24.04.02- 松屋

2024.04.02
誕生日を迎えたら、大好きな友達や先輩や家族からお祝いのメッセージが届いた。僕の好きな高校の友達は野球観戦に誘ってくれ、好きな男とは久しぶりに飲みに行くことになった。

僕は基本的に「好き」を安売りしたくない。種類に違いはあれど、自分が「好き」と表明したものについては、一定の基準のもと熱量を保ってきた自信がある。ただ、今は多くの方向に好きの矢印が向いているのを感じる。それは幸せなことである反面、その状態を継続すると何かしらの歪みが生じてくる気がして、ちょっと怖い。

1年ほど前に『20代で得た知見』という本をタイトルに惹かれて買った。そこでは作者が知見と呼ぶものに番号が振られていた。河合隼雄の『こころの処方箋』のような内容を期待したのだが、フォーマットこそ真似られているものの、実態は詩集のようで個人的には期待外れだった。その本の中で、取ってつけたように椎名林檎の歌詞が引用されていたことを思い出す。今日、自分の中の「好き」という感情と対峙しながら、僕の方がちゃんと実感を持って、あの一節の意味を理解できているぞ、と強気に振る舞いたくなった。

2024.04.05
朝。天気予報を見たら午前中は雨が降るとあったので、大きめの傘を持って外に出ると雨は降っていなかった。それなら傘は置いて行こうと、マンションの扉を開けて引き返したところ、タイミング悪くエレベーターが上の階で呼び出されてしまった。待つのも面倒なので階段を使うことにする。

明日は男と会う予定がある。その前に髪を切っておきたくて、何時集合にするかLINEで尋ねていたのだが「確認するから待ってね」という返事が来ていた。バーバーの空き時間を見ると一番早い枠は既に埋まっていて、時間によっては髪を切れないかも知れない。

そんなことを考えながら傘を家に置き、改めて外に出ると、さっきまでやんでいた雨がポツポツと小雨で降り出した。傘を置いたついでに折り畳み傘をバッグに入れておけばよかった。ただ、もう家に戻る気にはなれなくて、小雨に降られながら駅に向かう。ここ最近花粉症がひどく、喉と鼻に違和感がある。鼻をすすって歩いていると、自分が今だいぶ苛立っていることに気づいた。これは早くLINEの返事を寄越さない男のせいに違いないと思う。

ただ、今朝の状況を冷静に言語化して振り返ってみると、原因は一つではなく、複数の要素が絡み合って苛立ちという感情が生まれていることに気がついた。普段の自分がいかに直感的に思考し、思い込みのまま突っ走っているかを思い知る。全ての観察された感情は必ず消える。また発生するかも知れないが、それもまた必ず消えるのだ。忙しい朝にも自分の心を観察するくらいの心の余裕が大切だ。

2024.04.06
バーバーでカミソリで生え際の毛を剃られる時、もし僕が今くしゃみをしたらどうなるだろうと想像する。何かの拍子にちょっと手元が狂っただけで大惨事が待っている状況は高速道路の運転に似ている。自分は運転をしないけれど、運転者が間違えてハンドルをグッとひねった途端、全員の命が奪われるのだな、と考えることがある。バーバーのお兄さんは、僕のそんな緊張感を知ってか知らずか、テキパキと器用に生え際の毛を剃り終えた。

前にあった男と3回目のリアルをした。彼と話す時、僕は乾いた笑いを多用する。本当に面白いことなど一つもないという事実を、ヘラヘラと笑って誤魔化している。でも、彼の顔も性格も嫌いじゃない。嫌いじゃないけど「好き」ではない。ただ、彼を好きではないことは、彼の家に泊まらない理由にはならなかった。

朝。松屋で朝ごはんを食べていると、中年女性を連れて演説調で楽しげに話す男性がいた。セミナーの講演のような口調と大声が嫌でも耳に入ってくる。

「大切なのは洞察力と声のトーンなんだよ!それを君は持ってるんだよ。芸人で⚪︎⚪︎っているじゃん。最近はあんまり見ないけど。いたじゃん。彼はやっぱり声のトーンがすごかったわけ。」

酔っているのだろうが、連れの女性も楽しげに相槌を打ちながら話を聞いている。すると話が結論に向かって収束していく。

「だから君はその声のトーンを生かしてオレオレ詐欺で儲けられると思うんだよね。まぁ冗談だけど。ガハハ。」

勿体つけた口調で朝の松屋で独演会を開催しておいて、そのオチのくだらなさに呆れを通り越して怒りが湧いてきた。酒を飲んだ時の会話など、自分も大抵同じ穴の狢なのだろうが。

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