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5つの小さな物語-8ー「テールランプ」

「独立記念日」

イギリスに旅立つ話を健児から聞いたのは3ヶ月も経った頃だった。

もともと学校にも留学制度はあったが、健児はロンドン郊外にある小さなデザインスタジオを自分で探し当てて「受け入れてもらえないか?」という旨のメールを送って打診していた。

健児が国内の学生の間では評価されているとはいえ、海外では実績もツテもないアジアのただの若者だった。

何度もメールやリモートでやりとりをして、その熱意をかってもらった。

母とは無縁で影響を受けない海外の独立スタジオならば、実力だけで評価してもらえるに違いないと思った。

もちろん、母親と激しい諍いがあったことは想像に難くない。でもそんなことはお首にも出さず、むしろ憑き物が落ちたように晴れ晴れとした表情でロンドンに向かうことをカナに伝えた。

せめて卒業までと学校側は引き留めにかかった。彼がいなくなってしまえば、来年度の入学希望者数は激減するに違いない。心なしかMの顔が青ざめて見えた。

「旅立ち」

空港に健児の母親の姿はなかった。

出発ゲートの前で健児とカナは向き合ってお互いの顔を覗き込んだ。

「そんな顔するなよ。毎年カナの顔を見に帰ってくるから。メールもZOOMもあるんだし、そうだ、インスタの更新サボるんじゃないぞ」

カナはうつむいて彼の顔から視線を逸らせた。

「そうだ、これやるよ」

そう言って健児は腰のベルトから使い込んだメディスンバッグを引き抜いた。

「これって大好きなバッグなんでしょ?こんなの貰えないよ」

「だから俺が帰って来るまで預かっておいて欲しいんだ」

健児はカナの手に無理矢理メディスンバッグを掴ませると、その手を引き寄せてカナを抱き締めた。

その時二人は初めて口づけをした。お互いを必要だと心から思った。

離陸するロンドン行きの便は甲高い音を立ててゆっくりと離陸した。

健児の寂しさが自分に乗り移ったように、カナは小さく震えていた。


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