見出し画像

事業再生のこと−27

最近、事業再生についての相談が多くなった。
誤解されているかもしれないが、私は事業再生のコンサルティングをしているわけではない。
確かに多くの人たちや事業主が窮地に追い込まれて苦しんでおられる。
そういう相談を受けるとかつての自分たちのことを思い出して
何とか助けになればとは思う。
しかし私はそういう相談に対してコンサル料金は請求はしていない。
ただ、デザイナーとしてやプランナーとして実費が発生すれば最低限の実費請求だけをしている。
困っている時に余裕などない。
まずはその人たちが再生することをサポートしたい。
その後のことは再生してからの話。

●コンサルは嫌いだ

かつてデザイナーをしていた時に「バブルの崩壊」を経験し、
その時に思いやりのない「コンサル業者」が乱立して、青色吐息のクリエイターにたかって法外なコンサル料金を請求しているのを何度も目にした。
だからコンサルという言葉は異常に嫌な語感に感じる。
アドバイスなんて無料で良い。
でも、再生しなければならない本人たちが自分で立ち上がろうとしなければ、どんなに頑張って並走したとしても再生は叶わない。
再生のヒントはいくつもある。
しかし、どんなに頑張っても救えない事業者も存在する。
「未来を見ない」人たちは救いたくても救えない。
「救う」ということは「未来につなぐ」ことなのだから。
未来を諦めたり、未来に興味がなければ未来はやってこない。

●幕を閉じるのか、幕を繋ぐのか?

「もういいんだよ」と言ってしまえば幕は下ろされる。
でも「幕を下ろせば」全てが済むわけではない。
幕を下ろす時にも痛みは生じる。
幕を下ろすことによって困る人たちは存在する。
彼らのことを目を瞑って見ないようにするのか?
それとも、自分の傷が大きくなっても彼らが救われるように手を打つのか?

もちろん第二幕に繋げるのはもっと痛いかもしれない。
これまで以上の重荷を背負わなくてはならないかも知れない。
長年仕事を続けてきて年齢を重ね体力も落ちて事業を続けるのが困難な人もいる。
自分自身体力や気力がどの程度残っているかは本人にしかわからない。
同じ年齢であっても体力や気力の充実した人はいる。
幕を繋げば、弱った体に鞭打たなくてはならないかも知れない。

●第二幕目は第一幕目よりももっと遠くを見つめる

人生なんて短いし、自分がいなくなった後のことまで知らない、なんてほとんどの人たちはそう思うのだろう。
でも、何度でも再生してやり直す人は、ひどい目にあった後ほどもっと大きな夢を見る。
第一幕目で「ひどい」とはどういうことなのかを経験したことはラッキーだとポジティブに捉える。

再生して良かったと思えるのか?再生なんかしなければ良かった、と感じるのか?
それは人によって感じ方は違うだろう。
でも自分で始めた仕事にはとても深い愛着があって簡単には止める事は出来ない。
それでも周りの人たちを巻き込んで、やめることで迷惑をかけずに済むのか?
やめないで周りの人たちを幸せにできるのか?
責任は自分が背負わなくてはならなくなる。その覚悟があるのか?

でも、心配するには及ばないのは、例えやめようがやめまいが人間は生きて行けるということ。生き延びる方法は思った以上に残されている。
失敗してにっちもさっちも行かなくなったらまずは役所に行って「どうしたら良いんですか?」と聞いてみる。
電話じゃなく、出向いた方が良い。

●再生を願うなら覚悟を決めろ

再生しようと思うのなら覚悟を決めたほうが良い。
覚悟のない人は再生は叶わない。
それまで本気で取り組まなくてはならなかった時に取り組まなかった。
それこそが敗因なのだから、逆に言えば本気になれば再生は叶う。
「面倒」なんて考える暇はない。
再生するために始めることは一つも休む暇を与えない。
これまでしていたことの上に煩わしいことを次々こなさなくてはならない。
どんぶり勘定はやめてきちんと減価率と損益分岐点を出す。
やり方がわからなかったら何度でも教えてもらって出来るようになるまでやる。
恥ずかしくて出来なかったビラ配りやポスティングをする。
自分たちのお客様がおられる場所に出向く。
無理だと思っていた得意先に話をしに行く。
毎日写真を撮ってSNSに載せる。
惰性で付き合っていた仕入先を頭を下げて変える。
部屋の隅から隅まで掃除をして店をきれいに片付ける。
必要のない設備を思い切って処分する。
棚の中の材料を必要最低限の量にする。
毎月在庫を確認する。
補助金の申請書を書く。
経営計画書を書く。
黒字にするために必要であれば人を解雇し、人を雇い入れる。
債務を整理する。

再生のための一年目は本当に神経をすり減らすように働かなくてはならない。

●再生が始まる

努力をしただけ再生は早くに始まる。
多くの場合失敗した人は、同じ失敗を繰り返す。
その人の再生に寄り添いながら並走するのは、その兆しを早くに見つけるためだ。
覚悟を決めて取り組んでいるはずの色々な仕事を煩わしく思い始める。
少しずつ手を抜き、再生は止まり再び坂を下り始める。
そこからは憎まれながら叱咤するしかない。
「再生」することが習慣になるまで付き添い続けるしかない。
「再生」は本人にしか出来ない。
その本人が諦めてしまえば全ては元の木阿弥となる。
再生する途中で、再生そのものを実感出来る成功体験を獲得できれば
踏ん張りが効くかも知れない。
怖いのは再生が始まって、再び業績が伸び始めた頃だ。
気が緩み、いつの間にか浪費をし、必要のない仕入れや設備投資を始める。
多くの債務を抱えて返済を続けているだろうが、それでも貯蓄を増やし、
「絶対に引き出さない貯蓄」と
「いざという時には引き出しても良い貯蓄」を持ち、
「売上」は「利益」ではない、と強く自分に言い聞かせ続けなくてはならない。
再生はいきなりやって来るのではなく、いつの間にか再生しているのが正しい。
それを三年以上続けることができたなら、
並走するのをやめて遠くから応援すれば良い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?