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能登半島地震 被災地報告 その3

そこそこ前になるが、能登半島地震被災地にボランティアと取材に赴き、各地で見聞した事柄のごく一部を。今後現地に行かれる皆さんの参考にも。ほとんどが半年以上たった今も続き、少なくとも数か月は変る事のない状況だ。
 ➀  多大な犠牲
 

鎮魂の「わじまんま」のTシャツ
焼け野原の朝市通り

 地割れや段差だらけの道を徹夜で走り、輪島市内に着いた2月5日未明。ようやく明るくなって来た街は、至るところで家屋などが崩壊する惨状だ。既にメディアが伝えているが、2階に押しつぶされた1階玄関には正月のしめ縄が付いたまま。原形を留めないほど壊れた住家には子供のおもちゃや仏壇が散乱し、なぜかそこだけ数十羽のカラスが群がる家があった。
 
 広大な地域が猛火で全焼した朝市通り。かつての賑わいを知るだけに、倒壊して黒焦げになった商店街に茫然とする。焼け跡にボロボロになった消防の消火ホースがある。地震で消火栓が使えず、川の水位も下がって消火が困難だったことが分かる。歩いていると、まだそこら中に焼け跡の独特の臭いが漂う。
 
 同じ経験を以前にもした。阪神・淡路大震災での神戸市長田区の大火、東日本大震災で市街地全体が焼き尽くされた宮城県気仙沼市や岩手県大槌町でも同じような匂いがした。廃墟に立ち尽くすとそれが全身に染み込み、苦難と悲しみの慟哭が聞こえるようだ。
 
 全壊状態の日本基督教団輪島教会の前で、新藤豪牧師に話を聞く。地震の際は自分は命からがら脱出し、その後は避難所生活だが、避難者の皆さんが憔悴しきっていると。人々の安寧とボランティア活動に入った我々の作業の安全を祈ってくれた。
 
 教会から目と鼻の先に、あの倒壊した輪島塗会社の7階建てビルが見える。それに押しつぶされた居酒屋「わじまんま」には、牧師も時々行っていたそうだ。経営者の楠健二さん(55)の妻由香利さん(48)、長女珠蘭さん(19)は押しつぶされて亡くなった。正月帰省していた珠蘭さんは4日後が誕生日で、一家で成人式を心待ちにしていたという。新藤牧師は「言葉もない」と。
 
 健二さんはビルの残骸の下に入り込み、2人の遺品を探す。由香利さんからプレゼントされた腕時計を奇跡的に見つけ、瓦礫から引きずり出した妻の枕を抱いて、「今日からこれで寝ます」と話していた。炊き出しに向かう前、良く見ると不気味なビル残骸に黒いTシャツが吊り下げてある。「わじまんま」の白いロゴが見える。夫婦で店で働く時に着ていたものだろう。寒風に揺れるTシャツに、ここへ吊り下げた健二さんの気持ちを思い、胸が締め付けられて込み上げるものを抑えられない。
 
 川原田小学校での炊き出しに訪れた別の小学校教師の男性は教え子が亡くなった悲しみを訴えた。珠洲市での配食では自宅が全壊した70代の女性は「母親が死んだ。助けられなかった」と話し、「でも、母の元で生まれ育ったこの土地は離れたくない」と。200人を超えた死者たち一人ひとりに、それぞれの生きた証があった。
 
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