見出し画像

日本の常識は欧米の非常識「欧米に寝たきり老人はいない」要約・所感①

おはようございます。本日は宮本顕二さん、宮本礼子さん共著の「欧米人に寝たきりはいない」を取り上げたいと思います。

著者のお二人は医師であり、「高齢者の終末期医療を考える会」立ち上げその代表を務められ日本の終末期医療を変えるための活動をされています。

終末期医療について考えたことはあるでしょうか。それは自分の人生の最期を考えることと同じです。本書では日本の終末期医療の実態とかかえる問題、そして世界の終末期医療について学ぶことができます。「日本の常識は、世界の非常識」本書読後は、この事実を突きつけられます。

学んだことを以下にまとめておきたいと思います。

1.日本の終末期医療 希望と実態


日本人の平均寿命は今や84歳を超えています。仮に自分がそれくらいの年齢になったときに重い病気にかかって回復の見込みがなかったとします。その時に医療措置を施し一時的にも命をつなぐ行為、それを延命治療といいます。点滴など比較的軽度なものから、侵襲の大きな処置までさまざまあります。

自発呼吸ができなくなれば挿管や気管切開され人工呼吸器が着けられます。口から食事が出来なくなれば鼻から管を胃まで通す経鼻栄養、またはお腹に穴を開けて直接胃へとつなげる胃ろうがそれにあたります。どの治療も患者側に少なからずの侵襲から苦しみが伴います。

とある調査で高齢者の延命治療の希望についてみると「延命のみを目的とした医療は行わず、自然にまかせてほしい」と回答した人の割合は9割を超えました

しかし日本終末期医療の実態は希望のとおりとはなっていません。日本の病院病床数は158万床あります(一般床90万、精神34 万、療養33万)。このうち多くの療養病床をもつ医療施設では意識がなくものが言えない寝たきり高齢者に点滴や経腸栄養が施されています。

痩せ細った上にくの字型に曲がった身体、手足の関節は拘縮しています。体圧分散マットレスを敷いて体交しなければ、褥瘡が出来てしまいます。さらに点滴やチューブを自己抜去してしまわないようにと両手を帯で縛られてまでそれを受けているのです。経過は様々ですが長い人では数年間このような入院療養をした上で亡くなられていきます。

2.希望しない延命が行われる5つの理由


日本の終末期医療がこのようになってしまっているのはなぜなのでしょうか。本書ではその理由を以下の5つ挙げています。

①延命至上主義
戦争で多くの命が失われた反動から国民の間には命の質よりも長さを尊う延命至上主義があります。どんな状態であっても生きていさえすれば良いという人もいます。

また、医療教育も延命至上主義で命を救う教育にばかりに時間をさき、命をどう終えるかについては多くを学びません。

②自分の希望を家族に伝えていない
先に述べたように多くの人は延命治療を望んでいません。しかし、その希望を家族に伝えている人は30%程と言われています。更にそれを書面に残している人となると数%となります。
このような状態ではいざとなったときに、本人の希望が叶わず気が動転した家族が延命を選択するというケースが生まれます。

③診療報酬や年金等社会補償制度
日本の医療報酬にも要因があります。医療機関も慈善事業ではないので収益が必要です。医療行為ごとに診療点数が着けられ、それを元に報酬が得られます。当然ですが手間がかかり、濃厚な医療行為ほど診療報酬が高くなります。中心静脈栄養や人工呼吸器装着を行うと診療報酬が高くなります。

また、地域の救急医療をになう大規模な病院や急性期病院では在院日数が長くなると診療報酬が減るため、胃ろうを作って早く転院させようという圧力がうまれます。

また、これも残念な話ですが親の年金を当てに生活をしている人がいるのも事実です。

④医師を守る法の整備が不足
日本の医師は患者家族から延命措置を怠ったと訴えられるリスクとも戦わなければなりません。それほどまでに医師を守る法の整備が不足しているのです。
終末医療の希望を書面に残したものをリビング・ウィルと言いますがこれも法制化はされていないので完璧な後ろ盾にはなりません。

また、日本では一度始めた延命治療をやめるという選択はほとんどありません。これまでにも患者のためを思い医師の判断で人工呼吸器を外したものの、結果的に家族から訴られるケースがありました。

⑤倫理観の欠如
「延命措置を望みますか?」に「いいえ」と答える割合は医療者であればより高くなるそうです。普段仕事の柄そのような実態を目の当たりにしているからでしょう。残念ながら医療者も家族も自分は受けたくない 延命措置をもの言わぬ高齢者に行っています。
“己の欲せざるところは人に施すなかれ。”
高齢者の人権を守るべきです。

3.延命しなければ迎えられる安らかな死


口から食べられなくなった患者に対して「一本の点滴でもしてやってください」こう訴える家族は多いと言います。どうしようもないけれど、何かはしてあげたい。家族としては当たり前の感情だと思います。

また、実際の医療現場では医療者につきまとう「何もしない」という後ろめたさの解消に点滴が施さることはあるようです。病院は点滴をするところという固定観念を家族にも医療者どちらも持っているのです。

しかし、点滴一本のエネルギーはたったの100kcal(グルコース5%500ml換算)です。茶碗に軽くよそったご飯の半分もありません。エネルギーとして僅かな足しにしかならないだけでなく、水分量が増えることで痰や浮腫を増やし、患者さんを苦しめることにもつながります。

点滴をして2-3ヶ月延命するなかで、患者さんの体はどんどん痩せてしまいます。亡くなるころには以前とは別人のような顔になることもしばしばあります。

こういった背景から著者の方が勤務する認知症病棟では食べられなり、経腸栄養も希望されない患者さんには点滴もせず自然な看取りをすすめているといいます。

残念ながらこのような施設は少数派で、日本の多くの医療施設では必要さに疑問のある医療行為が横行しているのです。

日本は世界一の長寿国であるのに高齢者医療が確立されていません。そのため、虚弱である高齢者にも若者と同じ検査が行われ、同じ治療が施されます。また、高齢者とその家族も手厚い医療を望みます。そして、終末期には点滴や経腸栄養による延命が行われるのです。

ここまで、日本の終末期医療の実態についてまとめてきました。長くなってしまったので、今回はここまでにします。
次回のnoteでは筆者が実際に海外を訪れて触れた海外の終末期医療についてまとめていこうと思います。

こんなnoteも書いています↓
よろしければご覧下さい







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?