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「津久井やまゆり園」事件から8年  一人ひとりのいのちを見つめる

 論説アーカイブとして、2016年7月26日に神奈川県相模原市の重度障がい者施設「津久井やまゆり園」で、「障害者は不幸を作る」と主張する元職員の男によって入所者19人が殺害され、26人が重軽傷を負わされた虐殺事件に関連して書いた論説を編集して再録します。
 毎年のように論説に書いているのは、事件が、単に残虐な事をした犯人の問題ではなく、社会における“いのち”の問題を重くかつとても広く、現在に至るまで問いかけ続けているからです。
 
 事件の年に取材に行った際の写真、以前に事件を悼み教訓を伝える活動をしている地元のNPOが送って来てくれた毎月の献花の写真などを添付します。

事件後の津久井やまゆり園

 特筆すべきはカバー写真にもある現在の 慰霊碑(水の流れるオブジェ) に犠牲者8人の名前が刻まれていることです。
 NPOの人たちが、障がいのある犠牲者が匿名で報道され生きていた証が見えなくなるような状況に対して、遺族の意向を受けて刻んだものです。犠牲者19人全員でないことに、障がい者への世間の対応が象徴されている気がします。
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 毎年、NPO代表から「犠牲者を偲ぶ会」の案内が来る。長年勤務した元同園職員で、被害者らに寄り添って来た太田顕さんらが惨劇を語り継ぐ活動をする「共に生きる社会を考える会」の主催で、「考える会ニュース」も届く。
 
 歪んだ優生思想をむき出しにした犯行は、この社会の根底にある「役に立つかどうか」で人間を選別する風潮をあぶり出したが、その後も同様の差別や抑圧がなくならない一方で、事件の風化が懸念される。「忘れず、後世に伝える」ために毎月命日に施設前での献花を呼びかけ、勉強会など様々な取り組みをして来た太田さんは、「事件を防げず、入所者を守れなかった」痛恨の思いを抱き、それを自分事ととらえている。
 
 それは園勤務時代に入所者たちの互いに支え合う温かい人間性に触れ、自らを問い直した原体験からだが、障がい者を囲む社会を変革するには、管理主義に流れる行政・制度の壁、閉じ込め隔離する環境・建物の壁、そして最も大きな「人々の心の壁」が立ちはだかると訴える。そして、目指すのは「共生社会の創出」とする姿勢には、事件に注目し続ける各地の人たちにも共感が広がる。
 
 だが事件後にはいろんな事が起きた。「東京パラリンピック」に先立ち、聖火をやまゆり園で採火するという行政の一方的な動きには、強い違和感を持った遺族たちから反対が起き、撤回された。当初声高に叫ばれコロナ禍で尻すぼみになった「復興五輪」とやらと同様に、「障がい者問題」が政権浮上狙いの五輪・パラの言葉だけのPR道具にされるという危惧も強かったと伝えられる。
 
 改修工事を終えた園には、再び利用者が入所し生活する。「偲ぶ会」ではドキュメンタリー映画『生きるのに理由はいるの?――津久井やまゆり園事件が問いかけたもの』も上映され、遺族関係者が作詞した『やまゆり咲く里』という歌も斉唱される。「やまゆり咲く里…瞼浮かぶ 今日も涙…帰らぬ19のいとしきみ霊に…」と事件を正面からとらえた歌詞だ。
 
 歌詞は犯行にも触れ、「男はうそぶく 『か(彼)は人にあらず』 闇に沈むその心…かも母から生まれし者」と。そして、こう結ばれる。「『誰しも共に』と言うは易く 難し…叫びは救い 伝えたい心」と続く。
 

偲ぶ会での献花と追悼

 会では参列者の献花を受けるが、地元にある禅宗寺院の住職は事件後、通りかかるたびに懇ろに合掌を続けている。
 住職は現代社会で人間のいのちが置かれている状況をこの事件が象徴していると感じており、「障がい者はいなくなればいい」と言った事件の被告と同様の意識が社会に潜んでいるように見えるという。
 
 「世の中全体でいのちが不公平に扱われている。どんないのちも等しく尊いのに、もっと皆が声を上げなければいけないでしょう」と強調する。「被告が死刑になっても解決ではない。社会の底に優生思想がなお広がっているのが問題だ」と関係者も語る。
 
 以前の偲ぶ会では人権作文コンテストで優秀賞となった市内の中学生が『人の価値』というその作品を朗読した。事件以前に街中で出会ったやまゆり園入所者たちとの交流に触れ、「車イスで支えられ、挨拶しても返せない人もニコニコ笑っていた……やまゆり園にいろいろな人がいるように世の中にもいろいろな人がいる。誰にも苦手な事があるし、得意な事がある。『障がい者』という区切りではなく、1人の人として見なければならないと思う」と述べた。
 
 そして、「花火大会でにこにこ笑っていた人たちの顔を僕は忘れる事ができない……みんなに価値がある。人の価値を決められる人は誰もいない」という訴えに、参加者たちは胸を熱くしたという。
 しかし、社会ではその後も人命を軽視するような事件や出来事は絶えず、インターネット上では事件の被告を持ち上げるような書き込みも続く。
 
 「役に立つかどうかで人がより分けられる生きづらい世の中です。一度落ちたら這い上がれないのは被告も同じだったのでしょう」と語る住職、障がいを持つ義妹がいる彼の言葉が重い。「当事者でないと気持ちは分からないが少しは感じ取れる。自分の生き方も考えさせられる。何があってもあらゆるいのちは公平に扱われなければなりません。失敗が許されず、人間が使い捨てにされるような世の中を変えるのも宗教者の役割です」。
 
 
#津久井やまゆり園 #障がい者 #いのち #一人ひとりのいのち #7月26日

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