティを信じて、作家の方はご自身の作品を愛し、創作活動に熱を出していただけると消費者側としても良いと思います。


 最後にもう一度。
・先入観を捨て、客観して冷静に批評内容を確認ください。
・無職転生という作品を客観して内容を確認ください。
・人物や作品に0点も100点もないこと。

 以上です。
 


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