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「見立てる」という高次元の遊び

お茶のお稽古に行って知った「見立てる」という概念の奥深さ。
お茶の世界では、いろいろなものに「見立て」という概念が用いられている。身近な例で言えば、もみじに見立てた和菓子もそうだ。
今日は、「見立てる」ということについて考えてみた。

「見立て」とおもちゃ

赤ちゃんや子供のおもちゃは「見立てる」というコンセプトのもとに成り立っているものが多い。例えば、うさぎのぬいぐるみは、うさぎに見立てたおもちゃである。機関車の形をしたつみきは、機関車に見立てたおもちゃである。逆に、シンプルな四角、三角などのつみきは、子どもが自ら知っているものに「見立てる」ことができる創造性を発揮しやすいおもちゃである。

うちには0才の娘がいて、魚の形をしたおもちゃがある。平らで縦20センチX横30センチほどの布でできた魚で、乳幼児の感覚を刺激するような様々な素材でできたうろこがある。うろこをめくると、たこやいか、くじらなどのかわいいイラストが描かれている。

これは、魚に「見立てた」おもちゃである。どこかの大人が思いついて乳幼児がきっと喜ぶと思ってつくられたおもちゃなのだろう。

そんな魚の横を、今日うちの猫がさーっと素通りしていた。

魚は大好きなはずなのに。

「見立て」の高次元性

そこではっとした。
この魚の「見立て」はあくまで「見立て」であり、人間の大人がつけた意味付けであり、直感と感覚と嗅覚で生きる猫には、一切その意味がなく、風景の一部でしかないのだ。

こう考えると、「見立て」というのはとても高次元で奥が深いのかもしれない。人間以外はそれをすることがおそらくないのだから。

子どものおままごと(じぶんをお父さん役やお母さん役に見立てる)や、つみきの一部を家に見立てるなどは、人間が発揮する最初の見立てであり、高次元の遊びなのだろう。

今、なんでもかんでも(人の肌でも)噛んで、野生本能を発揮している娘が「見立て」デビューをして人間となるのは、きっと間もない。


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