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5つの小さな物語-16ー「ラッシュアワー」

「再会」

タケルの子会社への出向が決まったのは、それから程なくしてからだった。

私がその会社への異動が決まったのもその直後だった。表立っては正規の段取りを踏まえているが、タケルが裏でかなり強引な手を使ったことは目に見えていた。

子会社への出勤初日、私は不意に見知らぬ社員から声をかけられていた。

「この間はどうもすいませんでした」

見知らぬ、と言ったのは彼の印象があまりに薄かったからだ。

出勤したばかりの彼の手には、あのコンコースの床に落とした大きなブリーフケースが抱えられていた。

無精髭を生やした彼はメガネの下から私を値踏みするように覗き込んでいた。

「どうも、同じ課の倉吉と言います。今後ともどうぞよろしくお願いします」

差し出された手を無視して、視線を逸らした私は「よろしく」とおざなりな返事を返した。

その日の夕方、私は直属の上司となったタケルと得意先へ行くと言う口実で、一緒に社用車で出かけた。

出先近くの自家焙煎コーヒーを出すカフェでラテを飲みながら、タケルは神妙な面持ちで私の顔を覗き込んだ。

「何よ?」

「実はさ、ちょっと困ったことになった。ヨシをこっちの会社に移動させるときに、会社の上層部に俺たちのことを疑われてさ、上手く誤魔化しておいたし何かあるってわけじゃないけど、しばらくは用心しておとなしくしておいた方が良いかもしれない」

「ふうん、そうなんだ。わかった、しばらく会わない方が良いかもね」

会わなきゃならないほど飢えているわけでもない。

私たちの関係がこれで終わりってわけでもないと、その時は思っていた。

「居候」

会社でのタケルの評価は相変わらず高く、低迷していた子会社の業績をみるみる回復させていった。

強引とも取れるような手腕で幾つか大手デベロッパーからの仕事を受注したが、現場の人員の補強は期待できず、構造設計部の一角は夜になっても明かりが灯っていた。

あの「数字くん」は構造設計部に所属していた。倉吉という名前よりも、私には「数字君」の方がしっくりきた。

タケルは彼のいる構造設計部に何やらこそこそと出入りして別の若手スタッフに資料を渡していた。

「それを何とかするのが君らの仕事だろう!」

少し語気を荒げた彼の声が聞こえていた。

「数字くん」は時折気にして彼らの方に目を向けたが、膨大な量の自分の仕事に戻ると、またモニターへと視線を戻した。

ラッシュアワーの時間帯に決まって現れていた彼の姿が時折消えるようになった。

そんな日に出社すると、ヨレヨレのシャツに無精髭が濃くなった「数字くん」が宿直室からあくびをしながらノロノロと現れた。

「会社はホテルじゃないのよ。残業代もバカにならないんだから」

「すいません。僕は仕事が遅いもので」

不思議なもので、周囲の上司も同僚も彼をいぶかしがったり、責めたりする者は一人もいなかった。それが日常の一コマのように子会社の中で馴染んでいた。

「いつも謝ってばかりなのね」

彼が謝ると、いつも苛立ちを覚えた。

誰かが悪意を持っていても、皮肉を言っても、たとえ傷つけられても、きっと彼は謝るに違いない。

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